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加賀健一
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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加賀 健一(かが けんいち、1983年9月30日 - )は、秋田県南秋田郡天王町(現:潟上市[3])出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー(本職はセンターバック(CB)[4])。
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来歴
要約
視点
10歳の時にサッカーを始める[2]。1999年、秋田商業高校に進学。高校2年生の時にFWからDFにコンバートされた。当時はもっぱら3バックの中央を務め、1対1の強さと攻撃参加を売りにしていた。
2002年にジュビロ磐田に入団。サテライトではスピードを活かし右のストッパーとして活躍していたが、トップチームで同ポジションを務めていた鈴木秀人からポジションを奪うことができなかった[5]。
出場機会を求めて、2005年よりコンサドーレ札幌へと期限付き移籍[6][7]。札幌では、後に磐田でも指揮を執る柳下正明監督の下でレギュラーとして活躍し[5]、2シーズンの間、CBの主軸としてプレー。右サイドのウイングバック(WB)でも起用された。
札幌での活躍と成長が磐田側に評価され、2007年から3シーズンぶりに磐田に復帰[8][9]。CBの他、4バック時には右サイドバック(SB)として起用され[5][4]、後方からの攻撃参加に抜群のスピードを発揮した[1]。同年9月30日、自身の誕生日に入籍。2010年はセンターバックのレギュラーとして活躍していたが、同年7月に富山との練習試合中に相手選手のキックを顔面に受けて頸椎骨折の大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされた[10]。約半年間のリハビリを経て、2011年の開幕戦より戦線復帰[10]。同年のナビスコカップ福岡戦ではハーフライン付近からのロングボールがそのままゴールとなり[11] 4年ぶりの得点を挙げた。同年末、FC東京や川崎などから獲得のオファーを受ける[12]。
2012年よりFC東京へ完全移籍[13][14]。退団した今野泰幸の穴を埋めるべく[15]、主に右CBでプレー。韓国代表DFチャン・ヒョンスらとポジションを争った[16][17]。SBもこなすスタイルから、ランコ・ポポヴィッチ監督からはイタリアのDFクリスティアン・パヌッチに例えられていた[18][19]。2014年は開幕から好調を維持するも[20]、J1第4節川崎戦で安柄俊からの肘打ちを頸部に受け[21] 離脱。復帰後も同箇所[22] やハムストリング近位挫傷[23] と負傷が続いた[20][24]。同年限りでFC東京との契約を満了し[25] 退団[24]。年長選手も遠慮なしにいじるムードメーカーとしても[18][26] 親しまれていた[27]。
2015年に浦和レッズへ完全移籍[28]。左右のストッパーとして構想されていたが[25]左足負傷で出遅れてしまい、闘志剥き出しのプレーで復調を見せるも[29] 在籍2年間でリーグ戦5試合出場にとどまった。
2017年にモンテディオ山形へ完全移籍[30][31]。同年7月、J2第24節湘南戦では相手GKの手元で鋭く落ちるミドルシュートを決め[32]、公式戦6年ぶりの得点を記録した。
2020年1月13日、ブラウブリッツ秋田に完全移籍により加入すると発表された[33]。2021年、左膝前十字靭帯断裂で戦線離脱[34]。
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所属クラブ
個人成績
その他の国際公式戦
代表歴
- U-18日本代表
- 2001年 - 国際ユースサッカーin新潟[37]
タイトル
クラブ
- ジュビロ磐田
- J1リーグ (2002年)
- ゼロックススーパーカップ (2003年、2004年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 (2003年)
- Jリーグカップ (2010年
- スルガ銀行チャンピオンシップ (2011年)
- 浦和レッズ
- ブラウブリッツ秋田
- J3リーグ:1回(2020年)
指導歴
- 2025年 -
浦和レッズジュニアU-12 コーチ
脚注
関連項目
外部リンク
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