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ヤマザキマリ

日本の漫画家 (1967-) ウィキペディアから

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ヤマザキ マリ1967年4月20日[3] - )は、日本漫画家随筆家画家東京造形大学客員教授。日本女子大学特別招聘教授。海外暮らしが長く、現在はイタリア在住[4]スマイルカンパニー所属。既婚。

概要 ヤマザキ マリ, 生誕 ...
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経歴

要約
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少女時代

1967年(昭和42年)、東京都に生まれる。母親(神奈川県鵠沼[5]出身)がヴィオラ奏者として札幌交響楽団に在籍していたことから、幼少期を北海道千歳市で過ごした。指揮者だった父は生後まもなく死去。数年後に母が再婚したため(のちに離婚)異父妹がおり、演奏やヴァイオリン教師としてのレッスンで家をあけがちだった母の留守を姉妹で待っていたという[6][7]。10歳ごろまでは母の意向でヴァイオリンを習っていた[8]。母方は代々カトリックで、自身も幼児洗礼を受けている[6]

ミッションスクールに通っていた14歳の時、ヨーロッパ旅行を予定していた母親に仕事が入り、代わりに旅行に行くかと勧められ、軽い気持ちで1ヵ月ドイツフランスを一人旅した(ドイツに母親の旧友の音楽家がいた)。しかし、フランスに着いた際、想像より暗く寒い風土にカルチャーショックを受けたり、空港への迎えが母の友人ではなく別人(友人の叔父)だったため探すのが大変だった等のエピソードがある。また、パリからドイツへの移動時に、老齢のイタリア人陶芸家につきまとわれ、旅の理由が芸術のためであることを話すと、「すべての道はローマに通ずる、イタリアを訪れないのはけしからん」と叱られた。なお、このとき14歳という年齢もあり家出を疑われている。

学生時代

母から「学校をいったん辞めてイタリアに留学したら?」と勧められ、17歳で高校を中退。大学入学資格検定を取得後、上記のイタリア人陶芸家の招きで単身イタリアへ渡る。北イタリアの都市ヴィチェンツァの画塾を経て、フィレンツェの国立フィレンツェ・アカデミア美術学院イタリア語版に入学、美術史油絵を学びながら11年間過ごした。

21歳の時に日本へ一時帰国し、スキー旅行に向かう途中で交通事故に遭い、全身打撲で肺胞が潰れる重傷を負った。乗っていた母親の新車は大破した。本人曰く、事故後も意識は失わず救急隊員からしゃべり過ぎだと怒られたという[9]

フィレンツェ在住時には、学生アパートの隣室の詩人(イタリア人)と交際。11年の同棲後に妊娠したことを機に詩人と別れ、男児(#後述)を出産してシングルマザーとなった[10]。フィレンツェにおける留学生活やキューバでの生活は、本人のブログや自伝エッセイ「世界の果てでも漫画描き」に記されており、漫画を描き始めた理由は生活費を稼ぐためだった。

漫画家としての活躍

1996年(平成8年)、イタリア暮らしをつづったエッセー漫画でデビュー。同時期イタリアから一時帰国し、北海道大学及び札幌大学イタリア語講師を担った。並行して札幌テレビ(STV)の番組『どさんこワイド』にて旅行・温泉のレポーター、ラジオパーソナリティなども務めている。

2002年(平成14年)、14歳での欧州一人旅で出会ったイタリア人陶芸家の孫(ベッピ・キュッパーニ、1980年バッサーノ・デル・グラッパ生まれ、作家・文学研究者)と出会い、彼の留学先であるエジプトのイタリア大使館で挙式し、結婚。シリアダマスカス北イタリアでの暮らしを経てポルトガルリスボンに移住、7年間を過ごす。その後、夫がシカゴ大学比較文学を研究することになりシカゴに転居、2013年よりイタリアに戻りヴェネト州パドヴァ在住。

イタリアでの同居生活時における夫の家族の壮絶ぶりをつづったエッセイギャグ漫画『モーレツ!イタリア家族』や、少女時代の自叙伝的内容の『ルミとマヤとその周辺』などを『Kiss』(講談社)にて連載。一方、全く作風の異なる古代ローマをモチーフとしたギャグ漫画『テルマエ・ロマエ』を『コミックビーム』に掲載している。これは夫キュッパーニが「ローマ皇帝の名前を全員言えるほどの古代ローマおたく」で、その話題が当然のごとく日常会話に上ることに影響されたという[3]

テルマエ・ロマエの大ヒット

2008年より連載の『テルマエ・ロマエ』がヒット、2010年マンガ大賞受賞。授賞式では、リスボンからSkypeによる生中継で受賞コメントを伝えた[11]。そのほか、2010年第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞、2013年仏アングレーム国際漫画祭ノミネート[12]、2013年米アイズナー賞アジア部門ノミネート[13]2012年(平成24年)には日本で映画化された。

2010年代後半以降の活躍

2016年スティーブ・ジョブズ』などの作品により、芸術選奨文部科学大臣新人賞(メディア芸術部門)受賞[14]

2017年、長年イタリアに在住し、芸術家としてイタリアの文化やイメージの普及に貢献したとして、日本人漫画家としては初となるイタリアの星勲章コメンダトーレ章を受章[1][15]

ヤマザキの代理人弁護士である四宮隆史が設立したクリエイターエージェント会社・CRGとエージェント契約を結んでいたが、2021年よりスマイルカンパニーに移籍。

2024年2月、少年ジャンプ+(集英社)にて『テルマエ・ロマエ』の続編となる、還暦間近のルシウスを主人公とした『続 テルマエ・ロマエ』の不定期連載を開始。

2024年4月、『プリニウス』 (とり・みきとの共作)が、第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞[16]。2010年度の『テルマエ・ロマエ』に続き、自身2度目となる同賞の受賞となった。

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家族

息子はフィレンツェ在住時代に授かった、フリーカメラマンの山崎デルス[17]。生後まもなく帰国し北海道に移住。その後シリアを経て中学卒業までポルトガルに在住した。高校時代は、義父の勤務するアメリカのシカゴに移住。ハワイ大学に進学し、交換留学生として京都大学に通学した[18]。卒業後は、写真家、イラストレーター、文筆家、映像編集者など多岐に活動している[19]

エピソード

要約
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エンターブレインとの関係

2013年(平成25年)2月23日放送のバラエティ番組『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBS系)にて、興行収入58億円の映画版『テルマエ・ロマエ』の原作使用料が出版社から言い渡された100万円のみだったと発言し、この金額が二次著作物に対して不当であるとして波紋を呼んだ[20]

コミックビーム』2013年10月号より掲載予定だった『テルマエ・ロマエ』の番外編が延期となり、体調不良などを理由にしたお詫びのイラストが掲載された。同月号には特別付録として『テルマエ・ロマエ』の「お詫び手ぬぐい」が付されたが、発売日である2013年9月12日のTwitterにて「何も聞いていない」と発言した[21]。翌9月13日付でコミックビーム編集部は、作者に無断で配布した事実はないとコメントを発表したが[22]、弁護士は「企画として知っていたとしても、企画意図の説明は受けておらず、承諾もしていない」状態であったとしている[21]

その他

子どものころから無類の昆虫好き。5歳の時、初めて自分で購入した本は小学館の昆虫図鑑。2015年9月18日放送の「課外授業 ようこそ先輩」(NHK)に出演している(テーマ“虫の目で世界を見たら”)。

シンガーソングライターの山下達郎竹内まりや夫妻と交友関係を持つ。竹内のデビュー40周年の際には竹内をモデルとしたキャラクター「まりやちゃん」のデザインを書き下ろし、「Che Vuole Questa Musica Stasera 〜ガラスの部屋」のカバーではイタリア語を指導している[23]。山下から「あなたは本来画家なのだから」と依頼を受けて描き下ろした肖像画は、2022年6月22日発売のアルバム『SOFTLY』のジャケットに採用された[24]。ヤマザキが敬愛する画家アントネロ・ダ・メッシーナのタッチを意識し、2カ月を要したものである[25]

イタリア留学と結婚のきっかけ

2025年4月19日放送のラジオ番組『マイあさ』(NHKラジオ第1)のサタデーエッセーにて、イタリア留学と結婚のきっかけを語った。

中学2年の時、母親の勧めでヨーロッパ美術巡りの一人旅に出る。フランスでは、子どもの一人旅を「危険」「怪しい」と感じたイタリア人のマルコという高齢男性につきまとわれる。マルコは「悪い奴らから守る」という保護のつもりだった。コンパートメントで回避できたと思ったが、目の前に座った怒るマルコから説教を受ける。芸術のための旅であること話すと予定にイタリアが入ってないことでさらに怒りを買った。「無事に帰国したら、家出じゃない証拠としてお前の母親から手紙をよこすように」と指示されバチカン美術館絵葉書を渡される。帰国後、母にはがきを見せ「爺さんに手紙を出して」と依頼すると、絵葉書に写る陶芸作品がマルコの手によるものでバチカン美術館に所蔵されているらしい、と判明。はがきを返送したことで母とマルコはメル友になった。

母はヴィオラ奏者という仕事柄、イタリアに知人がいたという。その知人たちにマルコの人となりを調査してもらうと、話術に長けた街の名士で、全員が「良い人だ」と絶賛した。高校二年生の時、絵画を勉強したいならマルコのところへ留学するよう母に勧められる。以後11年間、28歳までイタリアに在住した。

一時帰国し、マルコが亡くなった後に彼の娘一家とメル友交流していた母の誘いでイタリアへ赴いた。その時、マルコの孫であるベッピ(将来の夫)と出会う。帰国後にベッピが心筋炎に罹患、「君が帰国したから寂しくて心筋炎になった、結婚してくれ」との連絡を知った母は結婚に大賛成。「だめだったら別れればいいのよ」という言葉に結婚を決意する[26]

作品リスト

漫画

アニメーション

イラスト

夫による安土桃山時代を舞台にした歴史小説(初の日本語訳)で裏表紙を担当。

その他

  • 竹内まりや公式キャラクター「まりやちゃん」 - キャラクターデザイン・イラストレーション
  • 山下達郎 アルバム「SOFTLY」(2022年6月22日) - ジャケット(肖像画)描きおろし
  • 氷川きよし 「生まれてきたら愛すればいい」 - 作詞 アルバム『You are you』(2021年8月24日)収録
  • 山下達郎 シングル「Sync Of Summer」(2023年7月) - ジャケットイラスト描きおろし[28]

エッセイ・その他

共著

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メディア出演

要約
視点

テレビ

ラジオ

他 多数

Web

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脚注

外部リンク

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