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ハッピー・クリスマス(戦争は終った)

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ハッピー・クリスマス(戦争は終った)
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ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」(Happy Xmas (War Is Over))は、ジョン・レノンオノ・ヨーコによって書かれたクリスマス・ソング[2]。1971年に「ジョン&ヨーコ&プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・ザ・ハーレム・コミュニティ・クワイア」名義のシングルとして発売された[注釈 1]

概要 「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」, 初出アルバム『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』 ...

イギリスでは音楽出版社との衝突による影響で翌1972年に発売され、全英シングルチャートで初登場23位を記録した後、1980年のレノンの死後に最高位2位を記録[3]

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レノン・ウォール
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解説

要約
視点

1969年12月15日、レノンとオノはロンドンで行われたユニセフ主催の『ピース・フォー・クリスマス』コンサートに出演した[注釈 2]。また同時にニューヨークタイムズスクエアなど世界11都市[注釈 3]で一斉に「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT Happy Christmas From John & Yoko 」とクリスマス・メッセージが書かれた看板を設置するとともに、ポスターを貼り出したり新聞広告を出したりなどの平和キャンペーンを行った[7]。これらは、当時アメリカが関与していたベトナム戦争に対する抗議でもあった[注釈 4]

1971年9月、レノンとオノは活動の拠点をアメリカのニューヨークに移すと、アルバム『イマジン』をリリースした。アルバムは各国でチャート1位を獲得し、シングル・カットした「イマジン」も『ビルボード』誌で最高位3位となった。政治的なメッセージを含みながらも商業的に成功した[注釈 5]ことで、同じようなやり方でクリスマス・ソングを作ることにした。

レノンは10月上旬に、オノと住んでいたニューヨークのセント・レジス・ホテルの自室で、アコースティック・ギターによるホーム・デモを録音した。この時点では、歌詞はほとんど入っていなかったが、メロディと構成はほぼ完成していた[注釈 6]グリニッジ・ヴィレッジのアパートに居を移した10月中旬からさらに新しいデモを作った。10月28日の夜、ニューヨークのレコード・プラント・イーストで、プロデューサーにフィル・スペクターを起用して、ヒュー・マクラッケンら4名のセッション・ミュージシャン[注釈 7]とともに正式なレコーディングを開始した。基本的な楽器の演奏によるバッキング・トラックを録音後、レノンとオノによるボーカルを入れた。ドイツからクラウス・フォアマンが到着した30日には、オノがボーカルを担当したカップリング曲「ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ」を録音した[10]。31日に代役が演奏していたベースのパートをフォアマンの演奏に差し替えた後、午後から4歳から12歳までの30人の子供たちからなるハーレム・コミュニティ・クワイアよるバッキング・ボーカルと、イントロで囁かれるレノンとオノの子供たちへのメッセージ[注釈 8]をレコーディングした[11]。オリジナル・スリーブ・ジャケットの写真はこのセッションでイアン・マクミラン [注釈 9]が撮影したものである[9]

アメリカでは12月1日にリリースされたが[1]、期待に反して大きなヒットにはならなかった[12]。これはレノンが「リリースの時期を誤った」と後悔していたように[13]、シングルの発売時期が遅かったためにクリスマス前のラジオでのオンエアが限られてしまったことと、キャピトル・レコードがなぜか積極的なプロモーションをしなかったことによるものだった[14]。シングル・チャートでは『キャッシュボックス』誌で最高位36位、『レコード・ワールド』誌で最高位28位を記録した[15]。一方、『ビルボード』誌ではチャート・インしなかった。これは当時の『ビルボード』誌の規定で、クリスマス・ソング一般チャートには掲載しないこととなっていた[16]ためで、クリスマス・シングルス・チャート[注釈 10]では最高3位(1971年12月25日付)を記録した[17][注釈 11]

イギリスでは「ハッピー・クリスマス」をレノンとオノの共同名義の作品としたことについて、ノーザン・ソングスからソングライティング契約[注釈 12]違反にあたるとのクレームがあったため、発売は見送られた[3][注釈 13]。1年後の1972年11月24日にリリースされ[1]、シングル・チャートで2週連続4位を記録した。その後、クリスマス・シーズンに何度もチャートに返り咲き、1980年レノンの死直後には2位を記録した。

リリースに際し、アメリカの一部とイギリスの初回プレスではオリジナル・ピクチャー・ジャケットに入った緑色のカラー・ビニール盤に、レノンの顔がオノの顔に変化するモーフィングを用いた5枚の画像が並べられた特別レーベルが使用された[注釈 14]。なお、レノンのシングルにアップル・レーベルが使われなかったのはこれが初めてだった。

アメリカ以外の国で唯一1971年にリリースされた日本盤のピクチャー・スリーブは独自のもので、レノンとオノのモノクロ写真[注釈 15]に平和のシンボルである「」とベトナムを想起させる「赤い星」、そしてオノによる日本語の直筆メッセージ「イマジンで示した切なき平和への願いを、今また、クリスマス・ソングに託して・・・世界に限りなき平和を・・・」にレノンによるイラストとサインが添えられている。なお、邦題の「戦争は終った」は「War Is Over」を直訳したものであり、2人のメッセージとはニュアンスが若干ずれてしまっている[注釈 16]

この曲が初めてアルバムに収録されたのは、レノンが生前に発表した唯一のコンピレーション・アルバム『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』である。ただし、最後に1972年8月に行われた「ワン・トゥ・ワン・コンサート」のフィナーレで演奏された「平和を我等に」のライヴ・バージョンが繋げられている。 ロイ・コハラ[注釈 17]のデザインによるアルバム・ジャケットには、マイケル・ブライアン[注釈 18]による収録曲のイメージが描かれているが、この曲は「爆弾の代わりにクリスマス・オーナメントを落とす爆撃機」のイラストで表現されている[21]。なお、インナー・スリーブに印刷されている歌詞には実際とは明らかに異なっている部分がある[注釈 19]

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シングル収録曲

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クレジット

※出典[7](特記を除く)

ハッピー・クリスマス(戦争は終った)
ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ
  • オノ・ヨーコ - ボーカル
  • ジョン・レノン - アコースティック・ギター
  • ヒュー・マクラッケン - エレクトリック・ギター
  • クラウス・フォアマン - ベース
  • ニッキー・ホプキンス - ピアノ、チャイム
  • ジム・ケルトナー - ドラム、ベル

ミュージック・ビデオ

本曲のミュージック・ビデオは、1989年にCD化されたコンピレーション・アルバム『ジョン・レノン・コレクション』のビデオ版として1992年にVHSで発売された『ジョン・レノン・ビデオ・コレクション』用に初めて制作された。レノンとオノが1969年に行った「War is Over!」キャンペーンの映像や、1970年代後半の夫妻と息子ショーンの素顔の写真に、オリジナルの歌声に合わせた少年合唱団が挟み込まれた構成になっている。

2003年には、DVD『レノン・レジェンド』のために、この曲のリマスター5.1バージョン用に新しいビデオが制作された。これは、ソマリア内戦ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件、アメリカが関与したアフガニスタン紛争イラク戦争など、最近の様々な紛争のシーンに加え、ベトナム戦争での、主に子供を描いたドキュメンタリー映像で構成されている。

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他のアーティストによるカバー・バージョン

要約
視点

この曲はクリスマス・シーズンのコンピレーション・アルバムに頻繁に収録され、クリスマスの人気曲として名前が挙がっている[23]。また多くのアーティストによって取り上げられ、「世界のクリスマス・ソング」としても名高いスタンダード・ナンバーとなっている。

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チャート成績

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認定

以下、オリジナル・バージョンに関する実績。

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脚注

参考文献

外部リンク

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