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ハシノケンシロウ
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ハシノケンシロウ(欧字名:Hashino Kenshiro、1987年4月14日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に1990年の福島記念、1991年のカブトヤマ記念、1993年の新潟大賞典。
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![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
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経歴
1989年新潟競馬場の3歳新馬(芝1000m)でデビュー。初戦は4着に敗れる。3戦目の3歳未勝利で勝ち上がると、昇級戦のきんもくせい特別で2着に入る。初重賞挑戦となった京成杯3歳ステークスは5着に敗れた。その後、葉牡丹賞、ホープフルステークスと連続2着となる。
4歳になり、セントポーリア賞を差し切って勝利。このレースから大塚栄三郎が主戦として乗り続ける。1.9倍の断然人気に推されたクロッカスステークスはクビ差届かず2着。次走、若葉ステークスを好位から抜け出し3勝目を飾った。続く青葉賞は9着と惨敗。GI挑戦となった第57回東京優駿は18着と大敗に終わった。夏は休養に充てセントライト記念は7着。古馬との初対戦となったカブトヤマ記念はハンデ51㎏で出走するも8着に終わる。次走、福島記念も最軽量ハンデ51㎏で挑み、道中後方から3~4コーナーで仕掛け、最後はメジロマーシャスに半馬身差をつけ勝利。重賞初制覇を飾った。
5歳になり、掲示板を外すレースが3戦続いたが、エイプリルステークスを3番手から早め先頭に立ち、2馬身半差をつけて1着となる。その後は勝てない競馬が続いたが、オールカマーで11番人気ながら4着と好走すると、カブトヤマ記念は道中中団から、外を回すと内で粘るメジロサンフランをクビ差交わして重賞2勝目を手にした。連覇を狙った福島記念は6着に敗れる。 前年と同じく、年明け初戦は金杯(東)を使われ6着。続くアメリカジョッキークラブカップは4着に入る。長期休養明け、9か月半ぶりの実戦となった毎日王冠は7着。連覇を狙ったカブトヤマ記念は直線で大外から強襲したが、ワンモアラブウエイにクビ差届かず2着となる。3年連続出走となった福島記念は5着。愛知杯は接戦のなか、3着と好走した。
7歳になり、2戦連続で案外な競馬となったが、ブービー人気で挑んだエイプリルステークスで3着に入る。次走、新潟大賞典はトップハンデ57㎏で出走。道中後方待機から直線でナリタチカラとともに脚を伸ばし、早めに抜け出したシャコーグレイドをアタマ差差し切ったところがゴール。重賞3勝目を手にした。続く七夕賞は離された5着に終わると、その後は惨敗が続き、翌年の新潟記念で最下位の12着を最後に引退となった。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[2]に基づく。
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血統表
ハシノケンシロウの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | リュティエ系 |
[§ 2] | ||
父 ビゼンニシキ 1981 栗毛 |
父の父 *ダンディルートDandy Lute 1972 鹿毛 |
Luthier | Klairon | |
Flute Enchantee | ||||
Dentrelic | Prudent | |||
Relict | ||||
父の母 ベニバナビゼン1975 栗毛 |
*ミンスキー | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
カツハゴロモ | *サウンドトラック | |||
*ワイルドライフ | ||||
母 ヒダカヒナゲシ 1980 鹿毛 |
*パーソナリティ Personality 1967 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Affectionately | Swaps | |||
Searching | ||||
母の母 ネーハイシズ1974 鹿毛 |
*ダラノーア | Sunny Boy | ||
Danira | ||||
*ナッシングライムド | Emerson | |||
Martinetta | ||||
母系(F-No.) | ナツシングライムド(GB)系(FN:7-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | 5代内アウトブリード | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
外部リンク
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