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ゴーイングスズカ

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ゴーイングスズカ[1]日本競走馬。おもな勝ち鞍に1998年目黒記念2000年福島記念

概要 ゴーイングスズカ, 欧字表記 ...
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戦歴

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]

1996年3月23日、阪神競馬場での4歳未出走戦でデビューし、2着。初勝利までに約半年を要し、10月新潟競馬場での未勝利戦を勝つと、500万下クラスを3戦で通過。900万下クラスを5戦、1500万下クラスを2戦で通過ののち目黒記念に出走するが9着。その後休養に入り、休養中に1600万下クラスに降級。1998年4月に復帰して3戦で1600万下クラスからオープンクラスに再昇級し、目黒記念でタイキエルドラドを破って重賞初制覇。続く宝塚記念でも10番人気ながら僚馬サイレンススズカの4着に入る。1999年はステイヤーズステークス3着を記録するなどして挑んだ有馬記念で果敢に逃げて6着、フジテレビ実況の堺正幸アナウンサーは「ゴーイングスズカが強引に行きました。」と伝えた。また2000年3月にはドバイシーマクラシックに遠征するも2年近く未勝利であったが、10月の福島民報杯で目黒記念以来の勝利を挙げ、カブトヤマ記念2着を経て出走の福島記念で重賞2勝目を挙げた。その後の8戦は2年近くの長期休養も挟んで未勝利に終わり、2003年5月の東京競馬場リニューアル記念13着が最後のレースとなった。

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引退後

引退後の2003年から、故郷の新井牧場にて引退名馬繋養展示事業の助成対象馬として繋養された。馬主の永井が新井牧場を訪れた際には、懐かしげに同馬の様子を見つめていったという[4]

2019年12月に助成対象でなくなるも、引き続き同地で繋養され、2021年4月27日老衰のため死亡した[2]。28歳没。

競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[5]、Racing Post[6]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
  • Draw:枠番、Horse No.:馬番
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血統表

ゴーイングスズカ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ノーザンテースト系
[§ 2]

ダイナガリバー
1983 鹿毛
父の父
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
父の母
ユアースポート
1972 鹿毛
*バウンティアス Rockefella
Marie Elizabeth
ファインサラ Correlation
*レディスラー

ダンシングスズカ
1987 鹿毛
ミスターシービー
1980 黒鹿毛
トウショウボーイ *テスコボーイ
*ソシアルバターフライ
シービークイン *トピオ
メイドウ
母の母
ダンシングファイタ
1978 黒鹿毛
*ダンシングキャップ Native Dancer
Merry Madcap
キシューファイター *ゴールデンパス
カネスカイ
母系(F-No.) アストニシメント(GB)系(FN:7-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Native Dancer 5 x 4 = 9.38%、 Lady Angela 5 ・ 4(父内) = 9.38%、Hyperion 5 ・ 5 = 6.25%(父内) [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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