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日本のお笑いタレント (1955-) ウィキペディアから
村上 ショージ(むらかみ ショージ、1955年〈昭和30年〉5月28日 - )は、日本のお笑いタレント。本名は村上 昭二(むらかみ しょうじ)。
村上ショージ | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2016年 - |
登録者数 | 1.49万人 |
総再生回数 | 2,037,725回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2022年7月20日時点。 |
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
村上ショージ | |
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本名 | 村上 昭二(むらかみ しょうじ) |
生年月日 | 1955年5月28日(69歳) |
出身地 | 日本・愛媛県越智郡吉海町 |
血液型 | B型 |
身長 | 164cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 大阪弁 |
最終学歴 | 広島県立因島高等学校 |
師匠 | 滝あきら |
トリオ名 | 何人トリオ(解散) |
グループ名 | 吉本坂46(2018年 - ) |
相方 |
Mr.オクレ 前田政二 |
芸風 | 漫談、一発ギャグ、コント |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1977年 - |
同期 |
ルー大柴 所ジョージ ラサール石井 小堺一機 松本竜助 |
現在の代表番組 |
痛快!明石家電視台 ヤングタウン土曜日 |
過去の代表番組 | オレたちひょうきん族 |
他の活動 | 俳優 |
配偶者 | 独身(離婚歴あり) |
親族 | TSUMIKI☆YANKE(娘)[1] |
公式サイト | 公式プロフィール |
瀬戸内海に浮かぶ伊予大島の愛媛県越智郡吉海町で、村上家の三男として生まれる。「昭和の時代に生まれ、常に二番手を走れ、という意味で昭二と名付けられた」と本人がたびたび話していたが、2007年3月3日放送の「MBSヤングタウン土曜日」で「本当は名前の由来は分からない。聞かれたときに何か答えなければならないと思い、そのように答えていた」と話し、名前の由来すらもネタにしていたことが発覚した。よく「村上ジョージ」と間違われ、一時期はこれを芸名にしていたこともあった。また村上水軍の末裔と語っていたこともあるが家系図などは見つかっておらず、実際末裔かどうかは不明[2]。
母を早くに亡くし、父も身体が悪く生活保護を受けた[3]。中学卒業後、親戚の伝で広島県因島市(現:尾道市)に移り、因島高校の定時制に通いながら日立造船因島工場で溶接工として働いた[4][5][6]。1976年、造船所の溶接仕事の合間に見た「ヤングおー!おー!」(毎日放送制作・TBS系)の明石家さんまを見て、「この人になろう!」と決意する[7][8]。実は、それまでもお笑いをやりたくて、吉本に入りたくて仕方なかったが、父親が反対したため、親孝行のために地元で就職していた[8]。しかし父親が亡くなって兄から「好きに生きろ」との許可が降り、1977年、吉本入りを志願し大阪へ向かった[7][8]。面接の時、吉本の面接官から「何が出来る?」と問われ「溶接です」と答えた(この事から、初めて吉本から与えられた仕事は劇場の手摺の溶接だった[4][9])。
「楽そうだから」「優しそうだから」という単純な理由で、吉本所属の漫談家だった滝あきらに弟子入り[7]。その後、「ヤングおー!おー!」の『パッパラパーズ』のメンバーとなり、全国ネットのテレビ番組に出演。その後も「さんまのサタデーナイトショー」(テレビ東京)などで東京進出を果たす。兄弟子に司会者の滝トール、タレントの九十九一らがいる。ただし九十九が、師匠である滝の葬式に姿を現わさなかったことで、後に顔を合わせた際に「義理人情がないのか」と口論になったことがある[10]。
京都花月劇場で初舞台を踏むが、ドジョウを一匹丸ごと飲み込むという芸を披露し観客席からは悲鳴が上がってしまった。弟子であるさんまの友達の初舞台ということでこれを見物していた笑福亭松之助は憤慨し、大阪で仕事中のさんまを京都まで呼び出し「二度とドジョウ飲むなと言っとけ」と注意した[11]。
1982年、岡田祐治と漫才コンビ・NGⅡとして今宮こどもえびす新人漫才コンクールに出場。ダウンタウンによると、大賞の筆頭候補だったが大賞を獲ったのは、そのダウンタウン。NG2は奨励賞受賞。
1980年代後半、人気バラエティ番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)に、お笑いトリオの何人トリオ(旧・難民トリオ)の一員としてレギュラー出演。ギャグだけを売りにするギャグ芸人の代表格で、「ドゥーン」「何を言う・早見優」などのダジャレ交じりのギャグで有名になる。番組内では、いつものようにショージが「なにを言う」のギャグを言った後、突然、早見優自身が実際に登場して「はやみゆう!」と叫んだことがあり、その後、失笑し続ける早見に対して、ショージやさんま達が唖然とした表情で彼女を見つめるシーンがあった。
近年は専ら明石家さんまの相方的存在で、数々の番組で共演している。また、さんまの個人事務所である「オフィス事務所」にもラサール石井らと共に籍を置き、年末年始にはさんまのオーストラリアの別荘で過ごしている。出会った当初からさんまに惚れ込んでいたようであるが、時折他の誰もがためらうような「厳しいツッコミ」を暴走したさんまに放っている。年齢は同じだが、芸能界デビューが若干遅いため「兄さん」「先生」などと呼んでいるが、稀に「お前」「あんた」などとも呼ぶこともある(ただし、さんまは特に怒らず、それから新たな笑いを生み出すこともある)。 1989年にモデルと結婚。仲人は当時夫妻だったさんま・大竹しのぶ(ただしさんま自身は所用で披露宴を欠席したため不仲説が出た)が務めた。長女も誕生するなど円満な家庭を築いているかに見えたが、その後1999年に離婚。なお、離婚直前に出演した「はなまるマーケット」(TBS)で、離婚をほのめかすような発言をしていた。そして離婚したのをきっかけに同年からさんまからの勧めで大阪を離れ、東京に住居を置くようになった。現在は東京と同時に大阪にも住居を置いている。
総合格闘技イベント「PRIDE」ではリングアナウンサーの一員を務めた。紋付袴姿で登場して扇子を見ながら選手名を叫ぶのが基本スタイルで一切ギャグはない。他のリングアナが代替わりして、2000年からの参加なのに対して、1997年の第1回大会からリングアナを継続しているショージは最古参のメンバー。最初は違和感を覚えられて、一説には「第1回大会に村上一成選手と小路晃選手が出場して、「村上」と「小路」で主催者がギャグで起用した」と囁かれた。[要出典]回数を重ねるうちにいつの間にか「いるのが当たり前」となり、アナウンスの前に観客から「ショージ!」と声援を受けるまでになった。大阪大会では一際人気が高かった。
2005年にドラえもんの新声優オーディションを受けた。「ぼくドラえもんでっせ」という斬新な「関西弁のドラえもん」で関係者を爆笑させたが、内定には至らなかった[12]。それ以前では、本人役としてテレビアニメに出演したこともある(こちら葛飾区亀有公園前派出所、「両さん、選挙に立つ」にダメダメボーイズの一員として出演)。
TBS系で2006年9月24日に放送された「DOORS 2006」では予想外の健闘を見せ、数多い若手芸人に勝る意外な運動神経を見せた。富士急ハイランドのジェットコースター「ええじゃないか」に乗りながらのクイズには唯一の全問正解を成し遂げ、マウンテンバイクで湖の上の浮き橋を疾走するゲームでは最高ポイントを獲得する。決勝戦では品川祐(品川庄司)に敗れるが、番組中に獲得したポイント(125P) は、全参加者の中で最多であった。他の参加者が「テレビ受け」を意識したボケ行動をとる中、終始、真摯にゲームに参加した姿は、ショージ本人が普段から見せる「すべり芸」とは全く異なるものだった。
なお、最近では後輩のぜんじろうとのコンビ「ややウケちょいウケ」を結成。ルミネやよしもと浅草花月に出演。M-1グランプリにも出場し、3回戦まで進出。
タキシードを着てテレビ番組に出演することが多く、トレードマークになりつつある(本人もタキシード姿には自信があると言っている)。
大阪で炭火焼鳥「くっくどぅ〜ん」、居酒屋「村上食堂」を経営・プロデュースし、本人もまれに食事をしに来ていた。2014年に両店舗のプロデュースを退任、店舗名も「漁火酒場まつかぜ」に変更されている。
2015年7月から大手居酒屋チェーンアンドモワ株式会社より居酒屋「しょうゆうこと」をプロデュース。2015年9月1日時点で、本人ゆかりの地である愛媛県松山市、広島県広島市、大阪府大阪市中央区に計3店舗出店したが後に全店閉店した。
2009年8月のよしもとオンラインでハローバイバイの金成公信(当時。ハローバイバイは2009年12月解散。)と「なりきんショージ」というコンビを結成。その年のM-1グランプリにも出場し、準決勝進出を果たした。しかし敗者復活戦には唯一欠場した。
2012年11月23日公開の「カラスの親指」で初の本格的な映画出演を果たすが、主演の阿部寛や石原さとみらと並ぶ重要なキャストであり、あまりの役の大きさに「僕、ホンマに知りまへんで」と発言する。
2016年12月7日、「浅草キッド」でCDデビューを果たす[13]。
2018年4月6日、胆石と胆のうの摘出手術を受けたことを公表[14][15]。
2021年度のキングオブコントに、大会規定の改定で即席ユニットの参加が認められるようになったことを受け、間寛平と結成したコンビ「ヤギとひつじ」で出場し準決勝まで勝ち進むも、ネタ見せのタイムオーバーで失格となり敗退した[16]。
ほか多数
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