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ラファエル・ファーカル

ドミニカ共和国の野球選手 (1977 - ) ウィキペディアから

ラファエル・ファーカル
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ラファエル・アントニオ・ファッカールRafael Antonio Furcal, 1977年10月24日 - )は、ドミニカ共和国ダハボン州ロマ・デ・カブレラ英語版出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投両打

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

ブレーブス時代

1996年11月9日、アトランタ・ブレーブスと契約。

1998年にはルーキーリーグで66試合に出場し60盗塁を記録し、リーグ記録を更新した[1]

1999年は全てのマイナーリーグで最多となる96盗塁を記録し、二塁手から遊撃手へコンバートされた[2]

2000年4月9日にメジャーデビューを果たした。ベテランのウォルト・ワイスと出場機会を分け合いながら、二塁手としても出場した。6月13日から6月29日にかけて故障者リストに入ったものの131試合に出場し、40盗塁を記録し、盗塁の球団新人記録を更新した(1966年アトランタ移転後)[3]。オフにリック・アンキールジェイ・ペイトンらを抑えて新人王を受賞した[4]

2001年は左肩の故障に悩まされ、7月6日がこの年の最後の試合となった。

2002年はリーグ2位の8三塁打を記録し、4月21日にはMLBタイ記録、ランス・ジョンソン英語版以来8年ぶりとなる1試合で3三塁打を記録している[5]

2003年は130得点をあげ、デール・マーフィーの131得点に次ぐ1900年以降の球団記録2位を記録した。[6]オールスターに初めて出場し、8月10日の対カージナルス戦で、MLB史上12回目となる無補殺三重殺を成功させた[6]

2004年10月7日、ヒューストン・アストロズとのディビジョンシリーズ第2戦でサヨナラ本塁打を記録した[7]が、5試合の末シリーズ敗退した。

2005年10月31日にFAとなった。

ドジャース時代

2005年12月19日に3年総額3900万ドルでロサンゼルス・ドジャースと契約した[8]

2006年は4月の打率が.198と低迷したが、1番打者として起用され続け、オールスター以後は打率.339、11本塁打を記録した。[9]。キャリアを通じて自身最高の打撃成績で、打率.300・15本塁打・63打点・37盗塁・OPS.814などを記録し、MVP投票では14位だった[10]

2007年は開幕直前の3月22日に足首を痛めたため故障者リスト入りとなり、4月13日にメジャー復帰した[11]。5月13日から15日まで、3試合連続で4安打を記録した。この記録は過去55年間で4人しか達成していない[11]。9月15日にはこの年のMLBでケニー・ロフトンしか達成していない1試合4盗塁をしている。

2008年、ドジャースとの3年契約を満了し、フリーエージェントとなったファーカルには再契約を狙うドジャース、オークランド・アスレチックスアトランタ・ブレーブスなど複数の球団が獲得に興味を示した。12月16日に古巣ブレーブスと合意したと報じられたが決裂し、17日に一転してドジャースと3年3000万ドルの再契約に合意、正式契約となった。

2009年は150試合に出場し、「彼が戻ってきたことで打線が生き返った」と監督のジョー・トーリを喜ばせたが、打率.269、9本塁打、OPS.711、12盗塁とキャリア平均以下の成績に終わり、打率は最後の20試合で.361を記録してなお自己最低だった。

2010年4月下旬に左大腿裏を負傷して1ヶ月ほど欠場するも、7月第1週には打率.578の活躍で週間MVPを受賞するなど好調を維持し、故障選手の代替ながらオールスターにも選出。しかし8月に背中を痛めまたも1ヶ月の離脱。後半戦は打率.243と急降下した。

2011年7月23日のワシントン・ナショナルズ戦でサヨナラ二塁打を記録した[12]

カージナルス時代

2011年7月31日にアレックス・カステヤーノスとのトレードセントルイス・カージナルスに移籍した。主力として2011年のワールドシリーズで優勝した。オフに翌年の1200万ドルの球団オプションを拒否された後、カージナルスと2年1400万ドルで再契約した。

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2011年、カージナルス・ワールドシリーズチャンピオンのパレード

2012年は5月まで絶好調で、オールスターゲームに選ばれた。しかし8月30日の試合で肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けてシーズン終了となった。この故障によりピート・コズマがマイナーから昇格し、出場機会を得た。

2013年はリハビリで全休。オフの10月31日にFAとなった。

マーリンズ時代

2013年12月5日、マイアミ・マーリンズと1年契約で合意し[13]、翌6日に球団が正式発表した[14]

2014年は開幕は故障者リストで迎えたが、6月13日のピッツバーグ・パイレーツ戦よりメジャー復帰したが、9試合の出場に終わった。オフに、FAとなった。

引退

2015年3月16日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結ぶ。5月19日に現役引退を表明した。

2020年1月、アメリカ野球殿堂の被資格投票を得たが、1票も獲得することなく、被資格投票を失った。

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選手としての特徴

  • 通算打率.281、出塁率.346、346盗塁(成功率77%)、初回先頭打者本塁打が30本など、1番打者として長く活躍した。
  • 通算55犠打バントがうまく、バントだけで通算4二塁打、8打点も記録し、13失策を誘発している[15]
  • 守備ではほとんどが遊撃手であったが、ゴールドグラブ賞の受賞経験はない。

詳細情報

年度別打撃成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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タイトル・表彰・記録

脚注

関連項目

外部リンク

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