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仙台都市圏環状自動車専用道路
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仙台都市圏環状自動車専用道路(せんだいとしけんかんじょうじどうしゃせんようどうろ)[1]は、宮城県仙台市を中心とする仙台都市圏において、仙台市都心部を中心として広がるDID(人口集中地区)を取り囲むように通る、総延長約60キロメートル (km) の環状の有料自動車専用道路の通称。5つの高速道路の各々の一部または全部によって構成されるため、「仙台都市圏高速環状ネットワーク」とも呼ばれる。公式愛称は「ぐるっ都・仙台」[2]。公式な英称は定められていない。
概要
要約
視点
2010年(平成22年)3月27日に全線開通した。総延長は、58.9 km[3]。政令指定都市の都市圏域に設置された環状自動車専用道路としては、全国で初めての全通例である[3][4]。
仙台市が整備してきた一般道による骨格幹線道路網「3環状12放射状線」の3環状の外側を通り、12放射状線のいくつかとインターチェンジで接続している。
なお、一般道との間では仙台南ICと山田ICにおいて進行方向に制限があるので注意が必要(富谷ICも進行方向制限あり)。
構成する道路
構成する道路を、北端にある富谷JCTから時計回り(外回り)に以下に示す。なお、色は便宜上用いたものであり、路線カラー等に基づくものではない。
管理・運営は東日本高速道路(NEXCO東日本)東北支社で、2016年4月1日以降の体制では、東北自動車道が同社の仙台管理事務所、それ以外の区間が仙台東管理事務所の管轄である[5]。
- 「ぐるっ都・仙台」を構成する道路と構成区間の延長 (km)
![]() | 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
- 外回り(時計回り):Google マップ(約61.3 km)
- 内回り(反時計回り):Google マップ(約60.3 km)
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沿革
要約
視点
1964年(昭和39年)に新産業都市「仙台湾地区[注 1]」に指定された当地では、高度経済成長期に計画・建設された日本道路公団(現・NEXCO東日本)の東北自動車道の県内区間が1970年代半ばに開通するのを前にして、1972年(昭和47年)に宮城県道路公社が設立された。同社はまず、東北道・仙台南ICと接続する国道286号(1970年指定)と、国道4号仙台バイパス(1970年全線暫定供用開始)とをつなぐ仙台南有料道路(現・仙台南部道路の一部)を1981年(昭和56年)に供用開始した。これにより、1970年(昭和45年)開設の仙台卸商団地を初めとする仙台東部流通団地、および、1971年(昭和46年)開港の仙台港(現・仙台塩釜港仙台港区)などが、仙台市都心部を迂回して東北道とつながるルートを確保した。また同社は、日本三景・松島の観光地区を迂回させる仙台松島有料道路(現・三陸自動車道の一部)を1980年代に開通させて仙塩地区を通る国道45号のボトルネックを解消し、県内第2の都市で石巻工業港(1967年供用開始)および特定第3種漁港・石巻漁港(1973年指定)を擁する石巻市と東北道との間の接続を改善した。なお、仙台松島有料道路は、新産業都市「仙台湾地区」を縦貫し、仙台港や仙台空港などと結ぶ「仙台湾岸高規格道路」の一部を構成する。
当道(以下「環状高速」)は当初から環状高速道路として計画・整備されたものではなく、新規路線がこれら既存の自動車専用道路の間をつなぐことで環状化を実現させたものであるため、道路の運営・種別・規格・車線数などが不統一で建設された(#車線・最高速度参照)。
環状化が進むにつれ、完成予定が大規模イベントとリンクされるようになり、2001年(平成13年)の新世紀・みやぎ国体前には全線開通の予定とされた。しかし実現せず、2002年(平成14年)のサッカー・ワールドカップでも全線開通は叶わず、会場最寄の利府しらかし台ICまでの盲腸端だった。全線開通はさらに遅れて2010年(平成22年)3月27日となった。
「環状高速」を構成する各道路にはおのおの法定路線名、道路名(営業路線名)、英語名があるが、「環状高速」そのものを指すそれらは存在しない。そのため「環状高速」が完成に近づくにつれて任意の名称で呼ばれるようになり、国土交通省は「仙台都市圏環状自動車専用道路」「仙台都市圏高速環状ネットワーク」「仙台環状自動車専用道路」「仙台環状道路」を使用した[1][2]。マスメディアでは、「仙台都市圏高速環状道路[7]」「仙台都市圏高速環状道[8]」「仙台圏高速環状道[9]」「仙台高速環状道[10]」「仙台圏環状道路[11]」「仙台環状道[12]」「環状高速[8]」「環状道路[8]」などと称されてきた。このような名称の混乱状態を解決するために愛称の公募が行われ、環状道路の中に杜の都・仙台がある様子をイメージさせるとの理由から「ぐるっ都・仙台」に決まり、2010年(平成22年)10月3日に発表された[2]。
仙台南部道路のみ県道路公社により建設・維持運営されていたが、通行料金が割高であったりETC割引が適用されなかったりなどの問題があったことから、NEXCO東日本への移管が宮城県などから長らく要望されていた[13]。この要望が実現し、2013年(平成25年)7月1日に仙台南部道路は県道路公社からNEXCO東日本へ移管された[14]。
年表
- 1964年(昭和39年)3月3日:「仙台湾地区[注 1]」が新産業都市に指定。
- 1965年(昭和40年)11月1日、東北自動車道の県内区間の基本計画決定(仙台南ICより北の区間は1967年11月9日に整備計画決定、1968年4月1日に施工命令)[15]。
- 1970年(昭和45年)7月7日:従前の5つの都市計画区域を統合して「仙塩広域都市計画区域」を定め、隣接地域に順次拡大。
- 1972年(昭和47年)4月1日:宮城県道路公社設立。
- 1973年(昭和48年)11月27日:東北自動車道の白石IC - 仙台南IC間開通[15]。
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)12月9日:東北自動車道の泉IC - 古川IC間開通[15](後に途中に富谷JCT設置。東北自動車道の「環状高速」構成区間が全通)。

- 1981年(昭和56年)2月1日:仙台南有料道路(後の仙台南部道路)の山田仮出入口(国道286号と接続) - 長町仮出入口(国道4号・仙台バイパスと接続)間開通。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)9月9日:川口JCT - 浦和IC間開通により、東北自動車道が全線開通。
- 1989年(昭和64年/平成元年)8月8日:三陸自動車道(仙塩道路)の基本計画および整備計画が決定[15]。
- 1993年度(平成5年度):仙台北部道路が事業化[15]。
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)
- 1996年度(平成8年度):仙台東部道路の仙台東ICより北の区間が事業化[15]。
- 1997年(平成9年)

- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 5月19日:仙台北部道路の利府JCT - 利府しらかし台IC間開通[15]。三陸自動車道道路と接続。
- 6月:サッカー・ワールドカップの3試合がグランディ21・宮城スタジアムで開催された。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)10月1日:日本道路公団民営化により、東北自動車道・仙台北部道路・三陸自動車道・仙台東部道路が東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)の管理・運営となった。


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道路施設
以下に、(連続)500 m以上の橋の一覧を示す。利府高架橋は高架の利府JCTを含めた長さを連続とした。利府高架橋と多賀城高架橋は利府JCTで接続しているが、多賀城高架橋は三陸自動車道本線方向の長さであり、両橋の長さは単純に合計できないので分けた。仙台南部道路の山田ICと仙台南ICとの間には、別々に名称がついているが河川橋と高架橋が連続している区間があるため一覧に含めた。
通過する自治体
北端にある富谷JCTから時計回り(外回り)で記載。全延長の約2/3の区間が仙台市内を通る。
インターチェンジなど
北端にある富谷JCTから時計回り(外回り)で記載。
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車線・最高速度
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交通量
24時間交通量(台) 道路交通センサス
(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」・「令和3年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)
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脚注
関連項目
外部リンク
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