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東京都文京区にある私立中高一貫校 ウィキペディアから
獨協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Dokkyo Junior & Senior High School)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校。学校法人獨協学園が運営する完全中高一貫校である[1]。最寄り駅は、東京メトロ有楽町線の護国寺駅、江戸川橋駅である。
明治時代に先覚者達によって設立されていた独逸学協会を母体に1883年(明治16年)獨逸学協会学校が設立される(初代校長は西周)。明治以来の有数の歴史と伝統を誇る私立学校である。近代日本の医学はドイツを手本としており、また系列校に獨協医科大学を持つことから、設立時から現在に至るまで医学部系の進学率が比較的高く、今日まで数多くの優秀な医学の徒を輩出している。一時は落ち込んでいた医学部への進学者も近年は右肩上がりで増えている。その影響か、近年では合格実績の伸びと共に獨協中学校の偏差値も伸びており、2021年度には灘中学校やラ・サール中学校等を抑えて過去問出庫率一位に輝くなど、怒涛の人気を見せている。
開校当時からドイツ語を中心に教育を進めてきたため、明治から大正にかけて、獨逸学協会学校→一高(三部、医科)→東京帝国大学(医科)の順に進学するのはエリートコースの一つであった。しかし、第一次世界大戦でドイツが敗れると、ドイツ語を学ぶ生徒が激減し、昭和初期には経営環境が非常に厳しくなった。日独伊三国同盟成立の影響で、若干の人気回復を果たすが、第二次世界大戦後は廃校の危機に直面。戦後、日本の法体系や教育制度がそれまでのドイツ式からアメリカ式に移行するとともに、獨協中学校も存続の危機を迎えた。GHQに対しては、獨協とは「獨逸学協会」の略ではなく「独立協和」の略であると、苦しい弁明をしたほどであった。そんな1952年(昭和27年)、日本で最初の本格的なカント哲学研究者であり、第3次吉田内閣の文部大臣も務めた天野貞祐が、母校再建のために第13代校長に就任。「人間教育」を教育理念の原点とする高い指導力によって、中学・高等学校の復興を果たした。
医学会・法曹界・教育界へ優れた人材を数多く輩出した獨協学園の存在は、日本が近代化し発展を遂げる過程に大きな足跡を遺している。その当時の高き理想と理念に基づく教育の資質は現在でも受け継がれている。
中高一貫制の教育区分は、中学校の第1学年および第2学年の前期2年間を「第1ブロック(基礎学力養成期)」、中学校第3学年および高等学校第1学年の中期2年間を「第2ブロック(学力伸張期)」、高等学校の第2学年および第3学年の後期2年間を「第3ブロック(学力完成期)」に区分する「2-2-2制」を採用している[2]。
獨協高校は140年以上の歴史の中多くの医家を輩出し、彼らは各地で医療・保健・福祉の分野に務めている。それら医師となった卒業生は近年の名簿を紐解くだけでも実に1200名以上に上り、出身大学は54校に及ぶ。そして、これらのスケールメリットを生かすべく、獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)が2000年(平成12年)に発足。
また、発足時から毎年2月にはそれぞれの当番大学同窓会が責任を持って学術会議を開催しており、毎回の幹事、座長、演者は無論、全員が獨協高校出身者であり、世代や出身大学、診療科目を超越したユニークな研究会として、その存在が医学界で注目されている。
「心構えは正しく、身体は健康、知性に照らされた善意志と豊かな情操とを持つ、気品のある人間の育成を目指す。」これが為には、すべての生徒に、それぞれ人間としての自信と矜持(誇り)とを抱かしめ、各自の天分を開発し、その長所を培養する。他日社会に出ては、日日の生活に感謝と喜びとを見出し、勤勉努力して社会に奉仕し、広く文化の創造に寄与する人間となることを期待するわけである。教育愛こそ本学園の情熱であり、人間教育こそ本学園の精神である。
これは、第13代校長である天野貞祐が述べた言葉である。現在ではこの言葉が学園の中で広く浸透し、事実上の教育目標および教育方針となっている。
生徒の自主性を重んじる校風であり、学内には一人一人の考え方を重んじる自由な空気がある。生徒と担任の教師やそれぞれの科目を担当する教師との距離が近く、様々な事柄について相談し易い環境が整っている。試験期間を除けば、教員室への出入りも自由である。また、伝統的に本校の生徒は高校1年の時からドイツ語を外国語として選択することが可能である。以前は大学入試の際にドイツ語を選択する生徒もいたものの、ドイツ語コースが無い上、英語が全員必修科目のために現在ではほとんどいない。また、本校はドイツ連邦共和国政府が定めるドイツ語教育枠組みPASCHに加盟をしており、ドイツ政府の定めているプログラム参加生もいるが、後者も毎年いるわけではない[要出典]。
校舎は教室が設置されている本校舎と、小道を挟んだ向かい側にあるスポーツ設備を備えた100周年記念体育館の2つに分かれている。
現在の本校舎は地上5階、地下1階建、モダンな構造で1998年(平成10年)に落成した。設計コンセプトは「『光と、風と、緑の創造空間」で、オーディオテクニカ本社などのデザインを手がけた赤坂喜顕が設計。日本建築学会作品選奨に選定された[3]。
校舎は部室棟とともに中庭グラウンドを囲む形で建てられており、台地という地形から新宿副都心や東京スカイツリーなどが臨める[要出典]。
ガラスを多く取り入れた設計で、間口を設けられるフリースペースや、階段、上層階の廊下などを可能な限りガラス張りとしたほか、その他窓が設けられない部分にも吹き抜けを設置、教室にも桟が少ない大型ガラスが使用されているほか、細長い窓を設置して間接照明風にするなどの工夫を凝らすなど、光を利用した採光性の高い校舎である。全ての教室に、全自動空調、全熱交換換気システムを採用し、フロア内で天井裏の配管などを数箇所にまとめることにより天井を高くすることで、高い居住性を確保している。生物室、化学室、物理室、地下理科室の4つの理科室が設置され、大学で使用される器具を多く取り扱うなど、高いレベルの学習環境を実現した[要出典]。
100周年記念体育館は1983年(昭和58年)に落成。敷地が急坂に面しているという独特の地形を活かし、土地の有効活用という面から[要出典]体育館は地下に設置されており、体育館屋上部分が運動場となっている。体育館内には、アーチェリー場、トレーニングルーム、柔道場、シャワールームなどが設置されている。(シャワールームは現在閉鎖中)また周囲にドライエリア・天窓を設置し、室内には空調設備、大型換気扇を導入することで、地下体育館での採光・通風のデメリットを解消している[要出典]。
一部の学年の教室には備え付けのプロジェクターがある[要出典]。
医療関係者の子息の割合が高いため医歯薬系の学部への進学率が高い。また、近年の医学部の人気上昇や難易度が上がり競争が激化した影響もあり浪人をしてでも医学部への進学を希望する生徒が多い。そのため、獨協大学・獨協医科大学への推薦枠があるが、獨協医科大学への進学を希望する生徒が多く年々増加している。2023年度時点で、11人が獨協医科大学医学部医学科に推薦入試を利用して進学した。また、他難関大学進学希望者が内部進学希望者より多く、進学校の要素が強い。ただし、近年は現役志向も相まって獨協大学への進学を希望する生徒も増加している。
しかしながら、#概要で記した通り、近年の獨協中学校の人気上昇や難化の影響で学校全体の空気がここ数年で急激に変化を遂げており、今後の伸びが期待されている。
獨協医科大学への推薦入試合格者数一覧
2021年度の一般入試の合格先として、獨協大学は日本大学、明治大学、東京農業大学、東京理科大学、中央大学、法政大学に次いで7番目に多い[4]。
獨協医科大学への一般入試合格者数も、21年度の医学部医学科合格先としては最も多く、推薦枠の利用も増加傾向である。他に医療系大学への推薦枠としては21年現在、東京理科大学薬学部、東京薬科大学、北里大学医学部、聖マリアンナ医科大学などがある。
2023年の時点で29の部活、5個の同好会がある。同好会は同学年有志が創ることが多く、数年で廃部や自然消滅となることが多い(数学同好会や英語同好会など)。また、部活に入らない生徒の増加・低学年化が進み、廃部になったり(PC部)、廃部の危機に瀕している部活(天文部など)も少なくない。学校の管理上、部活動を中学と高校で分けているのはサッカー部と野球部のみだが、部活動によっては中学と高校で異なる活動をしていることもある。
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