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ウィルソン・バルデス
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ウィルソン・アントニオ・バルデス(Wilson Antonio Valdez , 1978年5月20日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州ニザオ出身の元プロ野球選手(内野手)。
日本での登録名は「ウィルソン」。韓国球界での登録名は「발데스」。
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経歴
要約
視点

ドミニカリーグのプレーを経て、2002年にフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。
2004年6月17日に、マイナーでの高打率を買われ、ビリー・コッチとのトレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍する。9月にメジャー初昇格し、19試合に出場した。同年オフ、シアトル・マリナーズに移籍した。
マリナーズでは遊撃手として42試合に出場した。しかし打率.198と振るわず、2005年6月9日にサンディエゴ・パドレスにトレードされた。その後、8月にメジャーに昇格し、9試合に出場した。
2006年はロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
2007年に故障したラファエル・ファーカルの代役として2年ぶりにメジャー昇格し、41試合に出場した。
2008年1月4日に韓国プロ野球の起亜タイガースと契約した。起亜では俊足と守備が買われ、ショートのレギュラーの一角として期待されたが、打率.218と振るわず、5月27日に解雇された。
起亜を解雇後、日本の東京ヤクルトスワローズと入団交渉を行い、2008年6月9日に入団が決まった。ヤクルトでは不振で二軍落ちしたアダム・リグス、アーロン・ガイエルに代わる助っ人と、北京オリンピック代表として抜けることが濃厚な宮本慎也のバックアップとして期待され、6月21日に川端慎吾と入れ替わる形で一軍登録を受けた。同日の対オリックス戦で、宮本に替わる遊撃手としてNPB公式戦に初出場し、2安打で初安打も記録した。7月2日の対巨人戦では、初の本塁打を記録している。11月4日、来季の契約が結ばれないことが発表された。
同年12月、クリーブランド・インディアンスとキャンプ招待選手としてマイナー契約を結んだが、その後、ニューヨーク・メッツに移籍した。
2009年オフ、ニューヨーク・メッツを解雇され、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、春季キャンプに招待された。開幕メジャー入りこそならなかったが、2010年4月15日メジャー昇格を果たした。同年はジミー・ロリンズの故障もあって、自身最多となるメジャー111試合出場を記録した。
2011年5月25日の対シンシナティ・レッズ戦で、投手を使い果たしたフィリーズが19回表にバルデスを投手として送り出す[1]。スコット・ローレンに死球を与えたものの1回を無安打無失点に抑えた[1]。その裏にラウル・イバニェスの犠牲フライでフィリーズがサヨナラ勝ちを収め[1]、2000年8月22日のブレント・メイン以来となる野手による勝利投手となった[2]。
2012年1月25日にジェレミー・ホーストとのトレードでシンシナティ・レッズに移籍した[3]。成績不振でレッズを解雇され、2012年12月、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。
2013年3月23日、マイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。5月23日、アトランティックリーグのカムデン・リバーシャークスと契約した[4]。
2014年はヨーク・レボリューションに所属。
2015年もヨーク・レボリューションでプレーし、オフはドミニカ共和国のウィンターリーグに参加した。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 2018年度シーズン終了時
年度別投手成績
- 2018年度シーズン終了時
記録
- NPB
背番号
- 39 (2004年、2005年途中 - 同年終了)
- 12 (2005年 - 同年途中)
- 13 (2007年)
- 49 (2008年:起亜在籍時)
- 45 (2008年:東京ヤクルト在籍時)
- 4 (2009年)
- 21 (2010年 - 2011年)
- 15 (2012年 - )
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脚注
関連項目
外部リンク
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