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ジェイク・ディークマン
アメリカの野球選手 (1987 - ) ウィキペディアから
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ジェイコブ・タナー・ディークマン(Jacob Tanner Diekman, 1987年1月21日 - )は、アメリカ合衆国ネブラスカ州ゲージ郡ワイモア出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとフィリーズ時代
2007年のMLBドラフト30巡目(全体923位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、6月22日に契約。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズでプロデビューし、10試合(先発7試合)に登板して1勝3敗、防御率2.92、35奪三振を記録した。8月にA-級ウィリアムズポート・クロスカッターズへ昇格。3試合に先発登板して2勝1敗、防御率2.25、11奪三振を記録した。
2008年はまずA級レイクウッド・ブルークロウズでプレーし、19試合に先発登板して3勝5敗、防御率5.42、53奪三振を記録した。7月にA-級ウィリアムズポートへ異動。8試合に先発登板して1勝4敗、防御率4.40、43奪三振を記録した。
2009年からリリーフへ転向。A級レイクウッドでプレーし、32試合(先発2試合)に登板して2勝0敗2セーブ、防御率4.04、52奪三振を記録した。
2010年はまずA級レイクウッドでプレーし、21試合に登板して2勝0敗、防御率1.90、30奪三振を記録した。6月にA+級クリアウォーター・スレッシャーズへ昇格。24試合に登板して0勝2敗、防御率3.66、26奪三振を記録した。
2011年はAA級レディング・フィリーズでプレーし、53試合に登板して0勝1敗3セーブ、防御率3.05、83奪三振を記録した。オフの11月18日にフィリーズとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[1]。
2012年3月27日にAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属され、そのまま開幕を迎えた。5月11日にメジャーへ昇格し[2]、15日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。同点の9回表二死から登板し、1.1イニングを無安打無失点、3奪三振に抑え、10回裏にフィリーズがサヨナラ勝ちしたため、メジャー初勝利を挙げた。その後もリリーフとして22試合に登板したが、8月1日にAAA級リーハイバレーへ降格。登録枠が拡大された9月2日に再昇格した[3]。この年メジャーでは32試合に登板して1勝1敗、防御率3.95、35奪三振を記録した[4]。
2013年3月17日にAAA級リーハイバレーへ配属され、そのまま開幕を迎えた。AAA級リーハイバレーで30試合に登板後、6月13日にメジャーへ昇格[5]。45試合に登板して1勝4敗、防御率2.58、41奪三振を記録した[4]。
2014年は初の開幕ロースター入りを果たした[6]。この年は、チーム最多且つ自己最多となる73試合に投げ、防御率3.80、チーム最多ホールド[7]を記録。また、71.0イニングで100個の三振を奪い、奪三振率12.7という高数値を記録したが、大雑把な制球力から四球で乱れる場面もあった[7]。
2015年、フィリーズでは41試合に投げたが、防御率5.15、WHIP1.75と荒れたピッチング内容だった[4]。また奪三振率(12.0)と与四球率(5.9)のどちらも高い数値であった[4]。
レンジャーズ時代
2015年7月31日にマット・ハリソン、ニック・ウィリアムズ、ホルヘ・アルファーロ、ジェイク・トンプソン、ジェラッド・アイコフ、アレク・アッシャーとのトレードで、コール・ハメルズと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[8][9]。レンジャーズ加入後は投球内容が一転し、26試合の登板で防御率2.08、WHIP0.92という成績を残した[4]。フィリーズとの通算では、2年連続65試合以上となる67試合に投げ、2勝1敗、防御率4.01、58.1イニングで31四球、69奪三振という成績を残した[4]。
2017年1月17日に例年悩まされてきた慢性の大腸炎を手術することが発表された。これによってシーズン前半を欠場することになった[10]。9月1日にメジャー復帰するとシーズン終了までに11試合に登板した[4]。オフにはハッチ賞を受賞した[11]。
ダイヤモンドバックス時代
2018年7月31日に黄暐傑及び後日発表選手[注 1]とのトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[13]。オフの10月29日にFAとなった[4]。
ロイヤルズ時代
2019年2月13日にカンザスシティ・ロイヤルズと1年225万ドルの契約を結んだ[14]。
アスレチックス時代
2019年7月27日にダイロン・ブランコ、イスマエル・アキーノとのトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[15]。オフの10月31日にFAとなった[16]が、12月3日に2年総額750万ドルで再契約を結んだ[17]。
レッドソックス時代
2022年3月16日にボストン・レッドソックスと2年契約(3年目の2024年は球団オプション)を結んだ[18]。
ホワイトソックス時代
2022年8月1日にリース・マグワイア、後日発表選手とのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[19]。
2023年は13試合に登板して0勝1敗、防御率7.94と結果を残せず、5月2日にDFAとなり[4]、5月6日に自由契約となった[4]。
レイズ時代
メッツ時代
2024年2月6日にニューヨーク・メッツと1年400万ドルで契約を結んだ[22]。この年は43試合に登板したものの、7月29日にマット・ゲージの昇格によってDFAとなり[23]、8月3日に自由契約となった[23]。それ以降、どのチームにも所属せずにシーズンを終えた。
ブレーブス傘下時代
2025年2月11日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングにディラン・コービーと共に招待選手として参加したが[24]、開幕前の3月19日に自由契約となった[25]。
独立リーグ時代
2025年4月22日にアメリカン・アソシエーションのリンカーン・ソルトドッグスと契約を結んだが[26]、5月23日に自身のXで現役を引退することを発表した[27]。
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選手としての特徴
サイドスロー気味のスリークォーターから、平均球速153.0km/hのシンカーを投げる。これが投球全体の70%以上を占めており、次いで平均球速136.5km/hのスライダーが約25%前後で、この2球種で全体のほとんどを占める。それ以外ではチェンジアップを投げる。2017年から基本球種をフォーシームに切り替えており、スライダーの割合も30~40%程度にまで増えた。
三振能力が非常に高く、2016年シーズン終了時点で通算奪三振率11.03を記録している。一方で、もともと制球力がない上に、最大の武器であるスライダーをボール球にして振らせることが多いため、特にスライダーのストライク率が低い。その結果、与四球が多くなり通算与四球率4.65という数字を残している[28]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
ポストシーズン投手成績
年度別守備成績
表彰
- ハッチ賞:1回(2017年)
背番号
- 63(2012年 - 2015年途中)
- 41(2015年途中 - 2018年)
- 40(2019年 - 同年7月26日)
- 35(2019年7月30日 - 2021年)
- 31(2022年 - 同年途中)
- 55(2022年途中 - 2023年途中)
- 30(2023年途中 - 2024年途中)
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脚注
関連項目
外部リンク
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