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三田佳子

日本の女優(1941-) ウィキペディアから

三田佳子
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三田 佳子(みた よしこ、1941年10月8日[1] - )は、日本の女優。本名は高橋 嘉子(たかはし よしこ)で、旧姓は石黒(いしぐろ)。女子美術大学付属中学校・高等学校卒業。所属事務所は三田佳子事務所(生島企画室と業務提携)を経て、2017年2月24日付けでプロダクション尾木に移籍。

概要 みた よしこ 三田 佳子, 本名 ...

芸名の三田は、早稲田の高田(馬場)、明治の神田(駿河台)と共に3案示され、慶応の三田を選択。慶応大学野球部のファンだったため[2]。 夫は元NHKプロデューサー高橋康夫。長男は森宮隆、次男は高橋祐也[3]

代表作は映画『極道の妻たち三代目姐[4]、ドラマは大河ドラマいのち』『花の乱』など。大河ドラマで複数回主演した唯一の女優となっている。

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来歴・人物

要約
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『映画情報』1965年1月号(国際情報社)より
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1965年

大阪府大阪市天王寺区生まれ[5][6]。父は会社員[5]。長女ですぐ下の弟は幼い頃病死。末弟の二人兄弟[5]。生後半年で東京府(現在の東京都世田谷区に移り[7][8]、3歳の年に一家で山梨県疎開[5]、終戦後は下北沢を経て中野区で育つ。小学二年時に両親が離婚[6]。母親は幼い弟を父に預け[6]、嘉子を引き取って母子二人で東京で暮らす[6]兵庫県宝塚市立宝塚第一小学校[5]、東京都大田区立池雪小学校[5]、東京都中野区立桃園第三小学校[5][9]東京女子美術大学付属中学校~高等学校卒業[5]

中学3年のとき、児童劇団「ちどり」に入り[5][8]、中学・高校時代から多数のテレビ・ラジオに出演[5]週刊誌表紙等を飾るようになり[9]、高校在学中から映画会社数社にスカウトされるが断り続け、高校を卒業した1960年春に東映ニューフェイスではなく[9]第二東映へ入社した[2]

同年、『殺られてたまるか』で18歳で女優デビュー[6]。この映画は東映が売り出しを決めていた波多伸二との共演予定であったが、波多がロケ地本田技研工業埼玉製作所内で22歳で事故死し[6][9][10]、三田はロケバスの窓から波多が飛ぶ影を見た[6][9][10]。事故から15日後に会社は新しい相手役に梅宮辰夫を抜擢[6][10]。気持ちの整理もつかず、大人社会の非情さに驚愕し、東京新聞に心情を吐露した[10]。当初から主役級で起用され、佐久間良子と並ぶ東映の看板女優としての扱いを受ける[5]

Vシネマの発案などで知られる東映プロデューサー吉田達[6]、三田を迎えに三田の小さな家に行ったとき、「この貧しい母子のために尽くしてやりたい」と"三田派"の急先鋒になった[6]東映東京撮影所(以下、東映東京)に、いつしか"三田派"と"佐久間派"が生まれた[6]。東映入社当時は第二東映による粗製乱造時代で[10][11]、一年で14本映画を撮った年もあり[9][10]、毎日撮影が早朝から翌日の明け方まで続き、家に帰れないため、東映東京の近くの旅館に寝泊まりしていたという[10]。東映は段々、荒々しい男性路線に傾斜し始め[9][10]、女優も大人の女としての色気を要求された[9][10]東宝松竹に比べ、女性映画の数は少なく、たまにしか製作されなかった女性文芸路線では[10]1964年公開の『廓育ち』で社会派演技を見事にこなす。

1961年に文芸プロダクションにんじんくらぶに参加[12]

1967年に東映を退社しフリーとなった[5][13]。1967年の松竹『夜のひとで』で、無断でヌードすげ替えシーンを入れられ[9]、抗議すると映画界を干されかける[9]。以降はテレビ舞台を中心に活動した[2]。1973年にはNHK大河ドラマ黄金期の『国盗り物語』に出演した[14]。1974年、ドラマ出演で知り合ったNHK大阪の制作部副部長・高橋康夫と結婚[5]

1984年、『Wの悲劇』では、女優が女優の役をやるという難しい役柄だったが[9]、女の意地を見せる見事な演技が高く評価され[9]、各映画賞を受賞する[9]1986年、三田の演技力を以前から評価していた橋田壽賀子脚本作品の『いのち』に主演。平均29.3%の高視聴率を獲得し[9]、"国民的女優"の地位を盤石にした[9]

1989年1990年に、『NHK紅白歌合戦』(NHK総合ラジオ第1)の紅組司会を2年連続で務めた。

高額納税者番付において俳優・タレント部門で1991年から1994年まで4年連続で首位となり宝島社の「日本の女優100人」に掲載された[1]。強い個性が無いかわり、「多くのファンに感情を移入させるタイプの女優」と評された[1]

1996年子宮体癌が発覚し緊急入院、手術と5度の抗がん剤治療が功を奏して退院した。

1998年に高校生の次男が覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された影響で、CMを降板して活動を自粛した[15][16]

2003年に、デビュー時から親交のあった水野晴郎が復帰の手助けとして、自身の映画『シベリア超特急3』の主演に起用、その後は映画『海猫』、テレビドラマ『いま、会いにゆきます』など仕事を再開し、2007年9月16日放送の『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』で、仲間由紀恵とダブル主演する。

2007年11月15日、次男が覚醒剤所持の現行犯で3回目の逮捕となる。翌日の会見で「すべては私たち夫婦の教育の失敗」「引退も考えた」「今も月70万円の小遣いを渡している」「翌月の舞台(『エドの舞踏会』)については降板しない」などと話した[17][18]

2014年春の叙勲で旭日小綬章を受章した。

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出演

要約
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映画

劇場アニメ

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

舞台

ラジオドラマ

ニュース映画

バラエティ

他、多数

CM

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ディスコグラフィ

要約
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シングル

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その他

  • 夜の口笛 (1963年、別冊歌謡コダマ) - 『歌う東映スター』の4曲目に収録[45]

アルバム

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ナレーション

オムニバス・アルバム

  • 歌うスター大集合(1991年12月21日、キングレコード、KICS-159)-「女坂」収録。
  • 青春のかけら~テレビドラマ主題歌コレクション~(2004年6月、日本クラウン、CRCN-25102)-「幸せですのよあたくし」収録。
  • 俳優ベストヒット!!(2007年8月8日、日本クラウン、CRCN-45755)-「幸せですのよあたくし」収録。
  • 昭和ガールズ歌謡レアシングルコレクション3 ~恋算数/バギー野郎~(2010年3月20日、ブリッジ、)-「幸福よここまでおいで」収録。
  • 本命 魅女優たちR40'S(2013年5月18日、徳間ジャパンコミュニケーションズ、TKCA-73899)-「街角焦がれて」収録。

著書

  • 『てとテと手』主婦と生活社、1989年。ISBN 4-391-11186-1角川文庫 1997
  • 『太陽になれない月 : P.S.I love you』 H.ジャクソン・ブラウン, Jr. 撰 講談社 1995
  • 『三田佳子「第三の人生に乾杯!」』石井真人共著 毎日新聞社 1996
  • 『三田さんの謎』幻冬舎 2012

受賞・受章歴

1961年
1966年
1970年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
  • 第44回芸術祭・演劇部門 - 舞台『雪国』
1990年
1992年
1993年
2003年
2014年
2016年
2017年
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脚注

関連項目

外部リンク

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