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ダグ・デシンセイ

アメリカの元プロ野球選手 ウィキペディアから

ダグ・デシンセイ
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ダグラス・バーノン・デシンセイDouglas Vernon DeCinces, 1950年8月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

1970年MLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。

1973年9月9日の対クリーブランド・インディアンス戦(クリーブランド・スタジアム)の7回表にブルックス・ロビンソンの代走として出場しメジャーデビューを果たす。

1976年三塁手のレギュラーに定着。

1979年にはワールドシリーズに出場し、第1戦で本塁打を放つ。

1982年カリフォルニア・エンゼルスにトレードで移籍。同年は打率.301、30本塁打、97打点と活躍し、シルバースラッガー賞を獲得。8月3日のミネソタ・ツインズ戦では、1回裏の打席で2球目を本塁打、3回裏と5回裏にはいずれも初球を本塁打し、3球連続本塁打を記録している(投手はすべてブラッド・ヘイブンズ)[1]

1983年にはMLBオールスターゲームに出場した。

1987年ジャック・ハウエルに三塁の定位置を奪われるまでエンゼルスの正三塁手として活躍した。シーズン途中の9月にFAとなり、シーズン残り7試合でセントルイス・カージナルスと契約。地区優勝を争っていたカージナルスはジャック・クラークの故障で4番打者不在となり、急遽獲得した。チームは地区優勝を果たしたが、プレーオフ出場資格がなかった(プレーオフに出場するためには8月31日までに契約し、チームに帯同していなくてはならない)。

1988年1月20日にNPBヤクルトスワローズへの入団が発表された[2]。38歳と年齢的な衰えは隠せなかったが、それでもNPB初打席初本塁打東京ドームの公式戦第1号や、史上5人目の2試合連続サヨナラ本塁打(2試合とも1点ビハインドで9回裏2死一塁という場面だった。2試合連続逆転サヨナラ本塁打は史上初)を放ち存在感を示した[3]。同年限りで現役を引退。

引退後は実業家代理人となる。また、ジャック・ハウエルの代理人も務めた。

1993年にはレオン・リーと共に映画「ミスター・ベースボール」のテクニカルアドバイザーも務めた。

2011年8月4日、アメリカ証券取引委員会(SEC)にインサイダー取引の容疑で告発された。医薬品関係の会社情報を入手し、3人の仲間とともに170万ドルもの違法な取引を行い利益を得ていたとされる。その後デシンセイは250万ドルの罰金を支払った[4]

2012年11月28日、同容疑で起訴されていたことが明らかになった[5][6]。2017年5月12日、14の項目につき有罪判決[7][8]。ただしインサイダー情報提供者の刑事訴訟が長引いており、その審理における情報提供等の司法取引によりデシンセイの刑期が増減する可能性から、刑は未確定となった[7]。2018年12月、当該刑事訴訟が被告人とSECとの和解により終了。2019年8月12日、デシンセイに懲役1日および自宅拘禁8か月と、罰金1万ドルの刑が言い渡された[7][9]

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表彰

MLB

記録

MLB
NPB

背番号

  • 37 (1973年 - 1974年)
  • 11 (1975年 - 1987年途中)
  • 10 (1987年途中 - 同年終了)
  • 15 (1988年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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