Loading AI tools
日本のタイヤメーカー ウィキペディアから
株式会社ブリヂストン(英: Bridgestone Corporation)は、日本のタイヤメーカー。石橋正二郎[3] によって創設され、東京都中央区に本社を置く。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄[4][5]。
ブリヂストン本社が入居する東京スクエアガーデン | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 指名委員会等設置会社[1] |
市場情報 |
大証1部(廃止) 5108
|
略称 | BS |
本社所在地 |
日本 〒104-8340 東京都中央区京橋三丁目1番1号 (東京スクエアガーデン) |
設立 |
1931年(昭和6年)3月1日 創業:1892年(明治25年) |
業種 | ゴム製品 |
法人番号 | 3010001034943 |
事業内容 | タイヤ、化工品、運動用品 |
代表者 |
取締役代表執行役Global CEO 石橋秀一 取締役代表執行役Joint Global COO 東正浩 |
資本金 |
1263億5400万円 (2023年12月31日現在)[2] |
発行済株式総数 |
7億1369万8221株 (2023年12月31日現在)[2] |
売上高 |
連結:4兆3138億円 (2023年12月期)[2] |
営業利益 |
連結:4817億7500万円 (2023年12月期)[2] |
経常利益 |
連結:4441億5400万円 (2023年12月期)[2] |
純利益 |
連結:3313億500万円 (2023年12月期)[2] |
純資産 |
連結:3兆4053億9400万円 (2023年12月31日現在)[2] |
総資産 |
連結:5兆4278億1300万円 (2023年12月31日現在)[2] |
従業員数 |
連結:125,199名 単体:14,106名 (2023年12月31日現在) |
決算期 | 12月末日 |
会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人 |
主要株主 |
石橋財団 10.89% 日本マスタートラスト信託銀行(信託口)8.29% 日本カストディ銀行(信託口 4.94% SMBC日興証券 3.08% 石橋寛 2.98% 日本生命保険 2.5% 永坂産業 2.32% (2020年12月31日現在) |
主要子会社 | ブリヂストンタイヤジャパン、ブリヂストン化成品、ブリヂストン化工品ジャパン、ブリヂストンスポーツ、ブリヂストンサイクル、ファイアストン |
関係する人物 |
石橋正二郎(創業者・元会長) 石橋幹一郎(元会長) 石橋寛(元監査役) 石橋徳次郎(元取締役・元日本ゴム会長) 石橋義雄(元日本ゴム会長) 石橋進一(元副社長・元日本ゴム会長) 石橋慶一(元日本ゴム取締役・元旭興産会長) 荒川詔四(元CEO) 津谷正明(元CEO) |
外部リンク |
www |
フランスのミシュランに次ぐ自動車用タイヤサプライヤーであり、ミシュランとアメリカのグッドイヤーと共に、世界3大タイヤメーカーの一角である[6]。
1930年に、ゴム産業が盛んであった福岡県久留米市で日本足袋(現アサヒシューズ)のタイヤ部門として発足し、1931年にブリッヂストンタイヤ株式会社として分社独立した。その後、1951年にブリヂストンタイヤ株式会社に社名変更し、1984年に株式会社ブリヂストンに社名変更した。
社名は、創業者の石橋正二郎にちなみ、英語の「ブリッジ」(橋)と「ストーン」(石)を合成したものである。姓を直訳して「ストーンブリッジ」では語呂が悪いので、逆さにして「ブリヂストン」とした。また当時、タイヤの世界的ブランドだったファイアストンのような一流企業になりたいという思いも込められた[注釈 1]。創業者の社是は「最高の品質で社会に貢献」。
ブリヂストンブランドのスポーツ用品事業(ゴルフやテニスなど)、自転車事業はグループ子会社が行う。三井住友銀行とは旧住友銀行時代から緊密な関係にある。
国内で市販されているタイヤは、基本的にブリヂストン本体から販売会社がタイヤを買って市場に供給している[注釈 2]。販売会社はかつては各都道府県にあったが、経営統合により一部地域を除いて全国1社化された。店舗ブランドとして「ブリヂストンタイヤショップ」「コクピット」「タイヤ館」「ミスタータイヤマン」を持つ[注釈 3]。
売上高の地域別内訳は、日本国内が25%程度で、半分近くが南北アメリカ大陸である[7]。
シンボルマークとして、現在はアルファベットの「B」をかたどったものが使われている。1980年(昭和55年)に創立50周年「ブリヂストンは拡がる、世界へ、生活へ」のCI目標を掲げたプロジェクトの一環として梅田正徳の手によって手がけられたもので、1984年(昭和59年)に発表された[8]。2011年(平成23年)には、丸みを帯びたものに若干変更が加えられ(ロゴフォントも同様)、旧ロゴのRの文字が見やすく変更された[9]。
1967年から2020年現在[注釈 4]まで使用しているシンボルマークは、凸の中に「BS」の文字を入れたもので、ブリヂストンはキーストンマークと称している[9]。現行のロゴマークは7代目である[9]。1967年(昭和42年) - 1984年(昭和59年)当時のマークには、ブリヂストンを略した「BS」が使われた。
古くから日本国内のモータースポーツ、特に全日本F2000選手権→全日本F2選手権→全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポン→スーパーフォーミュラと続く国内トップフォーミュラ(2015年一杯で撤退)や、グループCで争われた全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などにタイヤを供給しており、これらのシリーズでダンロップ・横浜ゴムといったライバルメーカーと激しい競争を繰り広げた。またフォーミュラ・ニッポン→スーパーフォーミュラでは1997年(平成9年)から2015年(平成27年)までタイヤは同社のワンメイクとなっていた。全日本F3選手権も1988年(昭和63年)から2008年(平成20年)まで同社製タイヤのワンメイクとなっていた。
インディジャパン300mileの冠スポンサーでもあった。
ツーリングカーレースについても、全日本GT選手権(JGTC)→SUPER GTに対してシリーズ発足当初よりタイヤ供給を行っており、2010年(平成22年)現在上位クラスのGT500クラスでは最大シェアを誇っている。一方で下位クラスのGT300クラスにはタイヤ供給を行っていなかったが、2011年シーズンよりARTAガライヤに供給を開始した。2024年よりスーパー耐久シリーズにオフィシャルタイヤサプライヤーとしてタイヤ供給を発表したが[20]、2023年3月12日にハンコックタイヤ大田工場の大規模火災の影響をうけ、同年5月26日から28日に開催された富士24時間レースより緊急対応でタイヤ供給を開始した[21]。
この他欧州において、ヨーロッパF2選手権→国際F3000選手権(1985年まで)、ドイツツーリングカー選手権(第1期)などといったレースにもタイヤを供給していた実績がある。
北米大陸では現在同社傘下にあるファイアストンブランドでのタイヤ供給がメインで、現在インディカー・シリーズ(IRL)やその下位カテゴリーであるインディ・ライツなどがファイアストンタイヤのワンメイクとなっている。一方、以前存在したチャンプカー・ワールド・シリーズ(CART/CCWS)など、北米大陸においてブリヂストンブランドでタイヤ供給を行った例もある。一時はIRL用のタイヤ製造の一部をブリヂストンの小平工場で行っていた時期もあった[22]。
二輪レースでも近年急速に評価が高まったことにより、2009年(平成21年)からはロードレース世界選手権のMotoGPクラスがブリヂストンのワンメイクとなっていたが、「ブランド力の向上や技術開発に一定のめどがついた」として2015年シーズンをもって撤退することを発表した[23]。
このようにブリヂストンはモータースポーツで名声を獲得し続けたメーカーだが、2010年代には一時活動を縮小していた。F1、MotoGP、スーパーフォーミュラ、F3、ラリー向けタイヤからは撤退し、四輪ではSUPER GTやニュルブルクリンク24時間レース、86/BRZレース、全日本ジムカーナ、レーシングカート程度に限られ、世界選手権への供給はしていなかった。ただ前述の通り、2023年のシーズン途中からスーパー耐久の公式タイヤサプライヤーとなったほか[24]、2026 - 2027シーズンからはフォーミュラE世界選手権へのタイヤ供給が決まるなど[25]、2020年代に入り再び活動範囲を広げている。
二輪ではFIM世界耐久選手権(EWC)、全日本ロードレース選手権、全日本モトクロス選手権に供給を続けている。
フォーミュラ1に関しては1976年のF1世界選手権イン・ジャパンにヒーローズレーシングが購入したティレルの中古マシン007で、1977年の日本グランプリにコジマKE009でスポット参戦したことはあった。
1989年より、レイナードのF3000シャーシやティレル・018、020を購入した無限によるF1エンジンテストに協力する形で[26] 独自のF1用タイヤの基礎研究を重ね、1996年にはリジェ・JS41を購入しF1タイヤを知る鈴木亜久里がテストを担当、水面下で開発を継続していた。そして当初1998年(平成10年)からのF1参戦を発表したが、トム・ウォーキンショーの協力を得て欧州各地で積み重ねたアロウズ(TWR)による実走行テストの進捗が順調であったことから、予定を1年前倒しして1997年のF1世界選手権より参戦を開始[27]。総指揮はモータースポーツ・モーターサイクルタイヤ開発本部長の浜島裕英が撤退する2010年(平成22年)末まで務めた。
1998年のF1世界選手権の開幕戦オーストラリアGPで、マクラーレンのミカ・ハッキネンがMP4-13を駆ってブリヂストンに初優勝をもたらした。また、同年の最終戦日本GPでハッキネンがワールドチャンピオンを、マクラーレンがコンストラクターズタイトルをそれぞれ獲得し、ブリヂストンはグッドイヤーを降して参戦2年目でダブル世界チャンピオンに輝いた。
1999年(平成11年)にグッドイヤーが撤退してから2年間はワンメイク供給を行ったが、2001年(平成13年)からはミシュランが参戦しての争いとなった。2004年(平成16年)まではドライバー、コンストラクターそれぞれのタイトルをサポートできたものの、2005年(平成17年)、2006年(平成18年)はミシュラン(ともにフェルナンド・アロンソおよびルノーF1)に敗れている。
2006年(平成18年)のドイツGPにおいてF1通算100勝を達成した。2007年(平成19年)からは、F1でのミシュラン撤退でブリヂストンのワンメイクとなる(契約上は2008年度 - 2010年度)。
2009年(平成21年)11月2日、2010年(平成22年)の公式タイヤサプライヤー契約の満了をもってF1活動からの撤退を発表、2010年(平成22年)末に正式撤退した[28]。
F1で使用されるソフト側タイヤのライン(2008年は白、2009年は緑)は、特製マジックインキによるスタッフの手書きだった。
2023年には、2025年から3年間のF1公式タイヤサプライヤーとしての入札に参加したが、同年10月にピレリが選ばれたため、F1復帰は実現しなかった[29]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.