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プラシド・ポランコ
ドミニカ共和国の野球選手 (1975 - ) ウィキペディアから
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プラシド・エンリケ・ポランコ(Plácido Enrique Polanco, 1975年10月10日 - )は、ドミニカ共和国・サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
1991年にサントドミンゴのサンタ・クララ高校を16歳で卒業。所属していたリトルリーグのチームで監督をしていたマニー・モタがポランコのために奨学金の手配を行い、ポランコはアメリカ合衆国フロリダ州のマイアミ・デード・ウルフソン短大に進学、同州マイアミにあるモタの家で生活する[2]。
カージナルス時代
1994年にドラフト19巡目(全体530位)でセントルイス・カージナルスから指名され入団する。
1998年7月3日にメジャーデビュー。三振の少ない堅実なバッティングと内外野をこなすユーティリティーさでレギュラーを掴む。
フィリーズ時代
2002年7月29日にスコット・ローレン、ダグ・ニックルとのトレードでバド・スミス、マイク・ティムリンとともにフィラデルフィア・フィリーズに移籍。
タイガース時代

(2009年3月19日)
2005年6月8日にウーゲット・ウービナ、ラモン・マルティネスとのトレードでデトロイト・タイガースに移籍する。
タイガースで居心地のよさや近いうちに強いチームになる確信を得たポランコは8月2日、翌2006年からの4年総額1840万ドルで契約を延長[3][4]。9月10日と11日には球団史上レイ・ブーン以来48年ぶりの2試合連続4安打を記録[5]。シーズンを通してヒザ裏の腱を痛めていたが、フィリーズ・タイガース通算打率.331は両リーグでデレク・リーの.338に次ぐ高打率を記録[5]。
2006年開幕前の3月に第1回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[6]。
シーズンでは正二塁手としてタイガース地区首位に貢献したが、8月15日に左肩を脱臼してからはチームは失速[7]。9月23日に復帰を果たし、チームはワイルドカードでポストシーズン進出。ア・リーグ優勝決定戦では打率.529の活躍でシリーズMVPに選ばれた。ワールドシリーズでは17打数無安打で、チームもカージナルスに1勝4敗で敗退。
2007年には個人成績を伸ばし、自己最高となる200安打、打率.341、失策0を記録、初めてMLBオールスターゲームに選出されたうえ、シーズン終了後にはシルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞を受賞した。
2008年は、打撃3部門で前年を下回ったが、それでも打率.307、8本塁打、58打点を記録。
フィリーズ復帰
2009年12月3日、古巣フィラデルフィア・フィリーズと3年1800万ドルで契約。フィリーズでは三塁手として起用された。
2010年は打率.298を記録。
2011年は2度目のオールスター出場と3度目のゴールドグラブ賞受賞を果たした。
2012年は自己最低の打撃成績に終わった。10月29日にFAとなった。
マーリンズ時代

(2013年4月6日)
2012年12月20日にマイアミ・マーリンズと契約。
2013年10月31日にFAとなった。
マーリンズ退団後
2014年から未所属のまま迎えた2016年に現役引退を決意。ランディ・ウルフとともに古巣フィリーズを最終所属として現役引退することが8月8日にフィリーズより発表された[8]。
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選手としての特徴
バットコントロールのよさは2番打者としては理想的」[9]で、滅多に三振をしない。三振率(1三振に要した打数)では2006年から2008年まで3年連続でリーグ1位となっており、通算でも14.2打数に1回の割合でしか三振していない。また流し打ち(右打ち)も巧みで、.300を超える打率を残せる技術を持ち合わせている。
守備は堅実。2006年7月1日のパイレーツ戦で2失策してから2008年4月8日のレッドソックス戦で悪送球を犯すまで、186試合、911守備機会連続無失策という記録を打ち立てた[10]。これはともにルイス・カスティーヨが保持していた143試合・647守備機会連続無失策という二塁手としてのメジャー記録を更新している[11]。またプラス・マイナス・システムという指標でも、この3シーズン通算でポランコが残した数字はメジャー4位タイの+29、つまりこの期間の平均的二塁手より29個多くアウトを稼いだという結果が出ている[12]。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高、赤文字はMLBの二塁手における歴代最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- シルバースラッガー賞(二塁手部門):1回(2007年)
- ゴールドグラブ賞:3回
- リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(2006年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(2007年、2011年)
背番号
- 67(1998年 - 同年途中)
- 27(1998年途中 - 2002年途中、2003年 - 2005年途中、2010年 - 2012年)
- 23(2002年途中 - 同年終了)
- 14(2005年途中 - 2009年)
- 30(2013年)
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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