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テネシーガール
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テネシーガール[1]はアメリカ合衆国で生まれ日本で調教された競走馬。主な勝ち鞍は1999年ファンタジーステークス、2001年セントウルステークス。
![]() | この記事では「旧馬齢表記」と「新馬齢表記」が混在しています。 |
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戦歴
2歳時から重賞勝ちを収めたほか、阪神3歳牝馬ステークスでも5着となるなど、早くから重賞戦線で活躍するも、クラシック出走権のない外国産馬であったことや、持病である蹄の弱さから2000年春はほぼ休養に充てられ、復帰後も残る牝馬一冠である秋華賞には距離適性を考慮され向かわず、短距離路線へと向かう。
牡馬とのオープン競走でも2着に入るなどスプリント戦で結果を残し、2001年の高松宮記念では単勝16番人気という低評価に反発する3着と好走。大外18番枠ながら「マイペースで無理なく行けたのが要因」と山田和広はレースを振り返っている[2]。
GIでも好走例がありながら勝ちきれない内容や、函館滞在中に骨膜炎を患った影響[3]から2001年のセントウルステークスでも6番人気と評価を集めることができず、同馬を管理する調教師の坪正直も「こんなものかな…」と自信をなくしていた[3]が「熊(熊沢)の馬(1番人気/カルストンライトオ)が思ったほど来なかった」(山田)[3]ことから高松宮記念同様にマイペースで先行し、重賞2勝目を記録している。
その後も現役を続行し、GI競走への出走もあったが4戦すべて二桁着順に終わるなど成績を残すことはできず、2002年の高松宮記念16着を最後に現役を引退した。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[4]およびJBISサーチ[5]に基づく。
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繁殖成績
2002年春に引退後、アメリカに戻り繁殖牝馬として繋養されていたが、2008年に再度日本へと渡り[6]、以降は北海道浦河町にある三嶋牧場で引き続き繁殖生活を送っていたが、同地にてエーシンメンフィスを出産後に蹄葉炎を発症[6]し、死産を経て療養に入った[6]こともあり以後の産駒はなく、2010年7月23日に死亡した[7]。
4番仔エーシンメンフィスが2012年に愛知杯を制している[8]。
血統表
テネシーガールの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ダンジグ系 |
[§ 2] | ||
父 Pine Bluff 1989 |
父の父 Danzig1977 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | |||
Petitioner | ||||
父の母 Rowdy Angel1979 |
Halo | Hail to Reason | ||
Cosmah | ||||
Ramhyde | Rambunctious | |||
Castle Hyde | ||||
母 Java Magic 1990 |
Java Gold 1984 |
Key to the Mint | Graustark | |
Key Bridge | ||||
Javamine | Nijinsky II | |||
Dusky Evening | ||||
母の母 Castle Royale1978 |
Slady Castle | Tudor Melody | ||
Queen of Speed | ||||
Dotsie Go | Clandestine | |||
Gay Rose F-No. 1-n | ||||
母系(F-No.) | (FN: 1-n) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer 15.63% 3 x 5 , Princequillo 6.25% 5 x 5 , Almahmoud 6.25% 5 x 5 | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注
外部リンク
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