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三浦洋一 (俳優)

日本の俳優 ウィキペディアから

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三浦 洋一(みうら よういち、1954年昭和29年〉1月21日[1] - 2000年平成12年〉5月14日[1])は、日本俳優愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)出身[1]東海高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部中退[1]

概要 みうら よういち 三浦 洋一, 本名 ...
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人物・来歴

電電公社職員だった父のもとに生まれる[2]。二人兄弟の長男[2]。高校時代の部活は野球部[2]。もともと新聞記者になりたくて、早稲田大学に進学する[3][2]。大学在学中に知念正文主宰の「劇団暫(げきだんしばらく)」に入団してつかこうへいと出会い、1974年に『初級革命講座』でデビュー[1]。『熱海殺人事件』など、つか作品に主演する[1]

1978年、『七人の刑事』に出演して人気を獲得。

あんちゃん』での川上音次役、『さすらい刑事旅情編』での香取刑事役(7シーズンにわたり出演)などでも活躍した。

1982年からは歌手としても活動し、ロックバンド「ホット・リップス」を率いて公演を行った[1]

私生活では、1978年に女優の宇津宮雅代結婚[1]。宇津宮の娘[注釈 1]も引き取ったが、1990年頃から別居。離婚調停中の1993年に三浦の交際相手の妊娠が発覚するなどスキャンダルとなった[4]が、離婚が成立し、交際相手と2度目の結婚。妻の連れ子の長男のほかに次男(俳優・三浦慶光)を儲けた。

1999年11月、食道癌であることが判明。闘病の末、2000年5月14日に46歳で死去[1]1999年6月頃、自宅で食事中に食べ物がつかえる症状が出たため、病院で精密検査を受けたところ癌が判明した[5]。すでに末期状態による予後不良によって、手の施しようがなかったという[5]。同年10月新宿コマ劇場での舞台の宣伝のため、TBS『アッコにおまかせ!』にゲスト出演したときには、げっそりやせ細った姿になっていた[6]。本人は「稽古ではげしく動き回っているため」とごまかしていたが、実際には唾を満足に飲み込むことさえできないほど病状が悪化している状態であった[7]。舞台本番では毎日点滴を打ちながらも気力を見せ、奇跡的に千秋楽まで演じることができたものの[8]舞台終了後、再び入院。結果的にこれが人生最後の仕事となった。所属事務所が病名を公表し、それまで決まっていた仕事はすべてキャンセルする[9]。本人は完治したら仕事へ復帰する希望を捨てていなかったが[9]、その思いは叶わなかった。

海をこよなく愛し、マリンスポーツをしていたことで知られている。特にスクーバダイビングに造詣が深かった[3]

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その他

  • 脚本家の山田耕大とは東海高校時代の同級生で、かつては同じクラスだった。
  • 後妻の真理子は夫の死後本名で著書を発表し、ブログも更新していたが、卵巣がんのため2018年6月28日に死去。
  • 後妻との間に儲けた次男・慶光は、父と同じ俳優の道に進んだ[10]

出演

テレビドラマ

バラエティ・情報番組

映画

オリジナルビデオ

  • キリングエンジェル 夢犯(1995年、日活)

CM

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ディスコグラフィー

シングル

  1. 勲章(テイチクレコード、1982年8月21日)
    作詞:古田喜昭 / 作曲:古田喜昭 / 編曲:平野融
    (c/w ギヤを入れろよ)
  2. 死んでたまるかよ(テイチクレコード、1983年)
    作詞:古田喜昭 / 作曲:古田喜昭
    (c/w なぐるぜ)
  3. 風の運河(テイチクレコード、1984年3月21日)
    作詞:荒木とよひさ / 作曲:千代正行 / 編曲:若草恵
    (c/w なかなかの女)
  4. Good Night Angel(CBSソニー、1985年) - 「日曜9時は遊び座です」挿入歌
    作詞:杉本真人 / 作曲:杉本真人 / 編曲:佐藤寛
    (c/w すねないで)
  5. SWEET RAIN(CBSソニー、1987年)
    作詞:竹花いち子 / 作曲:鹿紋太郎 / 編曲:丸山恵市
    (c/w さよならを決めたあの夜に)

関連文献

  • 三浦真理子『桜の花が咲くまでは―俳優・三浦洋一 食道ガンと闘った日々』(扶桑社、2001年、ISBN 4594030599

脚注

外部リンク

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