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トニー・アーマス・シニア
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トニー・アーマス・シニア(Tony Armas, Sr)こと、アントニオ・ラファエル・アーマス・マチャド(Antonio Rafael Armas Machado, 1953年7月2日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
息子のトニー・アーマス・ジュニアは2006 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表選出歴もある元メジャーリーグ選手(投手)で、弟のマルコス・アーマスも元メジャーリーグ選手(外野手)である。
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経歴
1971年、18歳の誕生日にピッツバーグ・パイレーツと契約。マイナーリーグで通算6シーズンプレイし、1976年9月に「セプテンバー・コールアップ」でメジャーに昇格。
翌1977年開幕前に6対3の交換トレードでオークランド・アスレチックスに移籍。同年は当初右翼手、途中から中堅手で起用され、118試合出場で13本塁打を記録。
以後2年は故障がちで1978年は91試合、1979年は80試合の出場に終わる。
1980年に自己最多の158試合に出場し、35本塁打、109打点を記録する。打率.279は自己最高であった。
ストライキでシーズンが中断した1981年には全109試合に出場。22本塁打は4人並んでアメリカンリーグの本塁打王となった[1]。同年MLBオールスターゲームに選出される。また、三振115もアメリカンリーグ最多であった。
1982年のトロント・ブルージェイズ戦で右翼手として11刺殺、12守備機会の1試合での大リーグ記録を達成。
同年オフにカーネイ・ランスフォードらとの交換トレードでボストン・レッドソックスに移籍。 移籍初年度の1983年は打率こそ.218に終わったが、リーグ2位の36本塁打、同7位の107打点を記録。左翼手ジム・ライス(後にアメリカ野球殿堂入り)、右翼手ドワイト・エバンスとの外野トリオは当時大リーグ最強とも言われた。
ベストシーズンは1984年。157試合に出場して43本塁打で2度目の本塁打王、123打点で初の打点王の二冠に輝く。2度目のオールスター出場を果たし、シルバースラッガー賞も初受賞。
1985年は故障もあって103試合の出場に留まるが、23本塁打を記録。1981年から85年の5シーズンで記録した187本塁打はアメリカンリーグ最多であった。
1986年は121試合の出場で11本塁打に終わり、同年途中に移籍加入したデーブ・ヘンダーソンにレギュラーを奪われる。生涯唯一のワールドシリーズ出場となったニューヨーク・メッツとの1986年のワールドシリーズも1試合、1打席のみの出場に終わった。(結果は三振。)同年限りでレッドソックスを解雇される。
翌1987年7月になってカリフォルニア・エンゼルスと契約。3シーズンプレイして引退。
1998年にはカリブ野球殿堂に、2005年には母国ベネズエラの野球殿堂に選出されている。
のち、1993年に弟マルコスがアスレチックで15試合に出場。息子のトニー・ジュニアは1999年から2008年までモントリオール・エクスポズ等4チームでプレイした。
引退後は母国ベネズエラのプロリーグ、リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルに所属するレオネス・デル・カラカスで打撃コーチを務める。
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選手としての特徴
本塁打王2回、打点王1回と1980年代前半のアメリカンリーグを代表する強打者の一人であった。 故障が多く、通算12回故障者リストに入り、その間に306試合に欠場した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- シルバースラッガー賞:1回(1984年)
- ア・リーグ月間MVP:1回(1984年6月)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(1981年、1984年)
脚注
関連項目
外部リンク
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