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トーホウドリーム

日本の競走馬 ウィキペディアから

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トーホウドリーム(欧字名:Toho Dream1997年5月26日 - 2013年11月13日)は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍に2001年産経大阪杯

概要 トーホウドリーム, 欧字表記 ...

経歴

競走馬時代

2000年1月5日京都競馬場第3競走の4歳新馬戦でセバスチャン・サンダースを鞍上にデビュー。6番人気の6着と健闘した。その後新馬戦をもう1戦し勝てず、3戦目の未勝利戦を幸英明とのコンビで、10番人気という低評価を覆して勝利する。そしてさらに7戦し、ようやく500万下条件を勝ち、年末の鳴海特別2着を挟んだ翌2001年には2連勝で1600万下条件を勝利してオープン入りを果たした。

オープン入り初戦は京都記念。トーホウドリームは9番人気の支持であったが、初重賞参戦であったにもかかわらず5着と掲示板入りする好走を見せる[注釈 1]。続く産経大阪杯では、昨年に年間グランドスラムを達成し、重賞連勝記録の更新が期待されていたテイエムオペラオーが単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されていた。対してトーホウドリームは前レースと同じく9番人気であったが、単勝オッズは73.4倍と前回よりもかなり上がっていた。しかし、実際にレースが発走すると、テイエムオペラオーは最後の直線での競り合いでエアシャカールアドマイヤボスに揉まれ抜け出すことができず、さらに大外からトーホウドリームが3頭をまとめて差し切ってゴールインした[2]。結果、テイエムオペラオーは複勝圏内入りさえできず、馬連の払い戻しが38,890円という大波乱の結果となり[2]、管理する田島良保も「オペラオーと対戦できるのは、きょうが最初で最後になるかもと思っていたのに...。まさか...」と驚きのコメントを残した[2]

この後、年内はGⅠ2戦を含む重賞を5連戦したが、2番人気で出走した中日新聞杯5着が最高着順であった。翌2003年も、重賞については7月に挑んだ北九州記念3着が最高の結果となる。その後、11月3日のダートのオープン戦である福島民友カップを8番人気ながら勝利したこともあり、翌年6月より岩手競馬に移籍した。しかし、出走した3レースすべてで着外に終わり、10月11日のレースを最後に競走馬を引退した。

引退後

引退後は福島県乗馬となり、相馬野馬追などで活躍していた。繋養先は南相馬市小高区の個人であったが、2011年、そこが東日本大震災による巨大津波の被害を受け、助かったトーホウドリームは鏡石町にある高倉ホースファーム(岩瀬牧場内)へと移動した。その後も引き続き相馬野馬追に参加し元気な姿を見せていたが、2013年11月15日に急死した[3]。16歳没。この直前にトーホウドリームは、震災の影響により個人での管理が難しくなり岩瀬牧場へ寄贈されることが決まっていたが、急死した日は奇しくも馬の所有名義が岩瀬牧場へと変更される日であったという[4]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[5]およびJBISサーチ[6]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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血統表

トーホウドリーム血統(血統表の出典)[§ 1]

メジロライアン
1987 鹿毛
父の父
アンバーシヤダイ
1977 鹿毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*クリアアンバー Ambiopoise
One Clear Call
父の母
メジロチエイサー
1977 鹿毛
メジロサンマン Charlottesville
*パラデイシア
*シェリル *スノッブ
Chanel

サクラササヤキ
1988 芦毛
*ノーアテンション
1978 鹿毛
Green Dancer Nijinsky
Green Valley
No No Nanette Sovereign Path
Nuclea
母の母
シルバーナイキ
1978 芦毛
*ドン Grey Sovereign
Diviana
ケープルビー *ムーティエ
ガーネツト
母系(F-No.) フロリースカツプ(GB)系(FN:F3-l) [§ 2]
5代内の近親交配 Northern Dancer S4×M5、Grey Sovereign M4×M5 [§ 3]
出典

脚注

外部リンク

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