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日本の俳優(1946−) ウィキペディアから
岡本 富士太(おかもと ふじた、1946年〈昭和21年〉11月21日[1][2][3] - )は、日本の俳優。本名は同じ[1][3]。円企画所属[4]。
1966年、東京芸術座附属演劇研究所を卒業[3]。同期には、小野寺昭、小野川公三郎がいた[6]。同年、劇団雲に入団[5]。
1975年には、演劇集団 円の会員に昇格し現在に至る[4]。
1974年の『事件狩り』でのゲスト出演が好評で、プロデューサーの野添和子が『バーディー大作戦』プロデューサーの近藤照男へ紹介したことにより、同作の出演が決まる[5]。後番組の『Gメン'75』に続投し、初代メンバーの1人である津坂真一刑事として1975年5月24日から1977年5月14日まで2年間出演した[7]。『Gメン』途中に他作品からも声が掛かるようになり、刑事役以外に等身大の若者を演じてみたいという気持ちから、第104話「77.5.14 津坂刑事殉職」を以って同番組を降板している[8]。
妻である鶴間エリとは『Gメン75』の共演がきっかけで交際した後、1981年に結婚した。
1989年には『中学生日記』に美術担当教師・南浩平で出演し、1996年までレギュラーを務めた[2]。
また同じく1989年には、東映のスーパー戦隊シリーズ『高速戦隊ターボレンジャー』にレギュラー出演している[9]。
『Gメン』で監督を務めていた堀長文から、当初は『仮面ライダーBLACK RX』に鶴間とともに夫婦役での出演オファーがあったものの、周囲からの反対を受けて『RX』には鶴間のみが出演することになり、代わりに『ターボレンジャー』に出演することになった[9]。
洋画吹き替えも複数担当し、磯部勉、小川真司、菅生隆之、山寺宏一、井上和彦と並んでハリソン・フォードとメル・ギブソン両者の吹き替えを経験している。
特技は、中学生の時から習っていた柔道(三段)[2][10]、洋弓[1]、小学生の時から習っていたフェンシング[1][10]。
『ターボレンジャー』で共演した佐藤健太によれば、岡本は撮影を楽しむタイプの俳優で、時折オヤジギャグで周囲を和ませようとしていたと述べている[11]。
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