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J.P.ハウエル
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ジェームズ・フィリップ・ハウエル(James Phillip Howell, 1983年4月25日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州スタニスラウス郡モデスト出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
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経歴
2001年のMLBドラフト2巡目(全体52位)でアトランタ・ブレーブスから指名を受けたが、契約せずテキサス大学オースティン校へと進学。
2004年のMLBドラフト1巡目追補(全体31位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、プロ入り。
2005年には早くもメジャーデビューを果たし、先発投手として15試合に登板。

2006年はマイナーリーグで開幕を迎えたまま、6月20日までメジャー昇格は叶わなかった。6月20日にフェルナンド・コルテス、ジョーイ・ギャスライトとのトレードで、タンパベイ・デビルレイズへ移籍した。デビューから2007年までは全試合で先発を務めていた。先発として結果が出ないハウエルは、球団名がレイズとなった2008年に一度もメジャーで経験のないリリーフに配置転換。64試合にリリーフ登板し、防御率2.22を記録。ロングリリーフとしても活躍した。
2009年、第2回WBCのアメリカ合衆国代表にも選出された[1]。同年のレギュラーシーズンではクローザーが固定されていなかったことから、日替わりで務めたこともあった。
2010年はスプリングトレーニング中に左肩を痛めてシーズンを全休した。
2011年は2年ぶりにメジャー復帰を果たし、この年のみ背番号74を着けた。
2013年1月7日にロサンゼルス・ドジャースと1年285万ドルで契約した。10月31日にFAとなったが、12月16日にドジャースと年俸400万ドル+ボーナス350万ドルの2年総額1125万ドル、さらに3年目の年俸625万ドルの球団オプション付きで再契約したことが報道され[2]、24日に球団が発表した[3]。
2016年まで4年連続で60試合以上に投げた。同年オフの11月3日にFAとなった[4]。
2017年2月9日にトロント・ブルージェイズと1年300万ドルで契約した[5]。8月16日にDFAとなった[6]。8月20日に自由契約となった[4]。
2018年5月29日に独立リーグ・パシフィック・アソシエーションのサンラフェル・パシフィックスと契約[7]。この年を最後にいずれの球団でもプレーしておらず、事実上引退している。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2017年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 53(2005年)
- 39(2006年 - 2009年、2012年)
- 74(2011年)
- 56(2013年 - 2017年)
代表歴
- アメリカ合衆国代表
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脚注
関連項目
外部リンク
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