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G1 CLIMAX
新日本プロレスの大会 ウィキペディアから
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G1 CLIMAX(ジーワン・クライマックス)は、新日本プロレスが主催しているヘビー級選手によるリーグ戦。最大級の大会で「真夏の祭典(まなつのさいてん)」として全国的に知られている[1]。
概要
要約
視点
新日本プロレスにおいては、歴代のリーグ戦として1978年からのMSGシリーズ→IWGPリーグ戦が行われていたが、IWGPが新日本の旗艦タイトルとなった1988年以後、大規模なリーグ戦形式のサーキットが行われてこなかった。
発案者は当時社長だった坂口征二で、「G1」は競馬ファンとしても知られる坂口が競馬のGIレースから取って名づけている[2]。当時新日本のリングアナウンサーだった田中ケロは後にTwitterで、自身がG1と名付け、クライマックスを付けたのは先輩リングアナだった倍賞鉄夫であることを証言している[3]。
1991年に第1回大会が開催され、毎年8月上旬頃に開催されている(2014年以降は7月中旬から開催)。当初こそ数日間の開催であったが近年では大会期間が約4週間程と長くなっており、業界の現状から「プロレス界で最も長く過酷なリーグ戦」との呼び声も高い。試合会場は愛知県体育館、大阪府立体育会館など、普段ビッグマッチでも使用する大中規模会場が選ばれ、優勝決定戦には国技館を使用するのが恒例となっている。ただし、2014年には、西武ドームでの優勝決定戦となった[4]。また2018年と19年は国技館が改修工事のため日本武道館で開催。また2019年はアメリカ・ダラスで開幕戦を行った。なお、1993年から1998年までは国技館だけで行われた。 基本的にはヘビー級、ジュニアヘビー級を問わず、新日本プロレス最強の選手を決定する大会だが、外国人選手や他団体の選手が参加することもある。
大会形式には以下の3通りがあり、年によって方式が異なる。
- トーナメント方式(1992年、1993年、1997年、1998年)
- 2005年から「NEW JAPAN CUP」が開催されるようになった為、トーナメント方式の大会はそちらへ受け継がれた。
- リーグ戦+優勝戦(1991年、1994年、1996年、1999年、2008年、2010年 - 2021年)
- AとBの2ブロックに分かれて総当たりのリーグ戦(20分1本勝負)を行い、各ブロックの最高得点(勝:2点、引分:1点、負:0点)の選手2人が優勝決定戦(時間無制限)で最強者を決定する。
- リーグ戦+決勝トーナメント(1995年、2000年 - 2007年、2009年、2022年 - )
- AとBの各ブロックで総当たりのリーグ戦を行い、得点が1位、2位の選手が決勝トーナメントに進出して最強者を決定する。
- 2022年は、大会創設以来過去最多となる28選手が参加し、1組あたり7選手×4組の総当たり(6試合)を行い、各組1位の4人で、8月17−18日に予定される武道館での決勝トーナメントで最強者を決める。
最高得点者が同点だった場合は進出者決定戦、リーグ戦での直接対決により順位、決勝進出者を決めるなどで対応している。以下に主な例外を挙げる。
- 1995年:同点者が出た場合は勝ち試合のタイムが短い選手が上位となった。Aブロックでは2位争いとなった蝶野とリック・フレアーが勝点で並んだ為(ともに1勝1敗1分)、勝ちタイムの短かった蝶野が決勝トーナメントへ進出した。
- 1999年:最終日にリーグ戦が終了した時点でAブロックの武藤敬司と永田裕志が同点だったため、決勝進出決定戦で勝利した武藤が1位として優勝決定戦に進出。最終日に1日に3試合を行った。
- 2000年:4ブロックでリーグ戦が開催され、各ブロックの1位の選手が決勝トーナメントに進出した。
- 2001年:日本人選手だけの参加となったので、9月に「G1 WORLD」と銘打って外国人選手参加で行われ、優勝者同士で真王者決定戦を行う予定だったが、フライが直後に出場したPRIDE.16で負傷、延期となっていたが、現在まで実現されていない。
- 2004年:各ブロックの3位までが決勝トーナメントに進出する方式だったが、Aブロックの最高得点者が6人いたため、6人の直接対決と進出者決定戦により、柴田勝頼が1位、天龍源一郎が2位、中邑真輔が3位で進出した。
- 2009年:Aブロックの田中将斗、真壁刀義、棚橋弘至3人が勝ち点7で並んだが、田中は両選手に負け棚橋と真壁は引き分けだったため棚橋と真壁が同率1位となり、コイントスで1位2位が決められた。
優勝者には表彰状、優勝旗、トロフィーが授与される。また、優勝者がIWGPヘビー級王者やIWGP世界ヘビー級王者ではない場合、大会終了後に王座挑戦を表明することが慣例となっている(2012年〜2022年は王座挑戦の意思を示した上で、後述する「挑戦権利証」が渡される)。王者として優勝したのは、武藤敬司と佐々木健介の2人だけで、武藤はグレート・ムタ(1997年)、健介はパワー・ウォリアー(1994年)として出場経験がある。
G1とチャンピオン・カーニバルの両方を制したのは、武藤(2002年、2004年、2007年)、小島(2003年)、健介(2005年)、永田(2011年)の4人である。永田は2013年にノアのグローバル・リーグ戦も制しており、現時点で唯一メジャー3団体のヘビー級リーグ戦を全て制している。
特別協賛スポンサー
正式大会名は2010年が「Powered by HEIWA」、2011年が「ブシロードPresents」、2012年から2016年は「バディファイト[注 1] Presents」、2017年「ローソンチケット Presents」、2018年「戦国炎舞 - KIZNA Presents」、2019年「HEIWA Presents 」、2020年「レック Presents 」、2022年「新日本プロレスSTRONG SPIRITS[注 2] Presents」、2023年、2024年度は「ヤマダインフラテクノスPresents」[5]と冠スポンサー名が頭につく。
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歴代優勝者
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主な記録
(2024年現在)
- 最多出場 - 22回 : 棚橋弘至(2002年 - 2023年)
- 最多連続出場 - 22年 :棚橋弘至(2002年 - 2023年)
- 最多優勝 - 5回 : 蝶野正洋(1991年、1992年、1994年、2002年、2005年)
- 最多連続優勝 - 2大会連続 : 蝶野正洋(1991年、1992年)、天山広吉(2003年、2004年)、飯伏幸太(2019年、2020年)、オカダ・カズチカ(2021年、2022年)
- 最多準優勝 - 3回:武藤敬司(1991年、1999年、2001年) 、中邑真輔(2009年、2014年、2015年)、棚橋弘至(2004年、2010年、2013年)
- 最多連続優勝決定戦進出 - 4年連続 :飯伏幸太(2018年、2019年、2020年、2021年)
- 全勝優勝 - 長州力(1996年:リーグ戦+優勝決定戦。不戦勝含む)、天山広吉(2006年:リーグ戦+決勝トーナメント)
- IWGP(世界)ヘビー級王者の優勝 - 武藤敬司(1995年)、佐々木健介(2000年)
- IWGPタッグ王者の優勝 - 蝶野正洋(2002年)、天山広吉(2006年)
- 外国人出場者の優勝 - ケニー・オメガ(2016年)、ザック・セイバーJr.(2024年)
- 新日本プロレス非所属選手の優勝 - 小島聡(2010年:当時フリー)
- 初出場初優勝(第2回以降)- 後藤洋央紀(2008年)、オカダ・カズチカ(2012年)、ケニー・オメガ(2016年)
- 最年長優勝 - 44歳8ヶ月:長州力(1996年)
- 最年少優勝 - 24歳9ヶ月 : オカダ・カズチカ(2012年)
- 最短キャリアでの優勝 - 5年1ヶ月: 後藤洋央紀(2008年:2003年7月デビュー)
- G1 CLIMAX 、NEW JAPAN CUPの両方優勝 - 永田裕志(2001年)、棚橋弘至(2007年、2015年、2018年)、後藤洋央紀(2008年)、中邑真輔(2011年)、オカダ・カズチカ(2012年、2014年、2021年、2022年)、内藤哲也(2013年、2017年、2023年)、飯伏幸太(2019年、2020年)、ザック・セイバーJr.(2024年)
- G1 CLIMAX、BEST OF THE SUPER Jr.の両方優勝 - 飯伏幸太(2019年、2020年)
最終日での出来事
- 翌年の1.4東京ドーム大会の開催発表が行われるのが恒例となっている。
- 大会後には打ち上げパーティーが行われており、限定100名のオフィシャルファンクラブ「Team NJPW」会員が参加することが出来る。
- 1991年に蝶野が優勝した際、リング上に大量の座布団が投げられたため、以後プロレス興行では座布団の使用が禁止されている[注 3]。
- 優勝決定戦で先に入場した選手が優勝したのは、1991年の蝶野、2008年の後藤、2010年の小島、2011年の中邑、2012年・2014・2021年のオカダ、2013年・2017年・2023年の内藤、2016年のオメガ。
- 1993年の優勝決定戦は最終日前日の8月7日に行われており、最終日はメインで橋本が天龍源一郎とシングルマッチを行ったが敗れた。
- 1995年に優勝した武藤に副賞として贈呈されたガウンは、東京都にあるプロレスショップ「バトルロイヤル」で展示されていた。
- 1999年、2001年 - 2003年は、ワールドプロレスリングのスペシャル特番として夕方から地上波で生放送していたが、2006年からは、スカパー!プレミアムサービス(当時スカイパーフェクTV!)のペイ・パー・ビューで生放送されており、さらに2012年から2016年までは当日深夜に地上波で放送している「GET SPORTS」枠内でも放送された。
- 過去の大会での優勝実積のある選手同士で優勝戦が行われたのは、2000年の健介-中西戦、2014年の中邑-オカダ戦、2015年の棚橋-中邑戦、2017年のケニー-内藤戦、2021年の飯伏-オカダ戦、2023年のオカダ-内藤戦
- 2年連続で優勝戦進出を果たしたのは、連続優勝を果たした蝶野と天山と飯伏とオカダを除くと、1999年と2000年の中西、2008年と2009年の真壁、2014年と2015年の中邑、2016年と2017年のケニー。
- 2004年に優勝した天山に副賞のGM社「キャデラック」が贈呈されて、同期の金本浩二が同乗して国技館周辺を優勝パレードした。
- 2012年には桜庭和志が柴田と共にリング上に現れ、新日本への参戦を表明した[9]。
- 2015年の大会で優勝した棚橋がセレモニーの最中に興奮して優勝旗を振り回し、旗竿を折ってしまった。
- 2019年に飯伏が優勝したことによって史上初のG1 CLIMAXとBEST OF THE SUPER Jr.の両方の覇者となった。
- 2021年大会の第4試合開始前にザックと柴田のグラップリングルールによる5分間のスペシャルエキシビションマッチが行われた[10]。
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WRESTLE KINGDOMのメインイベント挑戦権利証
2012年から毎年G1の優勝者には翌年1月4日に開催される東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM」のメインイベント(IWGPヘビー級選手権試合)での挑戦権利証が『挑戦者記入欄を無記入とした状態』で贈呈されることとなった[注 4]。
権利証を贈呈されたG1優勝者には残りの半年間、その権利証を狙う挑戦者を相手に防衛戦となる挑戦権利証争奪戦を課せられることとなり、「勝利すれば権利証保持者のまま次の挑戦権利証争奪戦に、敗北すれば挑戦権は移動」の繰り返しを行い、年末のビッグイベント終了時[注 5] に権利証の挑戦者欄に権利証保持者の名前が記入され、「東京ドーム大会のメインイベントの挑戦者」[注 6] として正式に選ばれることとなる。なお2019年までは権利証保持者が挑戦権利証争奪戦に敗北して挑戦権が移動した例は一度もなかったが、2020年に飯伏幸太がジェイ・ホワイトに敗れ初の挑戦権移動となった[注 7]。「WRESTLE KINGDOM」で権利証保持者が王座に挑戦する前に王座が移動した例は、2014年[注 8]と2020年[注 9]の2例。また、2018年までは権利証保持者が「WRESTLE KINGDOM」で勝利した事がなかったが、2018年優勝の棚橋弘至が翌年の「WRESTLE KINGDOM」でケニー・オメガから勝利し、このジンクスは破られた。
2022年に優勝したオカダ・カズチカは、従来の挑戦権利証争奪戦を行わず、直接「WRESTLE KINGDOM」でのIWGP世界ヘビー級王座挑戦を求めた。これが認められたため、以降の権利証制度は廃止された[11][注 10]。
2023年に優勝した内藤哲也は、新日本プロレスから翌年の「WRESTLE KINGDOM」でのIWGP世界ヘビー級王座挑戦の正式なアナウンスが行われないことに対してしびれを切らし権利証を自作[注 11]、9月24日にG1の雪辱戦として行われるジェフ・コブとのスペシャルシングルマッチで敗れた場合、「WRESTLE KINGDOM」での挑戦権をコブに譲ることを示唆した[12]。優勝から1か月以上経った9月19日に内藤の王座挑戦が正式に発表されたが、これに内藤は不満を露わにし、コブに敗れた場合、挑戦を辞退して挑戦権をコブに譲ることを明言し[13]、コブも同調した[14]。その後、内藤が敗れた場合は挑戦者がコブに変更されることを新日本プロレスが発表し、内藤対コブのスペシャルシングルマッチは事実上の挑戦権利証争奪戦となった。試合は内藤が勝利し、「WRESTLE KINGDOM」での王座挑戦を確実にしている[15][注 12]。
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脚注
関連項目
外部リンク
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