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LOVE PSYCHEDELICO

男女二人による日本のロックデュオ ウィキペディアから

LOVE PSYCHEDELICO
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LOVE PSYCHEDELICO(ラブ・サイケデリコ)は、ボーカルのKUMIとギターのNAOKIの男女二人による日本ロックデュオ[4]。略称はデリコ。所属レーベルはビクターエンタテインメント、所属事務所はJVCエンタテインメント

概要 基本情報, 出身地 ...
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概要

1997年に青山学院大学の音楽サークルで結成[5]。もともとは大学でNAOKIがKUMIに声を掛けたことをきっかけになにげなく始まったバンドで、当初はプロデビューなどという野心はまったくなかった[6]。2人を中心にバンド形態で活動をスタートするが、メンバーが入っては辞めての繰り返しで、ファースト・アルバムも、バンドが無くなって後任のベースとドラムとキーボードを探すまでの間にデモテープのつもりで2人だけで作っていたものだった[6][7]。そのテープがたまたまレコード会社に渡り、アコースティック・ギターボーカルを録り直した以外はほとんどそのままの形でCDになり世に出た[注 1][7][8][9]

本来のバンド名は「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」であったが、長すぎるためORCHESTRAの頭文字「O」のみをPSYCHEDELICの後ろにつけ、現在の名称になった[10]

2004年にはアジアツアーを開催し、2008年にはL.A.を拠点とするインディーズレーベルHacktone Recordsよりアルバム『This is LOVE PSYCHEDELICO』で正式に米国デビューを果たすなど、海外での活動も展開している[4]。アメリカデビューは彼らの音源を聞いたレーベルのプレジデントのデヴィッド・ゴーマンからの数年越しのラブコールに応えることで実現したもの[11][12]。それをきっかけにハリウッドの伝説的なライブハウスであるトルバドールで公演するなど、しばらくL.A.と日本とを行き来しながら活動を続けた[7]。また香港上海台湾などのアジア圏では2000年のデビュー当時から「愛的魔幻」の呼び名で親しまれ、香港のロック・フェスティバルヘッドライナーとして出演するなど絶大な人気を誇っている[2][13]

デビュー当時は自らがDJを務めるFMラジオを主体にプロモーション活動を展開[14]。2人はメディアに出ずCDジャケットも象徴的なイラストを使用し、どんな人間がやっているのか、どのようなバンドかなど、すべてがベールに包まれたまま、純粋に楽曲の力だけでミリオンヒットを記録した[7]。2ndアルバムリリース後は自分たちでバンド・メンバーを集めて全国ツアーを行ったり各地のフェスティバルへ出演したりするなど、ライブ活動に対してより積極的になる[7]。映画やテレビドラマへの主題歌の提供や地上波の音楽番組への出演など、メディアにも積極的に関わるようになる[14]

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メンバー

要約
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サポートメンバー

2004年 - 2015年

2004年秋の全国ツアー「Mind across the universe 2004」から10年近く、ほぼ固定化されていたバンドメンバー[注 2][7][9][25]。その期間、ステージもスタジオの作業もずっと同じメンバーで続け、メンバーの日程がそろわないとライブをやらないほどだった[26]。またライブやレコーディングだけでなく、ミュージック・ビデオ[注 3]に出演することも多かった。

2017年 -

10年以上活動を共にしたバンドに代わって結成された。それまでのライブでは楽曲の再現性を重視してミュージックシーケンサーによる同期に頼ることも多かったが、よりオーガニックなサウンドで表現するためにメンバーと編成が一新された[8][25][26]

スペシャルバンド

2015年のアジアツアーのバンドメンバー[13]

  • 長岡亮介ペトロールズ東京事変):ギター担当
  • 千葉広樹(Kinetic、rabbitoo、サンガツ):ベース担当
  • 坂東慧(T-SQUARE):ドラム担当
  • 権藤知彦(METAFIVE、anonymass、pupa):ホーン、コンピュータ・オペレーティング担当

ゲストメンバー

過去のサポートメンバー

  • わた流D:ベース担当

レコーディング

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来歴

要約
視点

1997年1月、青山学院大学の音楽サークルACM(Aoyama Creative Music)にて結成。元は数名からなるバンドだったが、音楽性の違いから、最終的にKUMIとNAOKIのデュオとなる。

1999年11月、FM局に楽曲を応募。放送後にリスナーから問い合わせが殺到する。複数の音楽関係者の目に止まり、多くの事務所・レコード会社から声がかかる[2]

2000年1月、タワーレコードを中心にインディーズで100円で限定カセットを販売。同年4月21日、シングル『LADY MADONNA 〜憂鬱なるスパイダー〜』でビクターエンタテインメントよりデビュー

2001年1月、1stアルバム『THE GREATEST HITS』をリリース、160万枚を超える売り上げを記録した。3月、アメリカの音楽フェスティバル「SXSW」に出演し、全米のライブハウスを回る[注 4]

2002年1月9日、短期集中で作られた2ndアルバム『LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA』をリリース[7]。アルバムタイトルは現在のネーミングになる以前に名乗られていたバンド名であり、このアルバムはセルフ・タイトルド・アルバムである[10]

2003年、8thシングル『My last fight』をリリース。フジテレビテレビドラマハコイリムスメ!』のエンディングテーマに採用される。

2004年、3rdアルバム『LOVE PSYCHEDELICO III』をリリース。このアルバムからセルフプロデュースになった[29]。オープニングナンバーの『Everybody needs somebody』が映画『ホテルビーナス』のテーマソングに起用される。10月、2年ぶりの全国ツアー「Mind across the universe 2004」を開催。11月には初のアジア・ワンマン・ツアー(韓国・香港)を行う。

2005年、限定で初のベストアルバムEarly Times』をリリース。オリコン2週連続1位を記録。5月27日、初の日本武道館公演を成功させた[注 5]。6月、台湾公演を行う。9月7日、彼らのプライベートスタジオ「Golden Grapefruit Recording Studio」が完成し、以後レコーディングはここで行うこととなる[7]。またこの年の暮れにオノ・ヨーコと初めて会い、以降、「ジョン・レノン スーパー・ライヴ」に毎年出演するようになる[7]

2006年4月7日より、NHK総合のテレビ番組『英語でしゃべらナイト』新オープニングテーマ曲として、デリコがアレンジしたビートルズのカバー曲「HELP!」が流れる。また同日、本人達が出演しているシーンも放送された。

2007年、フジテレビ僕らの音楽-OUR MUSIC-』に出演、番組内で初のテレビライブとオノ・ヨーコとの対談の模様が放送された[14]。6月、プライベートスタジオと同名の4thアルバム『Golden Grapefruit』をリリース。10月から全国ツアー「LOVE PSYCHEDELICO 2007 GOLDEN GRAPEFRUIT TOUR」を開催。

2008年5月20日、アルバム『This Is Love Psychedelico』で米国デビューを果たす。また、その日本盤も6月18日に、ライブ映像やPVを収めたDVD『GOLDEN GRAPEFRUIT BOX』と同時発売された。

2009年12月2日、『FNS歌謡祭』に初出演し、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」を披露した。生放送のテレビ番組への出演もこれが初めてであった。

2010年1月、5thアルバム『ABBOT KINNEY』[注 6]をリリース。6月から全国ツアー『LOVE PSYCHEDELICO 2010 “ABBOT KINNEY” CONCERT TOUR』を開催。7月、香港・台湾でワンマン公演。8月、SMAPに楽曲「This is love」を提供。

2013年4月17日、6thアルバム『IN THIS BEAUTIFUL WORLD』をリリース。5月より約3年ぶりとなる全国ツアー「LOVE PSYCHEDELICO TOUR 2013 "IN THIS BEAUTIFUL WORLD"」を開催。サポートには普段のバンドメンバーに加え、TOTOの初期から後期までアルバムやライブのサポートを務めたことでも知られる世界トップクラスのパーカッショニスト、レニー・カストロも参加[29][30]

2014年、2人だけで行なう初のアコースティックライブを開催[31][32]。ステージ上にアコースティックギターやベース、エレキギター、マンドリン、スティールギターといった複数の楽器を並べ、終始二人が曲に合わせて楽器を持ち替えながらパフォーマンスした[32]

2015年2月18日、デビュー15周年記念ベストアルバム『LOVE PSYCHEDELICO THE BEST I』と『LOVE PSYCHEDELICO THE BEST II』をリリース。5月から7月にかけて、2枚のベストアルバムを携えて全国ツアー「LOVE PSYCHEDELICO 2015 -15th ANNIVERSARY TOUR-『THE BEST』」を開催。このツアーでは、サポートドラマーとして高橋幸宏がバンドに帯同[注 7][33]。11月、アジアツアーを開催。27日に香港でアジア最大規模のロックフェスの1つ「Clockenflap 2015」にヘッドライナーで出演後、29日には台湾・国際コンベンションセンターでワンマンライブ「LOVE PSYCHEDELICO 2015-15th ANNIVERSARY TOUR 『THE BEST』- in TAIWAN」を行う[31]

2017年9月よりメンバーを一新した新体制のバンドでの全国ツアーを開催する[34]

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音楽性

NAOKIのギターリフが印象的な洋楽的サウンドとKUMIが手がける日本語英語が混在した歌詞と歌唱が彼らのスタイル[2][35]

クラシック・ロックなどの洋楽がルーツミュージックでありながら、クラブミュージックの影響を受けた打ち込みを中心とするリズムトラックなど90-00年代の現代的なセンスに裏打ちされたサウンド・プロダクトは、一見、懐古趣味に見えて、しっかりと当時のリアルタイムのサウンドを取り込んでいた[2][35]

デビューからずっとリフを中心にした曲を作っていたが、結成から20年を経て、メロディコードを主体とした曲作りも行うようになった[8][36]

楽曲制作では、作曲やアレンジだけでなく、歌詞も2人で相談しながら書く[8]。NAOKIが持ってきたリフにKUMIがメロディを乗せることもあれば、お互いに核になるメロディとコードを持ち寄ってそれに肉付けすることもある[37]。プライベートスタジオ設立後はレコーディングやミキシングの作業まで自分たちの手で行うようになった[37]

影響を受けたアーティストはローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンボブ・ディランキャロル・キングイーグルスビートルズサイモン&ガーファンクルクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルエリック・クラプトンショッキング・ブルーなど[36][17]

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ディスコグラフィ

シングル

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配信シングル

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オリジナル・アルバム

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ベスト・アルバム

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ライブ・アルバム

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映像作品

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タイアップ一覧

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ライブ活動

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出演

ラジオ

関連項目

脚注

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外部リンク

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