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デーブ・マルティネス

アメリカの野球選手、監督 (1964 - ) ウィキペディアから

デーブ・マルティネス
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デビッド・マルティネスDavid Martinez, 1964年9月26日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。2018年シーズンより2025年にかけてMLBワシントン・ナショナルズの監督を務めた。

概要 基本情報, 国籍 ...

2019年に監督としてワシントン・ナショナルズを球団史上初のワールドシリーズ制覇に導いた。

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経歴

プロ入り前

1982年MLBドラフト40巡目(全体819位)でテキサス・レンジャーズから指名されたが、この時は入団せずにバレンシア・コミュニティカレッジ英語版へ進学した。

現役時代

1983年1月のMLB二次ドラフト3巡目(全体53位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。1986年6月15日にメジャーデビュー。1987年にはレギュラーとなり、打率.292の成績を残した。

その後も目立たないが着実に数字を残し、シカゴ・ホワイトソックスへ移った1995年に打率.307、1996年も打率.318・8三塁打(アメリカンリーグ3位)、自己最高の出塁率.393の成績を残した。

1998年には新球団タンパベイ・デビルレイズへ移籍すると、1999年にはともに自己最多となる146安打・66打点を挙げた[1]2000年には4球団を渡り歩いた。アトランタ・ブレーブスでプレーした2001年を最後に引退した。

引退後

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タンパベイ・レイズでのコーチ時代
(2012年5月11日)
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シカゴ・カブスでのコーチ時代
(2017年7月15日)

引退後は2008年から2014年までタンパベイ・レイズのベンチコーチを務め、監督のジョー・マドンがカブスへ移ると、マルティネスも一緒に移籍して2015年から2017年までベンチコーチを務めた。

2018年シーズンからはワシントン・ナショナルズの監督を務める[2]

2019年9月15日、本拠地でのアトランタ・ブレーブスとの試合中、胸の痛みを訴えて、病院に搬送された。その後、心臓カテーテル手術を受けた[3]。同20日に復帰した。チームはレギュラーシーズンを93勝69敗、勝敗.574で終え、ワイルドカードを獲得。ワイルドカードゲームに勝利すると快進撃を見せ、最終的にはヒューストン・アストロズを下して球団史上初のワールドシリーズ制覇を成し遂げた[4]

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2019年にワールドチャンピオンとしてホワイトハウスを訪問し、ドナルド・トランプ大統領を会話するマルティネス(前列右から2人目)

2020年はMLBの監督の中で最も多くの故意四球を出した監督となった[5]

2025年も通年の低迷から脱却できず、小笠原慎之介がメジャーデビューを果たした7月6日現在で37勝53敗と低迷し、4-6で敗れた同日のボストン・レッドソックス戦の試合後に、球団と契約解消に合意した[6][7]

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詳細情報

要約
視点

年度別打撃成績

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年度別投手成績

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  • 「-」は記録なし

年度別守備成績

投手守備
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一塁守備
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外野守備
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)
  • 太字年は最優秀監督賞受賞年
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ

背番号

  • 1(1986年 - 1988年途中、1989年 - 1991年、1993年途中 - 1994年、2000年途中 - 同年途中)
  • 3(1988年途中 - 同年終了)
  • 30(1992年)
  • 17(1993年 - 同年途中)
  • 14(1995年 - 2000年途中、2000年途中 - 2001年)
  • 4(2008年 - )
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脚注

関連項目

外部リンク

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