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アップリンク (映画会社)
日本の東京都渋谷区にある映画会社 ウィキペディアから
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有限会社アップリンク(英: UPLINK Company)は、日本の映画関連会社。映画配給会社として渋谷で活動を始め、大手映画チェーンが扱わない国内外のアートシネマを上映するミニシアターの運営で注目を集めた[1]。映画の共同製作や映画関連の情報発信でも知られる。
この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2020年6月) |
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概要
創業者で代表の浅井隆は大阪県出身[2]。父親は繊維会社勤務で転勤族だった[2]。高校を卒業後、18歳で上京し、寺山修司の天井桟敷に参加。寺山が亡くなる1983年まで約10年間舞台監督を務めた[3]。天井桟敷解散後、自ら新しい劇団を立ち上げるも行き詰まり、雑誌制作の仕事などを経て映画業界に入る[1]。
1987年に品川区上大崎にあるアパートの一室で、映画の配給会社を設立。[2][4][5]デレク・ジャーマン監督の『エンジェリック・カンヴァセーション』を、吉祥寺バウスシアターで上映したのが配給作品の第1号となった。1995年には自前のミニシアター「UPLINK FACTORY」を開設[6]。
以後、浅井代表を中心に映画の共同製作などにも進出し、2004年には製作に関わった『アカルイミライ』がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品するなど、映画製作の分野でも注目を集めるようになった。
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沿革
- 1990年 - デレク・ジャーマン監督の『ザ・ガーデン』に浅井代表がプロデューサーとして名を連ね[7]、国内で配給する。
- 1993年 - 書籍『マルコムX自伝』を出版、その売り上げなどを基に渋谷区神南のファイアー通り沿いにある横山ビルの3階に事務所を移す[8]。デレク・ジャーマン監督の『ヴィトゲンシュタイン』、『BLUE ブルー』の制作に参加。12月から映画・音楽・アートなどを扱った隔月月刊誌『骰子』の発行を開始(2000年3月まで)[9]。
- 1995年 - 10月、横山ビルの5階に映画の上映、イベントなどを行うカフェ・シアター「UPLINK FACTORY」を開設[6]。
- 2000年 - イギリス・BBCが製作した映画『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』に製作参加、第51回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に正式出品される[10]。製作した映画『I.K.U.』をサンダンス映画祭を皮切りに世界中の20以上の映画祭で上映。映画『ふたりの人魚』を共同製作。
- 2004年 - 中心となって製作した映画『アカルイミライ』を第56回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品。ギャラリー「UPLINK GALLERY」を新宿区早稲田鶴巻町に開設。『ロバート・メイプルソープ写真集"展』などを行う。7月31日にはミニシアター渋谷に「UPLINK X」を開設する[11]。
- 2005年 - 渋谷区宇田川町のトツネビル1Fにマイクロ・カフェシアター「UPLINK ROOM」を開設[12]。
- 2006年 - 渋谷区宇田川町に3つのスクリーンを集約。シアターと飲食店を併設する多目的商業ビルとしてリニューアル[13][14][15][16]。映画『甲野善紀身体操作術』(監督:藤井謙二郎)、映画『ストロベリーショートケイクス』(監督:矢崎仁司)製作。
- 2007年 - 創立20週年上映イベント「音楽ドキュメンタリー映画祭」を開催。
- 2008年 - 製作補助をした映画『モンゴル』がカザフスタンからの映画として第80回アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされる。文化情報サイト「webDICE」を開設。
- 2011年 - 放射性廃棄物の処理について描くドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を公開。
- 2014年 - 筑波大学の学生11人が東日本大震災の被災者を撮影したドキュメンタリー『いわきノート』を製作し、全国で上映[17]。
- 2016年 - オンライン映画館「UPLINK Cloud」のサービスを開始[18]。 スペインのプロダクションが製作した[19]映画『エンドレス・ポエトリー』(監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)に一部資本参加[要出典]。第69回カンヌ国際映画祭監督週間にて上映された。
- 2018年 - 12月14日、武蔵野市吉祥寺本町に「アップリンク吉祥寺」を開設[20]
- 2020年
- 2021年
- 2022年
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施設
要約
視点
アップリンク吉祥寺

2018年12月14日、吉祥寺パルコ地下2Fのパルコブックセンター吉祥寺店跡地にオープン。
- POP(スクリーン1)
座席数:63席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.765×1.956(m)。壁紙はイーリー・キシモト。 - RAINBOW(スクリーン2)
座席数:52席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.765×1.956(m)。 - RED(スクリーン3)
座席数:98席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.765×1.956(m)。 - WOOD(スクリーン4)
座席数:58席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.765×1.956(m)。 - STRIPE(スクリーン5)
座席数:29席・車椅子用1席。スクリーンサイズ3.600×1.506(m)。壁紙はウィリアム・モリスのデザイン「鳥とザクロ」。 - プロジェクター:NEC NC1000c(2K/キセノンランプ)。スピーカー:田口音響研究所が開発した平面スピーカー。アンプ:OTTOCANALI K4シリーズ(イタリアPOWERSOFT社)[27]。
アップリンク京都

2020年6月11日に、京都中央電話局跡地に建設された新風館地下1Fに開設した映画館(4スクリーン、214席)[28]。2022年1月から東京テアトルへ劇場運営業務を委託した[29]。
- RED(スクリーン1)
座席数:73席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.675×2.250(m)。 - RAINBOW(スクリーン2)
座席数:59席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.675×2.300(m)。 - MATCHA(スクリーン3)
座席数:44席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.675×2.395(m)。 - STRIPE(スクリーン4)
座席数:38席・車椅子用1席。スクリーンサイズ4.675×2.295(m)。壁紙はウィリアム・モリスのデザイン「いちご泥棒」。 - プロジェクター:NEC NC1000c(2K/キセノンランプ)。スピーカー:田口音響研究所が開発した平面スピーカー。アンプ:OTTOCANALI K4シリーズ(イタリアPOWERSOFT社)[30]。
アップリンク渋谷(閉館)

1995年10月に渋谷区神南でオープン。オープン当初は映画専門の「映画館」ではなく「多目的ホール・多目的スペース」で、「アップリンク音楽祭」と称した音楽イベント等も開催されていた。2005年4月2日に宇田川町に移転。3つのスクリーンのほか展示スペースやカフェを併設していた[31]。2021年5月20日をもって閉館。閉館の主な理由は、設備の老朽化による再投資が必要な時期にコロナ禍の観客急減が重なったためとしている[32]。
- アップリンク渋谷
- アップリンク渋谷にあった「UPLINK MARKET」[33]
その他サービス
webDICE
UPLINK WORKSHOP
映像作品やIT技術によるの制作や映画の配給に関する事をテーマとして、不定期に開催されていた。「配給サポート・ワークショップ」[35]、「ムービー製作ワークショップ」(2014−2015)[36]など。
UPLINK Cloud
DICE+
2022年4月にスタートした雑誌と映像配信のサブスクリプション型配信プラットフォーム[26]。
パワハラ訴訟
要約
視点
2020年6月16日、元従業員の男女5人が、在職中に代表の浅井隆から日常的にパワーハラスメントを受けたなどとして、浅井代表とアップリンクを相手取って、計760万円の損害賠償請求を求める訴訟を東京地裁に起こした[42][43]。
記者会見した原告らによると、浅井代表は仕事のミスや自分の気に入らないことがあると、日常的に従業員を怒鳴りつけ、暴言を吐いていた[44]。また映画館の利用客や他社の従業員の前で怒鳴りつける、浅井代表がゴミを落として拾わせるなどの行為が日常化していたほか、「精神疾患者を雇った俺がおかしかった」「怒鳴られる側が悪い」などとスタッフに罵声を浴びせていた[45]。
また原告によると浅井代表はツイッターなどSNSでアップリンクに関する評判を常時モニターしており、ネガティブな書き込みなどを見つけるたびに社員を呼び出しては激しく罵っていた[46]。
また原告によるとアップリンクでは長時間残業が常態化しており、しばしば給与を支払わないサービス残業が強要されていた。浅井代表による業務上必要のない容姿の指摘や家庭事情の詮索も行われていた[46]。
記者会見に同席した原告の1人は、「長時間労働と怒鳴り声が日常になる中、通勤の途中で体調が悪くなり、電車を降りることが何度もあった。業務時間中に涙が抑えられなくなることもあった」などと述べた[47][42]。古くからのスタッフがそうした浅井代表の言動を当然視していたことも、パワハラが常態化した原因の1つとも述べている[48]。
浅井代表はこれに対し、6月19日にアップリンク公式サイト上で「謝罪と今後の対応について」と題する声明を発表し、原告らの批判・指摘を大筋で認めた。しかし今後については、代表がカウンセリングを受けるなどの再発防止策を講じるものの、経営者としての活動は継続するなどと述べた[49][50]。
しかし原告らは6月22日に再度の記者会見を行い、この声明に正面から反論した[47][45]。
原告らによると、声明文で触れられていた対策案などは原告側が提案した協議案を踏襲していたにもかかわらず、原告側にはまったく連絡がなく、自らの発案として一方的に公表した[45]。さらに原告側へは一切の謝罪がなく、「浅井氏の姿勢には、全く『反省』が窺われず、『誠意をもって対応』していると評価することはできない」「私たちの声に耳を傾けることより、形式的な『謝罪』を対外的に示すことを優先させた」と痛烈に批判した[51][45][44]。
訴訟への反響
和議協議の合意
2020年10月30日、公式HP上で原告側との和議協議が合意に達した事を、浅井社長名義で報告した。公表された合意内容は以下の通り[55]。
- 社内でのハラスメントを相談できる、弁護士などの専門家が参加する外部窓口を設置。
- すべての従業員が相談できる社内窓口「ハラスメントフリー委員会」を設置。
- ハラスメントフリーな体制をつくるための社外の専門家による第三者委員会を設置。
- これまで曖昧だった各部署の事業範囲を明確化するとともに、各事業部署ごとに責任者を置いて協議しながら運営できるマネージメント体制をつくる。
- 複数の役員による協議の中で会社を経営するために取締役会を設置。
- 浅井社長はもとより、社内のリーダー層にアンガーマネージメントやハラスメント防止に関する研修を義務化、全ての社員を対象にハラスメント研修を実施。
和解合意への批判
こうした内容で訴訟外での和解協議が合意に至ったことは、原告側からも告知された[56]。しかし原告側は、和解という言葉からは円満に問題が解決したかのような印象を受けるかもしれないが、原告側としては「『円満』にも、そして『全ての問題が解決した』とも考えていない」と断じた[56][57]。
その理由として原告側は、和解協議の席では「一部のスタッフを除いて、彼らが真摯に反省していると感じること」は出来なかった、と述べた[56][57]。
原告側によると浅井代表は、「原告の私たちの発言を数度にわたって遮り、まるで他人事であるかのように自身の加害行為について分析し、原告の訴えた被害から目を背ける持論を展開」した[57]。さらに「被害の訴えを『勘違い』であると受け取り方の問題にすり替える発言」もあったという[56][57]。そして他のベテランスタッフについても、「自らの加害性に向き合っているとは到底考えられず、形式的な謝罪に留まっていると感じた」と強く批判している[56][57]。
原告らは和解協議の場での浅井代表の言動について、「(浅井氏と7月末に直接)対面した時も、本当に反省してないんだなというのが伝わってきた。自分のしたことがどれだけ多くの人を傷つけてきたのか分かっていない。今も多分、分かっていない」「浅井さんは本来社長を辞めるべきだとは思います」などと述べている[58][59]。
その上で、「これ以上、同じような被害が出ないことが私たちの願いでもあるし、そのために協議を選んだ」と和解合意に至った心境を説明している[58][60]。
代表による匿名メールでの中傷発覚
和解後の2021年11月、浅井代表が別人を装って中傷メールを送っていたことが発覚した[24]。これは同年3月、ほぼ全社員が浅井代表に退任を要求する事態となった際、浅井代表は不適切な言動と認め謝罪する一方、アルバイト従業員を装って「あなたが会社を辞めてください」などとするメールを社員らに送っていたもの[24]。
また浅井代表は、訴訟を理由として自作の上映を引き上げた深田監督などを標的として、監督らからパワハラを受けたなどと示唆する匿名のメールも関連団体あてに送っていた[24]。中傷メールを送られた深田監督もこれらの報道を認め、「看過できない不誠実な行為」があったと指摘している[61]。
浅井代表は取材などに対し、「精神的に追い込まれ、自分の中で考えに賛同してくれる人物を作り出してしまいました」「(要求を)引っ込めて欲しいという気持ちがあった」などと内容を認めていると報じられた[62]。
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配給作品・展示履歴
要約
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配給・製作映画
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出版書籍
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吉祥寺
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脚注
外部リンク
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