トップQs
タイムライン
チャット
視点

FNN World Uplink

ウィキペディアから

Remove ads

FNN World Uplink』(エフエヌエヌ ワールド・アップリンク)は、1991年4月8日から1993年3月31日までフジテレビ系列(FNN、テレビ大分鹿児島テレビの2局を除く)で放送された朝の報道情報番組

概要 ジャンル, 出演者 ...
Remove ads

概要

要約
視点

番組の仮タイトルは「FNN WORLD NETWORK」[1]

報道・情報番組の強化を目指していた当時の鹿内宏明会長の肝いりで、専用衛星回線「F-STAR」稼働に合わせて1991年4月に放送開始[2]。番組のコンセプトは「世界3分割」で朝のスーパータイムを目指していた[1]。タイトルの通り、SNGを用いてニューヨークパリの衛星同時中継を展開。各地にアナウンサーを常駐させ最新情報を伝えた[1][3]。放送に際しては、パリからの映像を大西洋上空の衛星を経由し、ニューヨークで受信、そしてニューヨークからの映像と共にアメリカの国内衛星、ワシントンブリュースターにあるパラボラアンテナをそれぞれ経由し、太平洋上空の「F-STAR」に送られ、河田町・フジテレビのパラボラアンテナに受信される方式をとっていた。時差はパリ-東京間が0.78秒、ニューヨーク-東京間は0.5秒。アメリカABCの夕方ニュースが始まる7:30(現地時間の18:30)にはそのニュースを同時通訳付きで放送、パリからもフランスの民放局TF1の前日20:00のニュースを時差付きで放送していた。

初代キャスターは『FNNニュースレポート11:30』→『FNNスピーク』とお昼のニュースを9年間[注釈 1]担当した同局の露木茂が担当。アシスタントには『FNNニュースレポート11:30』で露木と組んだ『おはよう!ナイスデイ』の元アシスタント・吉崎典子[注釈 2]が務めた。フジテレビ第7スタジオ(報道スタジオ)には大型モニターがスタジオセットの壁面に設置され、海外支局を呼びかける演出に用いられた。

この時間帯はかねてより日本テレビの『ズームイン!!朝!』が強かった上、TBSの『ビッグモーニング』も好調だったため視聴率がふるわず、1年後にはテコ入れを導入して露木・吉崎コンビを『FNNスーパータイム[注釈 3][注釈 4]に回し、キャスターに『おはよう!ナイスデイ』の総合司会を務めた向坂樹興、アシスタントには直前までパリ支局にいた河野景子を起用。『モーニングLIVE』のキャスター陣がスポーツ、お天気コーナーを担当し、第7スタジオのセットも『FNNスピーク』と共用のデザインに変更等とコスト削減を用いた演出となった。

しかしこれでも視聴率は取れず、さらに1992年7月に企画立案者でもある鹿内会長がフジサンケイグループ内のクーデターによりグループ各社の会長職を解任・辞任に追い込まれて失脚。同年10月には放送時間変更を機にテーマ曲を改めるなど、短期間で頻繁にテコ入れが行われたものの、依然として視聴率の低下に歯止めはかからず、1993年3月31日をもって番組は終了した。後番組は『FNN おはよう!サンライズ』。なお、向坂は番組終了から1年後の1994年4月から当該枠で開始された『めざましテレビ』のニュースキャスターに起用され、当該枠復帰を果たした。

Remove ads

放送時間

さらに見る 期間, 放送時間(JST) ...

出演者

『FNN World Uplink』各キャスターの変遷

さらに見る 期間, メイン司会 ...

主なコーナー

  • World Top News(世界各地のトップニュースを紹介)
  • Weather Report(天気予報
  • Sports & Entertainment
  • Economy Roudup(経済情報)

歴代のオープニング

番組タイトルが歌われるテーマ曲やジングルは、関口敏行が作曲した(同局の深夜ニュース番組『FNN NEWSCOM』も同様)。

  • 初代(1991年4月8日 - 1992年3月31日放送版):朝焼けの街の様子をモチーフとしたCG
  • 2代目(1992年4月1日 - 9月30日放送版):朝焼けを青空に代えた、初代のアレンジ版。
  • 3代目(1992年10月1日 - 1993年3月31日放送版):お天気カメラ等をバックに、タイトルロゴがローマ字「World Uplink」からカタカナ「ワールドアップリンク」に変わるCG。テーマ曲は変更。

ハプニング

前述の方法で映像を受信していたが、経由地で大雨や霧雨が降った際は雨粒の密度が高いため電波を散乱させてしまい、中継回線が不具合を起こすことがあり、それの影響でハプニングもしばしばあった。

  • 1992年12月18日の放送で、ニューヨーク支局の永麻理を呼び出した際、永の声が通常よりも甲高く放送された。気を取り直してパリ支局の筒井櫻子を呼び出すも、こちらも同じように甲高かったが、不具合が直ったのか程なくして通常の声に戻った。
  • 1993年3月5日の放送で、パリ支局の筒井櫻子を呼び出した際、音声は通常通り流れたものの、映像がフリーズしたまま放送された。

これらのハプニングの模様は後に『FNS番組対抗NG名珍場面大賞』でも放送された。

ネット状況

ネット局

さらに見る 放送対象地域, 放送局 ...

備考

  • 山形テレビは、当番組終了翌日となる1993年4月1日にANN系列にネットチェンジしたため、フジテレビ系平日朝の情報番組は当番組が最後となった[注釈 6]。なお、1993年4月1日は木曜日だったが、次番組の『おはよう!サンライズ』が同日開始となったのは、同局のネットチェンジの関係で切り替わったためである。
  • 東海テレビでは、当初は7時台に特撮ドラマとアニメの再放送枠が編成されていたため、6:56飛び降りの30分番組として放送されていたが、1991年10月に同局が特撮を別の時間帯へ移し、アニメの再放送を休止したことによって放送時間が拡大された。
  • 関西テレビでは、『FNN World Uplink おおさか』の題で放送され、関西ローカルパートが挿入されていた。1992年10月1日以降は放送時間が15分拡大され、以後、番組は最終回を迎えるまで6時半から放送された。内容については『ザ・モーニング630』の項を参照のこと。
  • テレビ大分[注釈 7]と鹿児島テレビ[注釈 8]の2局は、日本テレビ系列主体のクロスネット局で、当該時間帯は日本テレビ系列の番組を放送しており、当番組は放送されていなかった。
Remove ads

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads