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JNNニュースデスク
TBSテレビ系の報道番組(1969 - 1988) ウィキペディアから
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『JNNニュースデスク』(ジェイエヌエヌ ニュースデスク)は、TBS(JNN)系列にて1969年3月31日から1988年9月25日にかけて[注 1] 放送していた深夜最終便のニュース番組である[2]。カラー放送[1]。
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概要・沿革
深夜の時間帯に大型のニュース番組を放送して欲しいとの要望に応え、1969年3月31日より放送を開始した[1][3]。
当初は25分間の放送で一日のまとめのニュースのほか、ゲストとの対談や討論、10分前後の企画もので構成していた[3][4]。1975年3月31日以降(1978年4月1日に再開された土曜版を含む)は、放送時間が15分間に短縮されたため、基本的にストレートニュース中心にミニ特集をはさむ構成に変わった。
初代のキャスターは琉球放送の稲福健蔵で、1970年3月30日から信越放送の安田浄が担当するなど[3]、初期はJNN加盟各地方局から出向した報道アナウンサーや記者がキャスターとして担当するケースが多かったが、1970年に土曜日の放送が開始した際に木曜日から土曜日を新堀俊明が担当するようになり[3]、以後は徐々にTBSの報道記者・アナウンサーが担当するようになった(1983年4月から1985年9月までキャスターを務めた、当時共同通信社所属の加藤和雄は例外)。
オープニングのテーマ音楽は同時期の『JNNニュースコープ』のオープニングテーマと基本的には同じ[注 2]。その後、23:15 - 23:35にはスポーツニュース番組『JNNスポーツデスク』[注 3] が放送された。
1986年10月にニュースデスク、スポーツチャンネルが統合・拡大し『ネットワークJNN』に移行、平日のみ番組は終了し1988年9月いっぱいで土曜・日曜も終了し完全に番組が終了した[注 4]。
1988年10月から1989年9月までに、『JNNニュース22プライムタイム』の後番組として、22:00から『JNNニュースデスク'88』→『JNNニュースデスク'89』が放送されていた(詳細はその記事を参照)。
なお、サンテレビジョンでも1980年から1985年ごろに夕方に「ニュースデスク」という番組が放送されていたが当番組とは何ら関係ない。
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放送時間
- 備考
- すべてJST。
- 放送開始から1970年3月、及び1973年4月から1978年3月までは平日のみの放送。週末は『JNNニュース』を放送。
- 1970年4月から土曜版が新設。1973年3月に一旦終了するが、1978年4月に復活。
- 1981年4月から日曜版が新設され、全日放送となる。
- 1984年4月から土曜日は23時台前半に『おもしろ流行通信』が開始されたのに伴い、30分繰り下げて放送。
- 1986年4月から金曜日は23時台前半に『だぅもありがと!』が開始されたのに伴い、30分繰り下げて放送。
- 1986年10月から週末のみの放送となる。
- 1987年10月から土曜日は23時台に『中村敦夫の地球発23時』(毎日放送制作・木曜22時台から移行)が開始されたのに伴い、50分繰り下がったうえ5分縮小された。
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歴代のメインキャスター
- 備考
- 特記以外はTBS所属のアナウンサー、報道記者。カッコ内は当時の所属先(出向元)の放送局・通信社である
- 鈴木は『JNNニュース』→『JNNスポーツ&ニュース』も続投。
- 1976年3月1日の放送は、ロッキード事件で第二次証人喚問が行われた事から、「ロッキード事件特集」として、15分拡大し、23:35まで放送した。
- 日本航空123便墜落事故が発生した1985年8月12日放送版は当時JNNニュースコープのキャスターを務めた田畑光永が登板。
- 1985年12月28日の放送は、第2次中曽根内閣 (第2次改造)組閣のため10分延長した。このため後続の全国高等学校ラグビーフットボール大会の中継放送開始が繰り下げられたことから、同番組をネットする独立局や系列外の局向けに、高校ラグビーを放送する共同制作機構(実質毎日放送)が用意したフィラー映像の南極映像を23:45-55の10分間流す事態となった。なお映像はステーションブレイクの真っ只中に挿入されたため、この映像の前後両方にスポットCMが流れた。
ネットしていた局
※特筆すべき事項がない局は放送開始から終了まで。
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脚注
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