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日本の慰安婦問題

旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任に関する問題 ウィキペディアから

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日本の慰安婦問題(にほんのいあんふもんだい)は、旧日本軍の慰安婦に関して戦後持ち上がった諸問題。日本を除く各国の慰安婦と、軍隊と売買春の問題は「慰安婦」を参照のこと。

慰安婦問題の経緯

要約
視点

1970年代

1970年刊行の『岡村寧次大将資料』において「軍、風紀所見(その三)」の一節に「慰安婦問題を考える」とあり、「昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」「第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」などと記している(同書「第四編 武漢攻略前後(第十一軍司令官時代)」)[1]

1973年に千田夏光の『従軍慰安婦』が刊行され、慰安婦を民族ごとに分けて記述した。千田は日本人の慰安婦は自主的な売春婦であり、韓国人の慰安婦を売春を強制された被害者とした[2]。千田の著書は、日本キリスト教婦人矯風会高橋喜久江会長の注目を受けた[2]。『産経新聞』によると、高橋は慰安婦の社会問題化に関して「私も火付け役をした」と自負したとされ、高橋は千田の著書を韓国に紹介するなどしている[3]

1990年代

1990年には、梨花女子大元教授で韓国教会女性連合会メンバーの尹貞玉(ユン・ジョンオク)が、「挺身隊取材記」を『ハンギョレ新聞』に4回わたり連載[4][5]

1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言した[6]ことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉挺身隊対策協議会を結成、海部俊樹首相へ公開書簡をおくった[7]。その後も韓国、フィリピン台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、日本の弁護士らの呼びかけで[要出典]、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件など)が多数行われた。

元慰安婦らによる訴訟

1991年には、金学順が韓国で初めて元慰安婦として名乗り出て、自らの体験を語った[4]。同年、金ら元慰安婦3人を含む「太平洋戦争犠牲者遺族会」の35人は高木健一を主任弁護士とし、日本政府の謝罪と補償を求めて軍属らとともに東京地方裁判所に提訴、1993年にはマリア・ロサ・ヘンソンらフィリピン人元慰安婦が、1994年にはオランダ人元慰安婦・捕虜などがそれぞれ東京地裁に提訴した[4][8](日本軍は太平洋戦争劈頭の南方作戦で、フィリピンオランダ領東インドなどを占領していた)。

金らによる裁判について、当時『毎日新聞』ソウル支局の特派員だった下川正晴は、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を百人委員会」事務局長だった青柳敦子が1991年11月に永森支局長と下川を訪ね、日本政府に裁判を起こしたいとした上で「原告になってくれる韓国人の犠牲者を探している」と告げたとし、二人は「原告を探す」という発想に仰天したとしている[8][9]。歴史学者の秦郁彦は、この際には原告は見つからなかったとし、帰国後に「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力申し入れがあったものの、同遺族会が内紛を起こしたのち主流派が青柳グループと絶縁、高木弁護士らの「日本の戦後責任をハッキリさせる会」に乗り換えたとしている[8]

1992年12月25日には日本で釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟が始まり、1993年4月3日には、元慰安婦の宋神道が提訴した在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件の裁判が日本で始まったが、双方とも2003年に最高裁判所で敗訴が確定している。

評論家の池田信夫は、金らによる訴訟の目的は敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償だったとし[10]、「このときの訴状は『親に売られてキーセン(娼婦)になった』という話だったのだが、これを朝日新聞が『軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した』と誤って報じたため、1992年に宮澤首相(当時)が韓国で謝罪するはめになった」と延べている[10][11]。 池田はまた、福島瑞穂高木健一らは原告になる元慰安婦を韓国で募集した際に金学順を見つけたとしており、福島はNHKにこの話を売り込んだ上で、NHKのスタジオに立ち会い、金学順に「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言するようせりふを教えたとしている[10]

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尹貞玉と挺身隊問題対策協議会

1990年6月6日の本岡昭次参議院議員(日本社会党)による国会質問での日本政府が慰安婦問題について「調査はできかねる」と答弁したことに抗議する公開書簡を、韓国女性団体連合や韓国教会女性連合会など37の女性団体が10月7日に送付した[4]。翌年4月1日、同じく本岡昭次参院議員がこの公開書簡への回答を求めたことが韓国でも報道され、その中で「従軍慰安婦、約8万人」と共に、同議員の提示する沖縄朝鮮人捕虜リスト(米軍資料マイクロフィルム)が「挺身隊・従軍慰安婦名簿」として紹介された[12]

同年11月、韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が集まり韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が結成され、尹貞玉が共同代表に就任した。この時のことについて尹は、「1990年、国会で『慰安婦』問題は業者がやったことであり、日本軍は無関係であると言明した。この嘘が、韓国で挺身隊問題対策協議会が設立されたきっかけとなった」と、説明している[13]:7

アジア女性基金大久保昭も「1990年代の韓国では、慰安婦問題は建国以来一貫して世論の底流をなす反日ナショナリズムの象徴となり、聖化された」「挺体協は90年代韓国のヒロインだった」と述べている[14]

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慰安婦問題とメディア

要約
視点

韓国の盧泰愚大統領は、慰安婦問題の発生について「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。」と語っている[15]

2013年5月14日、読売新聞は、朝日新聞が1992年1月に報じた、女子挺身隊制度を「慰安婦狩り」とする誤報を含む、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」との記事を発端とし、さらにその後、河野談話(謝罪)が曲解されたことで、日韓間の外交問題に発展したとする見解を示した[16]

朝日新聞の慰安婦報道問題

朝日新聞は、80年代から「慰安婦の強制連行」の告発者とされる吉田清治を度々紙面で取り上げていたが、1991年には、女子挺身隊として連行された元慰安婦が韓国で名乗り出たと報道[注釈 1]。1992年、旧日本軍の関与が明らかになったと朝日新聞が報じたことで、韓国で反日デモが吹き荒れる騒ぎとなった[17]。(「慰安婦の強制連行#吉見義明の発見と朝日新聞報道」参照)

歴史学者の秦郁彦は、1992年1月11日の朝日新聞では陸支密大日記を吉見義明が「発見」したとしているが、研究者の間ではこの資料は周知のものであったと指摘している[18]

朝日新聞は、その後も慰安婦の強制性について報道を続けたが、一連の報道には歴史学者や他の新聞社から異論や批判が出た。批判の高まりを受けた朝日新聞社は、2014年に外部の識者に依頼し検証した結果、18本の記事を取り消し謝罪した[19]。(「朝日新聞の慰安婦報道問題#朝日新聞による慰安婦報道の取消 (2014)」参照)

朝日新聞は、アジア女性基金に対しても否定的に報じ、呼びかけ人だった大沼保昭を落胆させた[20]

ジャパン・タイムズ

ジャパン・タイムズ』は、1991年1月11日夜のテレビ番組での渡辺美智雄外務大臣の「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を引用し、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた」と伝える記事を同月13日に掲載した(秦郁彦は、実際の発言内容とは異なるとしている)[18][21]

韓国メディア

1990年8月9日、光復45周年特別企画『太平洋戦争の怨霊たち』にて元慰安婦のインタビューを含むドキュメンタリー番組が放送された(後述)。

同年8月15日、韓国の『ハンギョレ新聞』は金学順が「親に売り飛ばされた」と報道した[22]

同年8月23日、NHK BSが特集「世界が伝える日本」において、韓国放送公社(KBS)のドキュメンタリー番組『太平洋戦争の怨霊たち』を放送。韓国女性20万人を挺身隊として昼は働かせ、夜は慰安婦をさせた告発ドキュメンタリーと紹介した[23]

1991年10月7日から1992年2月6日にかけて、韓国のMBC放送は制作費72億ウォンを投じたドラマ『黎明の瞳[24]』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した[25]。ヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行されるストーリーで、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待したりする場面が放映された[26]。原作は金聖鍾の同名の小説(全10巻)で、1975年10月から韓国の『日刊スポーツ新聞』で連載されていた[25][27]

1992年1月の宮澤首相の訪韓時、韓国の新聞は女子挺身隊と慰安婦を混同したまま「小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた」といった報道を繰り返した[28]

日本政府の対応

要約
視点

1993年(平成5年)8月4日、宮澤改造内閣は慰安婦調査の結果「いわゆる従軍慰安婦問題について」[29]を発表した。同日、河野洋平内閣官房長官が慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)[30]を発表した。この談話は以後、その意義や根拠について賛否両論を呼んだ。平林博内閣外政審議室室長は、1997年3月12日の国会での小山孝雄参議院議員の質問に「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と答弁[31]。同1997年3月には当時宮澤内閣の内閣官房副長官であった石原信雄も「随分探したが、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない」とし[32]、また元慰安婦を強制的に連れてきたという軍関係者の証言を探したがなかったと明かした[33]

宮沢内閣

宮澤首相による謝罪

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宮澤喜一

92年1月14日、宮澤首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ[18]、韓国滞在中の1月16日には天皇の人形が焼かれる[18]などするなか、訪韓日程における首脳会談や国会演説などで謝罪し、「真相究明」を約束した[34]

毎日新聞ソウル支局の下川正晴特派員は当時の韓国の大統領主席補佐官による会見の様子について「『一時間二十五分の首脳会談で、宮澤首相は八回も謝罪と反省を繰り返した』。韓国の大統領主席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない」と1993年9月9日の毎日新聞『記者の目——日韓関係』で述べている[9]

岡田邦宏は、宮澤首相は盧泰愚大統領との首脳会談で事実関係の調査を経ることなく慰安婦問題について謝罪したとしている[35]

加藤談話(第一次調査)

1992年7月6日、加藤紘一官房長官が従軍慰安婦問題について「お詫びと反省」を表明する談話を発表した[36]。これに合わせ、日本政府による関連資料の調査(第一次調査)の結果が公表され、慰安婦問題について「政府の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は見つからなかったとした[37][38]

河野談話(第二次調査)

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河野洋平

韓国政府から実態解明についての強い要請が寄せられたことを受け、日本政府は関連資料の調査に加えて関係者への聞き取りや現地調査、米国公文書の調査などを含む再調査を行い、1993年8月4日、その結果を公表した[39]

これに合わせ、河野洋平官房長官は談話を発表し、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」とし、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした[40]。(河野談話

石原信雄元官房副長官によると、「文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。…韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた」[33][41][42]

河野談話の検証 2014年、河野談話により1993年に決着したはずの慰安婦問題が再び韓国政府から提起され、当時の関係者から「日本政府の善意が活かされておらず非常に残念」である旨の証言もあり、第二次安倍内閣は、河野談話作成からアジア女性基金までの一連の過程について検証を行い、公表した[43]

村山内閣

1994年に首相に就任した社会党村山富市は、河野談話に従いアジア女性基金を設立し、民間からの寄付金をもとに慰安婦への償い事業をスタートさせた。村山は、戦争にかかわる賠償や請求権の問題は条約等で解決済みであるので、政府が元慰安婦に「個人補償」を行う考えはないとも述べた[44]

日本政府が国際条約違反を承知で婦女(慰安婦)強制連行を行ったことを認めるかとの質問には、当時の日本政府がそのような認識を持っていたことを示す資料は見当たらないと答えている[45][44]

村山談話

1995年8月15日村山富市内閣総理大臣は談話を発表し(村山談話)、その中で、従軍慰安婦問題について「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と、政府としての反省の意を示した[46]

アジア女性基金

村山内閣は元慰安婦に対する「全国民的な償いの気持ち」をあらわす事業と、「女性をめぐる今日的な問題の解決」のための事業を推進することを目的にアジア女性基金を設立することを決定し、1995年、経費への補助金として4億8千万円を計上した[47]

日本政府は、第二次大戦にかかわる賠償や財産・請求権の問題について当事国との間で法的に解決済みだった為、元慰安婦におくる「償い金」として民間から寄付を募り、日本政府がお詫びの気持ちを表明し、女性基金を援助するという形をとった[48]

1996年、橋本龍太郎首相が元慰安婦へ「心からおわびと反省の気持ち」を伝える手紙を送り[49]、2001年には、小泉純一郎首相からも元慰安婦にお詫びの手紙が送られた[50]

第1次安倍内閣

2006年10月3日、安倍晋三内閣総理大臣は「いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、…河野官房長官談話を受け継いでおります」と答弁した[51]

同年10月25日、下村博文官房副長官は「河野談話はもう少し事実関係をよく研究し…客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないか」と発言[52]

安倍は2007年3月5日の参議院予算委員会で、小川敏夫から河野談話についてどう考えるかとの質問に「基本的に継承していく」としつつ、「狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかった」「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れて行くという、そういう強制性はなかった」とし[53]、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書[54]を閣議決定した。

これに対し、元自由民主党副総裁山崎拓は、「従軍慰安婦はあったのは事実であり、狭義か広義かなんて弁解がましい態度はとるべきではない」と、安倍を批判した。河野元長官はアジア女性基金のインタビューを通じて、慰安婦の募集に軍政府が直接関与した資料が確認されていないことを踏まえた上で、「だから従軍慰安婦がなかったという議論をするのは、知的に誠実ではない」、政府の加担を認める上で慰安婦の聞き取り結果[注釈 2]を理由にあげ、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へ出てくる」と振り返り、官憲が慰安婦の募集に加担したこともあったと認定した点に問題はないと述べた[55]

朝日新聞の社説では、証拠がなかった発言が海外で日本の責任逃れと受け止められ、特にワシントン・ポストが「拉致で国際的支援を求めるならば、日本の犯した罪を率直に認めるべきだ」と批判した、とされている[56]

ニューヨークタイムズは社説で「安倍首相は、かの恥ずべき行為が民間の営利活動だったと主張する自民党内右派にアピールすることほど、日本の国際的な名声を修復することを重要とは考えていないようだ」「真実を歪めるそのような努力は日本の名誉を失うだけ」と批判した[57]

一方、『産経新聞』は社説「主張」にて、「日本の名誉を傷つけ、日米関係にまで影を落としている」「明確な裏付けもなく慰安所の設置に『軍の関与』があったと認めたために、慰安婦が日本軍の『性の奴隷』であったとの誤った認識を広げた」と河野談話を非難し、安倍が参議院で行った答弁については「事実に誠実に向き合った結果」と評価した[58]。また、安倍発言に関するアメリカ側の報道については、「中国寄りの『ニューヨーク・タイムズ』などが首相の発言を歪曲して報じている」と批判した[58]

4月17日には月末の訪米を控え、米『ニューズウィーク』と『ウォール・ストリート・ジャーナル』の取材に答えて、慰安婦問題について「人間として心から同情する。首相として大変申し訳なく思っている」と改めて陳謝したうえで「彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況につき、我々は責任がある」と述べ、日本側に責任があるとの認識を示した[59]

2007年4月末のCNNによる異例の訪米前インタビューで、安倍は慰安婦について「人間として日本の首相として過去に本当に苦労を経験をされた慰安婦の方々に心から同情する。20世紀は数々の人権侵害が行われた時代で、日本も無関係ではなかった。慰安婦の方々に謝罪したい気持ちを抱いている。21世紀は人権が侵害されないよう努力する必要があると信じている。そのために私も日本も適切な役割を果たす必要がある」と述べた。同席した安倍昭恵は「女性として慰安婦の方々に同情する。胸が痛みます」と述べ、安倍が強制連行の証拠はなかったと発言して批判されていることについては「彼の発言を聞いていないので分からない。しかし、私の理解では彼はそのような状況に置かれた方々に申し訳ないと言い続けている」と述べた[60]

安倍内閣は、2007年3月16日付で、「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定した[61][62]。また第二次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えていたが[63]、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている[64][65]

2011年(平成23年)8月、日本国外務省は「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」を発表し、これまでの慰安婦関連事業および日本政府による償い事業について再度説明した[66]

同年4月27日、安倍首相はブッシュ大統領との日米首脳会談後の記者発表で、「元慰安婦の方々に…申し訳ないという気持ちでいっぱいである」と述べた[67]

第2次安倍内閣

2015年12月28日の日韓外相会談では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、…責任を痛感している」とする旨が述べられ、また総理大臣として「おわびと反省の気持ち」を表明するとした[68]

2015年日韓外相会談における合意

2015年、日本の安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領は、安倍首相が改めてお詫びを表明し、日本政府が、元慰安婦の名誉と尊厳の回復と、心の傷の癒やしのための事業を行うために10億円の資金を拠出することで、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的」に解決することに合意した[68]

2017年に新しく韓国の大統領に就任した文在寅は、「この合意では慰安婦問題は解決されない」とし[69]、合意に基づき両国が設立した「和解・癒やし財団」を解散させた[70]

菅内閣

2021年、菅内閣は、政府として「国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、我が国の基本的立場や取組に対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく考えである」とした[71]

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国会・野党の動き

戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案

民主党の本岡昭次衆議院議員は、2000年11月1日、「旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ… そのような事実について謝罪の意を表し、…戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図」ることを目的とした戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を、議員立法として衆議院に提出した[72][73]。以降、2001年と、2003年から2006年にかけては毎年、そして2008年に同様の法案が民主党、社民党、共産党議員から提出されている[74][75][76][77][78][79]2000年代から民主党などは、日本軍慰安婦(日本人女性のみ除外[80])を「戦時性的強制被害者」[81]としている。

訴訟

要約
視点

韓国人、中国人などを中心に元日本軍慰安婦であると名乗り出た人々が強制的に慰安婦にされたとして日本国に対し謝罪と賠償を求める訴訟、及びそれに関する訴訟が日本、アメリカ合衆国、韓国、フィリピンなどで多数起こされて来た。しかし、時効除斥期間の経過、大日本帝国憲法が定めていた「国家無答責の法理」(官吏が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。

日本政策研究センターの岡田邦宏は、機関紙『明日への選択』で、1989年の吉田の著書の韓国出版と「ほぼ同時期」に「日本人女性がソウルで日本政府相手に朝鮮人への公式謝罪と補償要求の訴訟を起こしてほしいと韓国人原告の募集を始め」たとしている[35]

一方、日本においては慰安婦を強制的に連行したと報道を行ってきた朝日新聞2014年に記事取消を行っている)に対して「ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本人の尊厳を傷つけて国際社会における客観的評価を下げた。」として訴訟が行われている。

日本の裁判所での判決

韓国の裁判所での判決

  • 1966年大韓民国大法院は慰安婦として35歳までに得られるはずであった報酬に見合う損害賠償を求めた慰安婦の告訴を棄却[83]

韓国行政裁判所による判決 (2009)

その後、2009年8月14日、ソウル行政裁判所は「1965年に締結された日韓請求権並びに経済協力協定により日本政府から無償で支給された3億ドル(1965年当時のレートで1080億円)で徴用者への未払い賃金への対日請求が完結しており、大韓民国外交通商部としては「すでに補償は解決済み」とした[84][85]

韓国外務省による再請求と韓国憲法裁判所判決 (2011)

しかし、大韓民国外交通商部2010年3月15日に、慰安婦については「1965年の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と発表[86]。同年3月17日、日本政府は改めて「日韓請求権並びに経済協力協定により、両国間における請求権は、完全かつ最終的に解決されている」とする見解を発表した[87]

2011年8月10日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が元慰安婦の賠償請求に関する日韓間の協定解釈の相違をめぐる争いを解決しないことは憲法違反」と判決[88][89][90][91]。9月15日、韓国外交通商省趙世暎東北アジア局長は「慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、日韓請求権・経済協力協定第3条により両国間協議を開催することを希望する」という口上書を日本側に提出、9月24日のニューヨークでの日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求をおこなう[91]。しかし10月19日のソウルでの日韓首脳会談では、慰安婦問題は議題にならなかった[91]2013年5月22日、この件に関して岸田外務大臣が国会で「具体的な協議等が行われたということは承知しておりません。」と答弁した[92]

フィリピンの裁判所での判決

2010年4月28日、フィリピン最高裁は自国民の日本政府に対する謝罪要求について裁判所がフィリピン政府に意見することは出来ないとして請求棄却[93]。また、日本との外交関係を混乱させ地域の安定を損なうとの外務省の判断があったと指摘した[94]。原告の慰安婦たちは、当局に国際司法の場に持ち込むよう要求、また1951年日本国との平和条約は無効とし、アジア女性基金から償い金を受け取り謝罪を受け入れたフィリピン政府を国際法違反と主張した[94]

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日本弁護士連合会による活動

秦郁彦は、日本弁護士連合会(日弁連)が慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[95]ことについて、日弁連は戸塚を通じて海外のNGOと連携を深めることで日本政府に特別法を制定させる戦略をとっていたとしている[95]

1992年2月、戸塚弁護士はNGO国際教育開発(IED)代表として、朝鮮人強制連行問題と「従軍慰安婦」問題を国連人権委員会に提起し、日本政府に責任を取るよう求めるとともに国連に対応を要請した[96][97]

日弁連は1995年2月、「従軍慰安婦」問題について個人に対する国家補償を行う立法による解決を提言し、これを日本政府や国連女性の地位委員会、第4回世界女性会議などに提出した[98]

NGO・市民団体

要約
視点

日本の運動家

「河野談話」発表に関わった当時、内閣官房副長官だった石原信雄は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり「韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない」という状況があったと語っている[99]

国史教科書研究所所長である金柄憲(キム・ビョンホン)は、「慰安婦問題それ自体が日本人から出発したもの」で、韓国の歴史教科書は「子供たちに嘘を教え続け」ていると述べている[100]

日本国内では2010年頃より、在日特権を許さない市民の会主権回復を目指す会などの「保守系住民団体[101]」は、「日本軍の従軍慰安婦への謝罪と補償」を要求している団体と激しく対立している[101]

韓国の市民団体

日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(旧挺対協)

太平洋戦争犠牲者遺族会

太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任会長は、1991年8月11日に「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と朝日新聞紙面で誤報記事を執筆した記者植村隆の義母でもある[102]

韓国運動団体による和解拒否

日本政府が主導したアジア女性基金が償い金を給付すると発表し、1997年1月から韓国人、フィリピン人など計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を受給を開始した[103]。韓国政府は当初は日本政府・アジア女性基金による償い金給付を歓迎した。しかし、韓国挺身隊問題対策協議会の反対を受けて、韓国政府もアジア女性基金からの給付を拒否する一方、日本からの償い金を受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給し、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に死去したものを除く142人に生活支援金の支給を実施した[103][104][105]

償い金給付に先立つ1996年10月、アジア女性基金に反対する「強制連行された日本軍『慰安婦』問題解決のための市民連帯」が韓国で結成され、独自の募金活動を行う[106]

1997年5月28日、同市民連帯は目標の約30億ウォン(約4億円)には及ばなかったが、日本の市民運動から9731万ウォン(約1500万円)、全体で5億5000万ウォンの募金が集まったとして、必要経費を除き、一人当たり約350万ウォン(約46万6000円)を元慰安婦151人に配布すると発表した[106]。しかし、「日本からの一時金200万円と医療福祉事業としての300万円の計500万円を受け取った7人の元「慰安婦」に対しては配布しない」とした[106]。さらに、他の運動関係者らが償い金を受け取った7人の慰安婦に対して「いくら受け取った?」「通帳を見せろ!」と脅迫したり、「日本からの汚れた金を受け取れば、本当の娼婦になる。7人は娼婦だ!」と中傷したり、韓国政府の生活援助金を7人に対し打ち切るように働きかけた[106][107]

挺対協の尹貞玉は「一部の人たちは、ハルモニたちが日本の募金を受け取ろうとするのをなぜ挺対協は邪魔するのかと言っているが、糖尿病にかかった夫が甘いものを食べようとすれば、涙をのんでもこれを止めさせるのが愛する妻のつとめである。ハルモニたちが、民族の自尊心と尊厳を日本に売り渡すことのないよう我々はハルモニたちを支えねばならない。」と弁明した[106]

こうした日本からの償い金を受け取った慰安婦に対する差別や嫌がらせなどの行動について、日本の支援団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の臼杵敬子は、「あらゆる活動、行事から7人を疎外する韓国運動体の制裁は、被害当事者の人権を無視した行動で慰安婦被害者をさらなる被害者とするもの」として批判し、75歳前後の高齢の被害者に対し、深い人権的な配慮を持つべきで、当事者が選択する意思が尊重されるべきだと主張した[106]。臼杵敬子は、アジア女性基金への考え方が違うとの理由から、挺対協が韓国政府に働き掛けて1997年に入国拒否指定させている[108]

またアジア女性基金大沼保昭も、もともと多様であった被害者のなかにも「お金がほしい」という者も多数いたのであり、「そうした被害者の声が、過剰に倫理主義的な支援団体、NGO、メディアによってつくられた世論によって抑圧されていた」として、日本の歴代首相の謝罪手紙やアジア女性基金の償い事業に感謝した元慰安婦もおり、そのような被害者を「ありえない」と主張するのであれば「それは自分の被害者像を唯一の被害者像とする傲慢というもの」ではないかと批判した[109]

日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議

フリージャーナリストの舘雅子は、1992年にソウルで開かれた『アジア連帯会議』は、松井やより福島瑞穂が仕切っていたと述べている。舘によると、元慰安婦の女性たちは会議の席上、事前に日本人と韓国人のスタッフから指導された通りに、自身の悲劇的な体験と語り、日本政府を非難した。台湾人の元慰安婦やタイの女性が異論を述べると、松井や福島が抑え込んだという[110]。 なお、産経新聞の記事では、台湾女性やタイ人女性の発言を封じ込めた人物を、舘雅子は松井ではなく、高橋喜久江としている[要出典]

これに対し、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「第12回アジア連帯会議実行委員会」は、訂正と取消の要求書を産経新聞社に送付した[111]。産経新聞は写真と写真説明を取り消し、団体名を直す訂正記事を掲載したが、その他の点については、訂正を拒否した[112]。(詳細は「日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議#批判」を参照)

女性国際戦犯法廷

2000年には、朝日新聞元編集委員の松井やよりが主催する「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク韓国挺身隊問題対策協議会などの団体によって「女性国際戦犯法廷」という民衆法廷が開かれた。「法廷」では「昭和天皇および日本国は有罪」との「判決」が下され、取材をおこなった海外のメディアが「日本国が女性を強制連行して性奴隷にした」と報じたことで慰安婦問題は世界各国でも認識されるようになった。[要出典]

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教科書問題

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慰安婦を巡る教科書の記述が問題になった2001年[113]、東京で行われた、内政干渉だとして韓国に抗議するデモ[114]

1993年(平成5年)、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述するよう要求した(歴史教科書問題参照[115])。同年6月30日には、日本の高校日本史検定済み教科書7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることが判明した[115][113]

中学生用の歴史教科書では、1997年には同年度用の7つの教科書全てに慰安婦に関する記載がされていた[113]

1996年、1997年度用中学校歴史教科書の検定を申請した7種の教科書が「慰安婦」に関する記載をしていることに反発し、藤岡信勝と西尾幹二などは1997年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)を発足させた[113]。「つくる会」は発足直後の1月に文部大臣と面会し、歴史教科書から「従軍慰安婦」の語を削除するよう求めている[116]

「つくる会」に反対する「子どもと教科書全国ネット21」は、「つくる会」の活動によって他の教科書から「慰安婦」に関する記述がなくなり、「強制連行」に関する記述も後退したとしている[117]

地方自治体による決議

2008年3月28日、兵庫県宝塚市議会は、「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求める意見書を採択した[118]

2010年6月までに同様の決議は25の地方議会で採択、うち16件については民主党政権発足後に採択している[119]

同様の決議は、東京の清瀬市三鷹市小金井市国分寺市国立市、千葉船橋市、大阪箕面市泉南市、京都京田辺市長岡京市、奈良生駒市、ほか札幌市福岡市田川市が採択した[120][121]

韓国における日本軍慰安婦問題

要約
視点

自国にも慰安婦が存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国(韓国軍がベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になった)[122]や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであるとの主張もある[誰によって?][122][123]。また日本に対する道徳的優位を誇示することで得られるナショナリズム的な「民族的快感」のために韓国は慰安婦問題を国際社会において利用しているとする見方もある[誰によって?][124]

韓国では複数の元セックスワーカーが、韓国政府とアメリカ政府が1960年代から1980年代にかけ、アメリカ軍基地周辺における違法な売春や性的な目的での人身売買に関与していたと主張しており、謝罪と賠償を求めている[104][125]。ニューヨークタイムズの取材では、「彼女らはまた、自国の歴史に厳しい目を向けることなく日本から賠償を求めてきた歴代の韓国政府の偽善を非難している」としている[125][126]

2000年代以降も、挺対協や韓国政府主催の世界韓民族女性ネットワークは日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を世界各地でおこなっており[127][128][129][130][131]、日本からは民主党岡崎トミ子議員が韓国でのデモに合流している[132]

2005年1月17日、韓国で日韓国交正常化交渉の関連資料が公開され、その中で、1964年5月2日に経済企画院長官が「民間人保有対日財産に対する補償措置」に関して「財産請求権の補償を前提に…個別的な補償を行わない」か否かを韓国外務部長官に問い合わせ、これに対し外務部長官は「日本と請求権問題を解決することになれば…個人請求権も含まれ解決される」と答えたことが明らかになった[133]。これについて韓国政府は2005年8月、1965年に日韓で結ばれた協定で反人道的違法行為は解決されていないとの見解を示した[85]

2012年8月14日には李明博大統領によって天皇に謝罪を求める発言が行われた(李明博による天皇謝罪要求)。

2017年1月31日に韓国教育省が発表した国定歴史教科書最終版では、慰安婦が「集団虐殺」されたとする記述が新たに加わることになった[134]

2017年11月、8月14日を「日本軍慰安婦被害者追悼の日」として国家記念日に定め、翌年に忠清南道天安市で政府主催の式典を開催し、文在寅大統領、鄭鉉栢女性家族部長官らが参加した[135]

日韓基本条約「無効」論

  • 日本政府は日韓基本条約および日韓請求権並びに経済協力協定で日韓の戦時中の補償問題は解決を見ているとの立場を一貫している。
  • しかし、2009年1月27日、法改正推進国会の金映宣政務委員長は「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律[136][137]改正案を国会に提出した際、日韓基本条約については無効と主張した[138]。2011年8月16日には、韓国で「日韓協定無効化のための国民行動」準備委員会が発足し、同団体は「日韓基本条約は無効」と主張し、韓国政府に日韓基本条約の破棄とその無効性を認めるよう働きかけるとしている[139]

元日本軍慰安婦への支援(韓国)

61名にアジア女性基金から事業実施 1人当たり500万円[66]

韓国では1991年の金学順の証言までは慰安婦について特別な支援は無く、会見当時の金学順自身も生活保護によって生活を支えていた。 1984年に元慰安婦の裵玉水(ペ・オクス)について、中央日報や女性誌「レディキョンヒャン」の記事となり、TBS報道特集でインタビューが放送されたが世論が動くことはなかった。[140]

元慰安婦による日本政府への提訴以後、韓国政府は真相究明後に日本による補償を求めてきた。 1993年、政権交代した金泳三大統領は、(女性アジア基金による補償を拒否した上で)日本には物質的補償を要求せず韓国政府が行うと発言。 これまでの指針を変更し、日本側が真実を明らかにすることを重視する姿勢をしめし、生活支援金を支給することとした。 [141]

従軍慰安婦問題に対して物質的補償を日本側に要求していない。(補償は来年から韓国政府がする)金泳三青瓦台首席秘書官会議での発言(1993.3.13KBSニュース)

韓国政府、生活支援金を支給へ

1993年3月29日、国内の慰安婦申告者135人に対して5万ウォンの生活保護基本金と、生活保護対象者に指定して毎月15万ウォンの支援金を支給することを発表。 また海外在住の被害者にも毎月5万ウォン を支給する。 [142] 同年8月5日より支給が開始され対象者には支給金とともに医療保険と永久賃貸住宅入居が与えられた。[143]

韓国政府、日本の民間レベルの補償への協力を拒否

1996年、村山富市首相の主導で、政府と国民の協力による補償としてアジア女性基金の償い事業が開始された。 しかし韓国政府はその協力要請に対して「日本政府が国際法的責任を認める」ことを求め要請を拒否した。 [144]

韓国政府、さらなる支援金支給へ 総額49億ウォン

金大中大統領は、現在生存している152人に対して、政府から1人あたり3千ウォン、民間募金から650万ウォンを支給するとした。 日本の民間団体による補償では、日本政府の道義的責任と謝罪要求が放棄されることにはならないと反発しての決定。 [145]

韓国での日本軍慰安婦に対する生活安定支援と記念事業に関する法律

大韓民国では、「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律」(法律第9932号、2010年改正)に基づき[136][137]、日本により強制動員され、「慰安婦」としての生活を強いられた被害者に対し、国家が人道主義の立場から保護・支援を行う[146]。生活安定支援対象者になろうとする者は女性家族部長官に登録申請をし(第三条第一項)、国家は生計給与、医療給与、生活安定支援金の支給、看病人支援を行う(第四条第一項)[136][137]。女性家族部に置かれた審議委員会が、生活安定支援対象者登録申請事項の事実の有無の認定などを行う(第六条第一項)[136][137]。国家および地方自治団体は、①記念事業、②歴史的資料の収集、保存、管理、展示と調査、研究、③教育、広報および学芸活動、④国際交流および共同調査、の事業を行うことができる(第十一条第一項)[136][137]

元慰安婦向け居住施設

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ナヌムの家

かつて日本軍の慰安婦であったとする韓国人女性数名と、韓国と日本の若者を中心としたボランティアスタッフが共同生活を送っている民間施設「ナヌムの家」が韓国 京畿道 広州市にある。ナヌムは朝鮮語で「分かち合い」、ナヌメチプで「分かち合いの家」の意。「被害の歴史を昇華させ、世界的な歴史と平和、人権の聖地にすること」を目的に掲げている[147]。日本軍「慰安婦」歴史館が併設されており、韓国側の立場に基づく慰安婦の説明の他、日本による朝鮮半島の統治や太平洋戦争についても韓国側の歴史観を紹介している。

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北朝鮮と日本軍慰安婦問題

コリア国際研究所所長の朴斗鎭は、従北政権と北朝鮮によるプロパガンダで韓日分断を目的としていると述べている[148]

国連における日本軍慰安婦問題

要約
視点

1992年2月25日、NGO 国際教育開発(IED)代表で弁護士の戸塚悦朗国連人権委員会で日本軍慰安婦問題を取り扱うように要請したが、これが国連での初めての慰安婦問題提起であった[149]。戸塚は、当時慰安婦問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、「日本帝国主義の性奴隷(sex slaves)と規定した」と述べている[150][151]

国連人権委員会

1993年、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会「武力紛争下の強姦、性奴隷制および類似慣行に関する特別報告者」の報告者であったリンダ・チャベスは準備文書で「性奴隷制度である」と明記した[152]、これが1998年マクドゥーガル報告書につながったとされる[152]。ただし、リンダ・チャベスは報告書をまとめることなく1997年に辞任した[153]

韓国の運動団体や日本カトリック教団[154]日本弁護士連合会[155]などの組織が、国連人権委員会に対して慰安婦問題の積極的なロビー活動を行った。1996年、国連人権委員会は「女性に対する暴力」の審議でラディカ・クマラスワミを特別報告者に任命し、その報告書が国連人権委員会に提出された(クマラスワミ報告書)。

1996年に国連人権委に報告されたクマラスワミ報告には日本軍慰安婦制度(公娼制度[156][157])を「軍用性奴隷制(Military Sexual Slavery)[158])」また「性奴隷制」と明記された[159][160]

1998年にマクドゥーガル報告書が提出された[161]

慰安婦問題を国連で扱うように活動してきた日弁連海外調査特別委員[162]戸塚悦朗弁護士は、国連小委員会による日本政府への勧告にはいたらなかったことを失望し、ロビー活動の不足を訴えた[163][164]。のちに戸塚らの政治的活動は日弁連内部から目的外・職務外行為であるとして批判され、戸塚は1998年に解嘱された[165]

2004年8月10日、東京造形大学教授で国際人権活動日本委員会の前田朗は、ジュネーブで開かれた国連人権促進保護小委員会において20万人もののコリア、中国などの女性が日本軍の慰安婦としての性労働を強いられたうえに拷問栄養不良などで殺害されたり、なかには爆撃下のたこつぼ(蛸壺壕)でレイプされた女性もいたとして大量虐殺的強姦という概念を提唱し、日本政府は何も聞こうともせず、いまだ何も行っていないと非難し、犯罪者である日本を処罰する権利と被害者の救済を要請した[166]

クマラスワミ報告

報告書の附属文書では慰安婦制度を国際法違反とし、日本政府に対して慰安婦に対する賠償を勧告している。

吉田証言」や事実誤認が多いとされるジョージ・ヒックスの著作を典拠としており[167]荒井信一[168]吉見義明秦郁彦らの歴史学者によって批判されている[169]

マクドゥーガル報告書

序論において「日本政府と日本帝国軍は20万以上のアジア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの性奴隷とした」「連日の虐待を生き延びた女性はわずか25%にすぎないと言われる」とする。こうした数字について、アジア女性基金は、信憑性がないとしている。

カトリック教会枢機卿白柳誠一は、報告書を受け、日本政府に謝罪と補償を求める[170]とともに「応じよ!国連勧告」100万人署名運動を呼びかけた[154]

日本政府は、マクドゥーガル報告書はゲイ・マクドゥーガルの個人報告書にすぎず、受け入れられないと回答した[164]

米国における日本軍慰安婦問題

要約
視点

対日非難決議

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マイク・ホンダ下院議員

1999年、マイク・ホンダ下院議員[171]が、第二次世界大戦時の戦争犯罪について日本政府が公式謝罪と賠償を求める決議を提案、カリフォルニア州議会は採択した[172][173]。ホンダ議員が提案した「日本の戦争犯罪」とは、強制労働と多数の捕虜抑留者の死、多数の中国人の死傷者を出したとされる南京事件、慰安婦の強要を指す[171]

慰安婦訴訟

2000年9月18日、第二次世界大戦中に日本軍に慰安婦にさせられたとする在米中国人や韓国、フィリピン、台湾人女性ら計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟をワシントン連邦地方裁判所で起こした[174][175]

原告のなかにはアメリカ市民でないものも多かったが外国人不法行為請求権法に依拠した[175][176]。アメリカに限らず国際民事訴訟においては外国主権国家に対して主権免除の原則があり、外国の国家を裁くことはできない[174][176]が、アメリカ法外国主権者免責法 (Foreign Sovereign Immunities Act; FSIA)[177]では国家の商業行為は例外とされており、元慰安婦ら原告側は「日本軍慰安婦制度には商業的要素もあった」として訴えをおこした[174]。日本政府は「日本国との平和条約サンフランシスコ講和条約)での国家間の合意で解決ずみ」としてワシントン地裁に訴えの却下を求めた[174]

米最高裁判決

2003年1月15日にカリフォルニア州高裁は、1999年に施行された戦時中の強制労働への賠償請求を認めたカリフォルニア州法は合憲とした[178]

しかし、1月21日にサンフランシスコ連邦高裁

アメリカ合衆国憲法外交権を連邦政府のみに与えており、戦後補償をめぐりカリフォルニア州が訴訟を起こす権利を州法でつくり出すことはできない[178]
「個人の賠償を解決するために裁判所を使うことは米国の外交権に反する[179]

としてカリフォルニア州法のヘイデン法を憲法違反と司法判断し、日本企業への集団訴訟28件をすべて却下した[178][179]

慰安婦訴訟についてワシントンD.C.巡回区控訴裁判所(高裁)が主権免除の商業活動例外は法の不遡及によって適用されないとして2003年6月27日に一審判決を支持し棄却[180]2003年10月6日、米国連邦最高裁判所は上告棄却[181]2004年6月14日、米国連邦最高裁判所ワシントン高裁へ差し戻す[182]2005年6月28日ワシントン高裁は平和条約と請求権については司法府に審査権が付与されない政治的問題として一審判決を再び支持した[183]。原告側は最高裁へ再審請求し、2006年2月21日にアメリカ合衆国最高裁判所は、却下の最終司法判断を下した[174][184][185]。このアメリカ最高裁の判決によって米国の司法当局および裁判所が日本軍慰安婦案件については米国で裁くことはできなくなり、また米国で訴訟を起こすこともできなくなった[174]。これらの集団訴訟に際してアメリカ合衆国政府・国務省・司法省は一貫して「サンフランシスコ平和条約で解決済み」との日本政府と同じ立場を明言している[174]。ただし、立法府(議会)はこの限りではない[174]ため、その後も下院などで非難決議が出されていく。

米国下院121号決議

2007年7月30日、旧日本軍の慰安婦制度を人身売買による性奴隷であるとしたアメリカ合衆国下院121号決議が、米下院本会議でナンシー・ペロシ下院議長のもと可決した。下院121号決議では日本軍慰安婦制度を「かつてないほどの残酷さと規模であった20世紀最大の人身売買の1つ」とし、「性奴隷にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求する」と明記された。日本政府は反論も抗議もせずに、安倍首相も「残念だ」とコメントするにとどまった[186]

米下院外交委員会は、2009年の9月にも対日謝罪要求決議を国連でも採択するよう働きかけている[187]

米国での採択を受けて挺対協は対日謝罪要求決議が各国でもなされるよう運動し[188]民団機関誌「民団新聞」も8月29日記事で日本への謝罪要求決議がアメリカに続けて世界各国で決議されるように活動することを呼びかけた[188]。2007年9月20日オーストラリア上院11月20日オランダ下院11月28日カナダ下院で対日謝罪決議が採択された。

決議案提出

2007年1月末にアメリカ民主党マイク・ホンダ 下院議員らが慰安婦問題に関する日本への謝罪要求決議案を提出した。過去にも同種の決議案は提出されていたが、いずれも廃案になっていた[189]。2月15日の下院公聴会で、李容洙金君子ジャン・ラフ・オハーンの3人の元慰安婦が証言。2007年2月25日フジテレビ放送の『報道2001』でホンダ議員は「反日決議案ではなく和解を意識したもの」と述べた[189]

安倍発言

安倍晋三首相は2006年の組閣後、「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」とし[190][191]、米国下院の対日決議案は「客観的事実に基づいていない」と発言した[191]。安倍発言は国内外で大きな波紋を呼び、2007年の4月に初訪米した安倍首相は、「私の真意が正しく伝わっていない」、慰安婦が当時苦しい状況にあったことには「心から同情する」と述べた。

在米韓国人のロビー活動と政治資金提供

121号決議は、全米各地に決議案採択のための汎対策委員会を設立した韓国系アメリカ人による議員らへのロビー活動の結果だったと言われる[188]

マイク・ホンダは、2009年に韓国の江原道知事の招待で訪韓し、江原大学から名誉博士号を受け[192][193]、韓国の外務省からも対日行動について感謝の意を伝えられた[194]

韓国系・中国系住民によるロビー活動

在外中国人団体・世界抗日戦争史実維護連合会のロビー活動

ホンダは、在米中国人団体、世界抗日戦争史実維護連合会[注釈 3]からも政治資金の提供を受けていたが[196][197][198]中西輝政は、同団体が慰安婦問題や南京事件・靖国神社問題などで日本の戦争責任を繰り返し、日本の孤立化と弱体化をめざしているとしている[196]。同団体と中国政府の連携も指摘され[196]、カナダでも抗日連合会支部が活動し、対日謝罪決議が採択された[186](後述)。

2007年12月13日に欧州議会でも対日謝罪決議が採択された[199]。翌2008年3月11日にフィリピン下院外交委[200]、10月27日に韓国の国会が謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択[201]、11月11日に台湾の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択する[202]など、サンフランシスコ講和条約締結国[203]を多く含む国々から、同様の決議が次々に出された。

州議会

2013年1月16日、ニューヨーク州議会でトニー・アベラ上院議員らが「日本軍慰安婦は人道に対する罪で20世紀最大の人身売買」と断定し、日本に謝罪を求める決議案を提出[204]、2013年1月29日に上院で採択された[205]

カナダにおける日本軍慰安婦問題

世界抗日戦争史実維護連合会カナダ支部のロビー活動

カナダの決議案では「日本政府は日本軍のための『慰安婦』の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定していくこと」と明記された[186]。カナダで対日謝罪決議を推進したのは野党の新民主党の中国系女性議員オリビア・チョウ(鄒至蕙)で[186]、またカナダには世界抗日戦争史実維護連合会の支部カナダALPHA(第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)がロビー活動を持続的に行なっており2005年にはカナダの教科書に南京事件がユダヤのホロコーストに並んで記載され、この対日決議案も推進した[186]。カナダでの決議採択は2007年3月27日に国際人権小委員会で賛成4票、反対3票で可決、次にカナダ下院外交委員会で5月10日に審議されたがカナダ保守党議員らが「日本への内政干渉だ」「日本はすでに謝罪している」と反対、再調査として差し戻された[186]。以降、カナダALPHAの活動は過激化し、カナダ全土の中国系住民をはじめ韓国系・日系住民を動員し、トロントALPHA、ブリティッシュコロンビアALPHAなどの組織を編成、セミナーやロビー活動を展開した[186]

慰安婦像・慰安婦の碑

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ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像。正面の建物が日本大使館。

2011年、韓国挺身隊問題対策協議会ソウル日本大使館前の歩道に慰安婦像を違法に設置し、その後、韓国内に計50箇所以上設置された。

2015年の慰安婦問題日韓合意後も、日本大使館前の慰安婦像は撤去されることはなく、翌年釜山の日本総領事館前にも合意に反対する市民団体や大学生などによって慰安婦像が設置された[206][207]。2017年、日本政府は像の設置は日韓合意に違反しているとして、長嶺安政駐韓大使などを一時帰国させる措置をとった[208]

旧日本軍慰慰安婦に関する石碑や像が、韓国、中国、台湾、日本、フィリピンに設置された他、アメリカカナダオーストラリアドイツでは、韓国韓国系や中国系住民が多い地域を中心に設置されている。ソウルの日本大使館前や釜山の日本総領事館前の慰安婦像は、日韓の外交問題に発展している。

その他の近年の動向

2013年5月13日に橋下徹大阪市長が「歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」などと慰安婦問題について発言し、日本、韓国、アメリカなどで話題になった(橋下徹#慰安婦問題について参照)

2015年12月28日の日本と韓国の合意について、12月29日に台湾の外交部長が記者会見し、台湾とも協議に応じるよう日本に要求した[209]

人権・人道に対する罪

戦後、ドイツは「人道に対する犯罪(人道に対する罪)には時効はない」と宣言した[210]。ただし、ドイツ軍(ドイツ国防軍および武装親衛隊)慰安婦への戦後補償は実施されていない[211])。ほか、日本のフェミニスト女性学[誰?]や、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などでは慰安婦問題を女性に対する暴力・性犯罪強姦罪として問題にしている。

韓国系アメリカ人によるロビー活動においては近年、ホロコースト問題と日本軍慰安婦制度問題とを同列に考えようとしてユダヤ系アメリカ人との連携を進行させており、2011年12月15日にはコロンビア大学で「女性の権利」フォーラム主催のシンポジウム「人類の希望:ホロコーストと慰安婦の生存者の声」が開かれホロコーストの生存者である女性2名と、元慰安婦2名、チャールズ・ランセル下院議員、韓国系アメリカ人投票者協議会(KAVC)のドンチャン・キム会長らが参加した[212]

東郷和彦は、慰安婦問題とホロコースト問題とを同列に扱いえないことはユダヤ・ロビー自身が最も理解できるに違いないとしたうえで日本の外交戦略としてユダヤ・ロビーとの連携を訴えた[213]

事典・辞書の記載

『広辞苑』

初版(1955年)では、慰安婦について「戦地の部隊に随行、将兵を慰安した女」と解説されていたが、慰安婦問題が社会問題化すると[214]、「日中戦争太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。(第5版)」などと変化した(詳しくは「広辞苑」を参照)。

他の事典・辞書の記載

  • 世界大百科事典』第2版(2006年)従軍慰安婦「十五年戦争期に、戦地・占領地で日本軍の監督下に置かれ、軍人・軍属の性交の相手をさせられた女性。」「その本質は軍性奴隷である」と解説している[215]
  • 大辞林』第3版(2006年)慰安婦「日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮などアジアから集められ、戦地で日本軍将兵の性の相手となることを強要された女性たち。」[216]
  • 大辞泉』(2006年)慰安婦「かつて、主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性。」

公的資料

※当時の日本軍、政府が発令した通達は本文を参照。

朝鮮での慰安婦 朝鮮半島では国家総動員法に次ぐ国民徴用令に基づいた挺身隊(女子の動員は1943年9月から)から、植民地女性を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当時の朝鮮では「挺身隊」を「慰安婦」と混同するデマが流布しており(韓国における「挺身隊」と「慰安婦」の混同と流言参照)、また慰安婦と称する者の証言以外には「慰安婦強制連行」の客観的証拠は見つかっておらず、朝鮮半島における命令書等の公文書は現在までに発見されていない。(「慰安婦の強制連行」参照)

東京裁判における資料

日本政府による調査

  • 宮澤内閣以降、アジア女性基金によるその後の調査は「政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料」としてまとめられ、龍溪書舎から全5巻刊行され、公式HPでも公開されている[218]。この資料集にはこれまでの当時の日本軍慰安婦関連の資料が網羅されている。

関連作品

  • 記憶と生きる - 慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画
  • 主戦場 - 日本の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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