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東急株式会社を中心とする日本の企業グループ ウィキペディアから
東急グループ(とうきゅうグループ)は、東急株式会社を中核とする日本の企業グループである。 鉄道を中心とした交通事業を基盤とした「街づくり」を事業の根幹に置き、鉄軌道事業、不動産、生活サービス、ホテル・リゾート事業などを展開している[1]。
東急本社の東急南平台町ビル | |
創業者 | 五島慶太 |
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創立 | 1922年 |
国籍 | 日本 |
中核企業 | 東急株式会社 |
主要業務 | 鉄軌道事業、不動産事業など |
外部リンク | https://tokyugroup.jp/ |
東急電鉄最大のターミナル駅である渋谷駅が所在する東京都渋谷区に本社を置く企業が多く、渋谷地区は東急グループの本拠地である。 2020年3月末現在、232社5法人で構成[2]。2008年3月期の総売上高は2兆5,937億円[3]。コーポレートスローガンは「美しい時代へ―東急グループ」。
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創業家である堤家一族が確立した旧西武グループや、根津家一族が経営に深く関わっている東武鉄道など、同じ電鉄系のほかの企業集団とは異なり同族経営とはしておらず、東急グループの五島家一族(五島慶太・五島昇など)は創業家ではなく、資本的な(株式)支配も希薄で純粋な『経営者』に徹した。
このことから、世襲の弊害を意識して実力主義を貫き、多角化が順調に進んだ。安定的な収益を生む鉄道を中核に、交通・不動産・リテール・レジャー・サービス・リゾート/ホテル等の各分野が一丸となっているのが強みである。また、東急の祖業は田園都市株式会社というデベロッパーであり、伝統的に不動産に強く東急不動産は東急グループの重要な第二の稼ぎ手となっている。
グループ規模に対して、トップシェアとなる分野がないことから、「御公家集団」と評されることもある。これは、グループ総帥・五島昇の「全国展開、あるいはナショナルブランド化は安易に進めてはならない。まず、偉大なローカルブランドとなることが出発点だ」という方針によるとされている。
1989年に五島昇を失った影響は大きかった。五島亡き後、横田二郎を中心とする集団指導体制に移行したが、グループ各社のトップも年齢的に退く時期になり、やや求心力を欠いた経営をやっているように思われた。
だが、「東急グループ」の厳格なマネジメントは存在しておらず、拡大や成長とともに各社の自由な裁量で、グループ加盟会社毎に事業拡大・肥大化した。グループ各社で事業部門が重複し無秩序に増えていった結果、最大で500社を数えるまでに膨張。バブル崩壊後の縮小経済下では、そのスケールの巨大さはデメリットに転じ、1999年(平成11年)3月末の有利子負債はグループ全体で3兆円以上を抱えるなど業績不振に陥った。さらに、グローバル基準である連結決算重視の流れや減損会計の導入などを受けて、グループ大再編に踏み切った。
1998年、東急グループ代表・清水仁の下[4]、主要加盟社に対し「自立なき者は共創の輪に加わる事ができない」旨[5]を通告したのを皮切りに、リストラを大胆に加速。磐石である『電鉄』に依存するのみで、「シナジー価値を創出していない」と判断された数百社をグループから離脱・独立させた。
そして、無秩序な全国拡張路線を改め、原則的に東急沿線や都市部に経営資源を集中させ、「東急の価値を共に高める総合力」が東急グループであると定義した。
重要なコア事業を担う子会社等は、本体、すなわち今の東急株(「東急株」とは旧東京急行電鉄を改称した東急株式会社の略称。なお「東急」との略称は東急電鉄を指す)にとってのポートフォリオ企業として監視を強める体制にした。加盟社数は大きく減少したが、業績は逆に好転し回復傾向にある。
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以下に、かつて(過去)のグループ会社、過去に資本関係があった企業、および事業を列挙する。
2020年現在
過去
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