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木村 裕子(きむら ゆうこ、1982年8月17日 - )は、日本の女性タレントである。
幼少期、通っていた幼稚園に当時所蔵されていた電車の本を読んだり[注 1]、家庭では電車の玩具を欲しがっていたものの[注 2]、「女の子だから」と買ってもらえず、押し入れの襖を使って電車ごっこをしたりしていた[3]。
中学、高校時代の頃は、目的なく列車に乗って遠方へ出掛けたり、駅のホームに立って車両を眺めることがストレスの発散方法だった[4]。
地元の高校を卒業後、就職してシステムエンジニア (SE) として勤務するが、芸能界入りの夢は捨てがたかった[要出典]。
「ぶっ飛んだ人生を送りたい」が口癖で、人前に立つことや目立つことが好きだったこと、自分という素材で勝負できる仕事がしたかったことが芸能界への憧れの根元にあった[要出典]。中学時代に図書館で西川貴教 (T.M.Revolution) の自伝を読んで[5]、彼のような生き方をしてみたいと思い、歌を聴きライブへ通い影響を受けた[要出典]。
友人に撮影されたポートレート写真の出来が良かったことに感激し、「橘頼香[注 3]」の芸名でホームページを開設してSEのままネットアイドルとして活動を開始[注 4]した。ホームページが雑誌「スピカ」(廃刊)に掲載されると、読者投票でグランプリに選出され、以後各誌に掲載されてヒット数が連日1万を超えた[要出典]。
これをきっかけに後年、芸能界を目指すべく仕事を辞め、家出同然に大阪へと進出[6]。事務所[要追加記述]に所属し撮影会や「須磨浦TV」、雑誌モデルなどで活動する。途中芸名を「ゆうこ」、「木村裕子」(本名)と2回変更する。
フリーペーパーに掲載されていたジェイアール東海パッセンジャーズ (JRCP) の車内販売員募集広告を見て応募し、JR東海の在来線特急列車で車内販売員として2年間勤務[4][5][注 5]した。この勤務を経験して幼少時から抱き続けてきた鉄道への興味がさらに高まった[5]。
特急「南紀」乗務中に撮影された画像[注 6] が2004年7月の「鉄道浪漫 Vol.3」(イカロス出版刊)に掲載された[注 7]。
2004年、西川のオールナイトニッポン『青春女神伝説』のオーディションを受けて二次選考を通過し、「悩殺車内販売員ゆうこ」のキャッチフレーズで渋谷のライブハウスで最終選考に臨んだ[要出典]。 優勝は逃したが「T.M.Revolutionと同じ舞台に立つ」目的を実現した。
2005年になり「DVDを出す」ことを目標に東京進出を目指し、複数の芸能事務所のオーディションを受ける。この時履歴書に「趣味:乗り鉄・鉄道グッズ集め、特技:車内販売員の放送、PR:明るい性格の鉄道ヲタク」と記載し、事務所にインパクトを与えた[要出典]。複数の内定先を得て「シャイニングウィル」とマネジメント契約し、2年間在職したJRCPを退職して東京へ進出する[要出典]。
2005年年末、「鉄ドル木村裕子」として初めての撮影会イベントを行う[要出典]。
2006年初め、公式ホームページ名を「ゆうこでGO!」に変更して同名でブログを開始し、「鉄ヲタ」であることを公言[要出典]した。
2006年2月に、DVD「鉄道ファンのゆうこちゃん」を発売[要出典]する。
2006年6月以後、あだ名として「ゆゆ」を使用し始める[注 8]。
2006年9月から約1年間中野風女シスターズのメンバーとして活動した。
旅先の自らの現在地を写メールで日記へアップし、ファンが現在地を探す「鉄道鬼ごっこ[注 9]」や阪堺電気軌道(阪堺電車)貸切イベント、ライブチャットなど活動した。
本人の意志で2007年2月にシャイニングウィルを辞め、フリーとなる[要出典]。
この直前に進路を悩んで体調を崩し、実家と病院の往復を繰り返したが、週に一度のライブチャットは欠かさずに開催した[要出典][注 10]。
2007年3月31日以降はブログ「鉄ヲタだって人間だぁ!」を主な情報発信源として活動している[注 11]。
2007年6月頃にブログで、「グラビアアイドル」ではなく「鉄道アイドル」であると記している[注 12]。
菊池直恵の漫画『鉄子の旅』の大ファン[要出典]で、トラベルライターの横見浩彦と親交があり、『鉄子の旅』第6巻刊行記念サイン会でアシスタントを務めた[要出典]。
2007年1月20日に鹿島鉄道を訪問した際、横見[注 13] から「スーパーレールクイーン」の称号を与えられ、横見の企画に登場する機会が増える。
2007年9月5日に「東海道本線全駅下車」を美濃赤坂駅で達成した[注 14]。新聞、雑誌、テレビの取材を受けた[要追加記述][注 15]。
2007年9月に、記事掲載されたJTBパブリッシング「JTB時刻表」のサインプレゼントのために編集部を訪問した。
2007年10月から2008年5月まで、知人のフリーライターを事務員に起用[注 16]した。
2007年12月27日深夜に体調を崩して救急搬送され緊急入院した[注 17]。
2008年6月1日からオフィス北野に所属する。
2018年5月12日にブログで、オフィス北野を前日に退所したことを公表[7]した。
2018年6月1日にブログで、マセキ芸能社に所属したことを公表[8]した。
2021年5月30日に肩書を「鉄旅タレント」から「解毒案内人」に改めて鉄道関係の仕事を終了し、2019年から始めた心理を主体に活動することを、2020年12月1日にブログで明らかにした[9]。
「鉄ドル」公言後。
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2013年
2015年
2018年
2021年
ウェブ出演含む。
「鉄ドル」公言後
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