ポワティエの戦い
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この項目では、1356年に行われたポワティエの戦いについて説明しています。732年に行われたポワティエの戦いについては「トゥール・ポワティエ間の戦い」をご覧ください。 |
ポワティエの戦い(仏: Bataille de Poitiers、英: Battle of Poitiers)は、百年戦争の一環として1356年9月19日にプランタジネット朝イングランドとヴァロワ朝フランスの間で行われた戦い。ポアティエの戦いとも表記する。
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ポワティエの戦い | |
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ポワティエの戦い | |
戦争:百年戦争 | |
年月日:1356年9月19日 | |
場所:フランス、ポワチエの南、ヌアイエ=モーペルテュイ近郊 | |
結果:イングランドの決定的な勝利 | |
交戦勢力 | |
イングランド王国 ブルターニュ公国 ガスコーニュ |
フランス王国 スコットランド王国 神聖ローマ帝国 |
指導者・指揮官 | |
エドワード黒太子 ジャン3世・ド・グライー(英語版) |
ジャン2世 フィリップ2世 ドーファン・シャルル ピエール1世† フィリップ・ド・ヴァロワ |
戦力 | |
7,000-9,000の軍勢 | 12,000-18,000の軍勢 |
損害 | |
不明 | 死者2,000名 |
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戦いに先立つ1356年8月8日、エドワード黒太子はアキテーヌを根拠地に北上しつつ騎行戦術をとった。地方に駐屯する守備隊を撃破し、物資を略奪することによって調達した。
トゥールのロワール川近辺で、イングランド軍は根城を確保できておらず、また、大雨により都市を焼き払うことができずに行軍が遅れ、フランス王ジャン2世はイングランド軍に追いついた。