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日本の歌手、タレント ウィキペディアから
高橋 ジョージ(たかはし ジョージ、1958年〈昭和33年〉8月13日 - )は、日本の歌手、タレントである。
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本名、高橋 恭司(たかはし きょうじ)。音楽バンド 『THE 虎舞竜』のボーカルを務める。(みやぎ絆大使/栗原ドリームアンバサダー/いちのせき大使)
学生時代に組んでいたバンドのメンバーと共に上京。そこで出会った芸能プロダクションに勤務していた男性に、当時バンドのリーダーを務めていた友人が「こいつは恭司って言うんです」と高橋の説明をした際、その男性がジョージと聞き間違えた事から。
当初は芸能事務所、株式会社ビーイングに所属し、ロックンロールバンド 『トラブル』を結成した。1962年のビートルズデビュー、1972年のキャロルデビューにあやかり、1982年(昭和57年)、シングル 「Mr.リッケンバッカー」でデビュー。俳優で歌手の舘ひろしの楽曲のカバーや、秋元康作詞による作品などを発表していた。5枚のシングルと3枚のアルバムをリリースするも、3年であえなく解散してしまう。
その後は、ジョニー大倉をメインに据えた『THE PLEASE』のメンバーとしても活動した。1993年(平成5年)、現在のバンド名 『THE 虎舞竜』に改称、ファンからの手紙を元に制作した楽曲 『ロード』が、約220万枚を売り上げるヒット曲となり、一躍有名となった。
2008年(平成20年)6月、岩手・宮城内陸地震が発生、高橋の出身地である宮城県北部は大きな被害を受けた。高橋はその翌月、妻とともに地元新聞社を訪問し、義援金を手渡した。さらに、『頑張れ! 花山・栗駒 -震災乗り越えみんなで復興- 』と題した復興支援ライブを、稲垣潤一やさとう宗幸ら、同郷のミュージシャンとともに開催した[1]。また、高橋は同年9月、初めての自伝的小説 『東北ロックンロール物語』を発売している[2]。
2015年9月2日、出演したドラマ『美女と男子』の役名である「たどころ晋也」名義で、シングル「ハローマイラブ!/ふたり〜One Day」をリリース[3]。以降、タレント活動をセーブし、レコーディング中心の活動を行う。
2015年8月25日、タレントマネージメント業務をスタッフ・アップから、かねてからの個人事務所、株式会社トランプスで継続。
2017年12月13日に自伝的ヒストリーアルバム「原宿★ロックンロール★ヒーローズ」を発売。ボーナストラックとして、16年振りとなるロードシリーズの新曲『ロード~第十四章=愛別離苦』を収録。2018年2月21日、記録的なヒットとなった「ロード」のリリースから、25周年を記念したアニバーサリーアルバム『ロード ザ・ベスト〜25th anniversary』が発売。このアルバムに収録された『ロード』は、高橋ジョージにとっての聖地「アビーロードスタジオ・ロンドン」で再録音されている他、1992年にザ・トラブル名義で発表された『ロード』のオリジナル・バージョンも収録。
2021年大晦日、日本武道館で開催の『ももいろ歌合戦』(BS日テレ・ニッポン放送・ABEMAなどが生中継)へ初出場。
2023年、NSPデビュー50周年を記念してNSPのメンバーであった平賀和人と期間限定ユニット「NoSP(ノー・サディスティック・ピンク)」を結成[4]。 翌年、NSPのリーダーであった天野滋の誕生日である5月5日に「NoSPコンサート」を開催、同日、一関市長の佐藤善仁から「いちのせき大使」を委嘱される[5]。
一度の離婚歴を経て、1998年(平成10年)、タレント・三船美佳と、彼女の16歳の誕生日当日に結婚した。三船が『THE 虎舞竜』のファンであったことをきっかけに知り合い、その後交際へと発展した。三船とは結婚の前年、高橋自身が全編プロデュースし出演をオファーした映画 『Lucky Lodestone』で共演している。
24歳年下で、往年の大俳優・三船敏郎の非嫡出子である三船美佳との結婚は当時大きな話題となる。また、年齢差から親子と思われたり、バッシングを受けることも多かったというが、夫婦でのテレビ共演が増えてからはおしどり夫婦として知られるようになった。2004年(平成16年)11月9日には、長女が誕生した。2007年には「ベスト・ファーザー in 東北」の芸能人部門に、2011年には理想の有名人夫婦を選ぶ「パートナー・オブ・ザ・イヤー2011」に選出された。
2015年1月16日、三船は高橋と離婚訴訟中であることを所属事務所を通じて正式に発表した。裁判では高橋によるモラルハラスメントの有無が争点となったが、高橋側はこの事実や、三船ら家族が暮らす大阪に押しかけているなどといった一部報道をTwitterなどで繰り返し否定した。
2016年3月29日、三船が裁判を取り下げ協議離婚が成立。高橋は二度目の離婚となる。親権は三船が持ち、高橋には年2回、長女のカラー写真を送ることで合意した。[6]。
2008年(平成20年)6月に発生した岩手・宮城内陸地震では高橋の故郷である宮城県栗原郡が最大の被害を受け、震災の発生後高橋は、心配のあまり不眠症となった[7]。その際、高橋は医師から、「震災によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)」との診断を受けたという。[要出典]
趣味はギター収集。特にビートルズのメンバーが使っていた器材と同機種の収集が中心であり、アマチュア時代のビートルズが使用していたギター・ベースの他、元メンバーのスチュアート・サトクリフが使用していたベースや果てはジョン・レノンが少年時代に使用していたアコースティック・ギターまで所有する。また、自宅には「Be Road Studio」というスタジオを構えている。このスタジオはアナログレコーディングが行える環境が整っているという。
出身地が岩手・宮城内陸地震(2008年)で大きな被害を受けた際、高橋は、「今まで故郷を無視してきた自分は、張り裂けるような思いをした。復興するまで応援していきたい」と語った。
チョココロネに思い入れがあり、誕生日にはケーキのかわりにチョココロネを食べると語っている。これは、「ロード」のレコーディング前、高橋ジョージは5000万円という多額の借金を抱えており、早く借金を返済すべくレコーディングをしていた。2曲目のレコーディングを終えてパンを買いに行った際、2個のチョココロネを買おうとしてポケットから出した小銭は金額が少ないため1個しかチョココロネを買えなかった。そのとき高橋ジョージの頭の中にふと「ロード」のサビの歌詞が頭をよぎった。すぐにレコーディングスタジオへ行き、「ヒットしない」と反対をされたが、「ロード」をレコーディングし、結果大ヒットとなった。
中学3年生の時にNSPのデビューシングル「さようなら」を聞いて以来、NSPの大ファンであり、「NSPになりたい」と思ったことがきっかけでバンドを結成し、プロになる決意をした。1993年、前述の「ロード」の大ヒットを受けて初の虎舞竜全国ツアーを行った際、日本青年館の最終日に憧れのNSP天野滋と平賀和人の二人を前に「さようなら」を歌った[4][8]。
過去のラジオレギュラー番組
その他多数
TROUBLE(1982年 - 1985年)
ザ・トラブル(1992年)
THE 虎舞竜(1993年 - 2001年)
たどころ晋也(2015年)
TROUBLE
THE 虎舞竜
高橋ジョージ & THE虎舞竜
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