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南海電気鉄道のダイヤ改正
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南海電気鉄道のダイヤ改正(なんかいでんきてつどうのダイヤかいせい)では、南海電気鉄道(南海)の鉄道線において実施された歴代のダイヤ改正について南海線・空港線系統と高野線・泉北線系統(泉北高速鉄道時代も含む)と分けて述べる。1971年に廃止された和歌山軌道線と1980年12月1日に阪堺電気軌道に分離された大阪軌道線、2006年4月1日に和歌山電鐵へ譲渡された貴志川線関連のダイヤ改正については省略する。
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ダイヤ改正の名称にはダイヤ改正のほか、ダイヤ改定(1994年南海時刻表)、ダイヤ変更(2007年 - 2014年に行われたもののニュースリリース)、ダイヤ修正(2023年以降に行われたもののニュースリリース)などがあり、一定していない。
南海線・空港線系統のダイヤ改正の変遷
要約
視点
1920年代
1922年12月5日
1923年10月10日
- 蒸気機関車による運行を廃止[1]。
1924年7月26日
『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』では大正7年(1918年)の改正と記載されているが[2]、『関西の鉄道 No.41』で誤植であると述べられている[3]。
1926年12月3日
天下茶屋 - 粉浜間の複々線化に伴う改正[4]。
1930年代
1930年6月21日
- 日中の優等列車について、特急、急行、直通が毎時1本ずつ運行されるダイヤとする[2]。
この後の1931年8月20日に天王寺支線の複線化が[4]、同年12月19日に粉浜 - 住吉公園間の複々線化が行われている[4]。
1933年2月16日
- 国鉄城東線の電化に伴い、天王寺支線を増発[7]。
1933年6月15日
1934年11月17日
1935年3月29日
この改正でのダイヤは『関西の鉄道 No.41』に掲載されている[3]。
1936年10月30日
- 紀勢西線の紀伊椿 - 周参見間開業に伴い、平日列車の上り列車の和歌山市駅発車時刻を変更[9]。
1937年12月1日
1938年10月1日
同年9月10日の難波 - 天下茶屋間の高架複々線化完成に伴う改正[4]。
1940年代
1940年8月8日
1941年6月10日
- 特急を廃止[10]。
この後の1942年10月11日に12時間制を24時間制に改めている[11]。
1944年6月1日
1944年10月1日
1946年7月1日
- 通勤時間帯に4往復程度急行運転を再開[12]。
1948年4月21日
- 5 - 21時台において、難波駅を毎時0分に急行(早朝、深夜は準急行)が、毎時30分に準急行(ラッシュ時は急行)が発車するダイヤとする。当時の急行の停車駅は龍神(現・堺)、羽衣、泉大津、岸和田、貝塚、佐野(現・泉佐野)、尾崎、南淡輪(現・みさき公園)であり、準急行は泉佐野 - 和歌山市間で各駅に停車していた[13]。
1948年ごろ
- 関西汽船の深日 - 徳島航路開通に伴い、多奈川発着の四国連絡急行を運行開始。
- 具体的な年月日について、『関西の鉄道 No.21』では1946年、『関西の鉄道 No.41』では1948年11月3日、『関西の鉄道 No.52』では1948年11月23日としている。また、『南海電気鉄道百年史』では1948年11月3日に深日港 - 淡路・四国連絡航路が開設されたとしている。
1949年4月25日
この後の1949年6月20日に天王寺支線の曳舟駅、大門通駅を廃止している[12]。
1950年代
1950年7月15日
1951年4月6日
1951年5月1日
1952年4月1日
1953年9月15日
1954年10月1日
- 11001系・12001系の竣工により、特急を朝2往復、夕方2往復に増発[12]。停車駅を龍神、泉大津、岸和田、貝塚、泉佐野とするが、所要時間は変わらず60分とする[13]。
- くろしお号に連絡準急行料金を制定する[12]。
1955年4月21日
- 七道 - 龍神間の線路の移設を行うとともに、龍神駅と堺駅を統合し堺駅(新)とする[12]。
この後の1955年8月23日に羽倉崎車庫の使用を開始している[12]。
1956年5月6日
1957年7月1日
- 四国連絡列車を増発[12]。
この後の1957年9月3日に特急及び急行の一部5両編成運転を開始している[12]。
1959年7月15日
- 難波 - 白浜口間でディーゼル車(キハ5501形・キハ5551形)により準急きのくに号の運行を開始[12]。
1960年代
1960年1月20日
1960年12月25日
- 南海汽船の四国航路増便に伴い、連絡列車「あわ号」を増発[12]。
1961年2月1日
- 難波 - 新宮間でディーゼル車により準急「南紀号」の運行を臨時列車として開始[12]。
1961年3月1日
1962年3月1日
- 「南紀号」を難波 - 白浜口間で増発[12]。
1964年12月25日
- カーフェリーきい丸の就航による増便に伴い、連絡特急「きい号」を新設[12]。
1965年6月1日
- 高石町発の準急行を春木発に延長[12]。
1966年12月1日
- 新今宮駅開業に伴うダイヤ改正
1967年7月20日
- 淡路連絡列車「なると号」を増発[18]。
1968年10月1日
1970年代
1970年11月23日
1971年3月6日
- 和歌山港支線の築港町駅 - 水軒駅間を延伸する。
1972年3月15日
1972年10月1日
1973年10月1日
1974年10月27日
- 難波駅第1期改良工事完成による南海本線新ホームの使用開始と、前年10月の架線電圧1500ボルト昇圧に伴うダイヤ改正。
1977年2月28日
- 南海本線の貨物列車が全廃される[25]。
1978年10月2日
- 紀勢本線の電化に伴い、南紀直通列車のうち、週末運転の1往復を廃止[24]。
1980年代
1980年6月15日
- 玉出駅 - 住ノ江駅間の高架複々線化完成に伴うダイヤ改正[26]。
1980年10月1日
1982年1月31日
- 堺市内連続立体交差事業に伴う仮線切り替えによるダイヤ改正[27]。
1983年7月3日
- 七道駅 - 石津川駅間の高架上り線完成に伴うダイヤ改正[28]。
1984年2月1日
1984年11月18日
1985年3月14日
- 南紀直通列車が廃止される[24]。
1985年11月1日
1987年3月27日
1988年10月2日
1989年11月12日
1990年代
1992年7月12日
1993年4月1日
- 天王寺支線を全線廃止。
1993年4月18日
- 大阪市内連続立体化工事(萩ノ茶屋 - 玉出間)による南海本線の高架化の完成に伴うダイヤ改正。
1994年6月15日
同日に、南海本線の枝線ではあるが、本線扱いとなる空港線が開業したことから、以後の南海本線関連のダイヤ改正の記述は空港線関連を含めて記述する。
1994年9月4日
- 関西国際空港の開港に伴うダイヤ改正。
1994年12月18日
- 特急「ラピート」を早朝の下りと深夜の上りに1本ずつ増発[30]。
1994年から1995年にかけての支線の時刻変更(詳細時期不明)
『1994南海時刻表』(南海線は1994年12月18日改定)と『1995南海時刻表』(南海線は1995年8月23日改定)を比較すると、高師浜線、和歌山港線において時刻変更が行われている。
1996年10月26日
1998年5月9日
- ダイヤの修正。一部の急行の発着駅を変更[37]。
2000年代
2001年3月24日
2002年5月26日
- 和歌山港線の和歌山港 - 水軒間を廃止する。
2003年2月22日
2005年11月27日
- 泉佐野市内連続立体化工事による高架化の完成と和歌山港線の見直しに伴うダイヤ改正[43]。
- 泉佐野駅が高架化。和歌山市駅方面の列車と関西空港駅方面の列車を同一ホームで乗り換えできるようになる。
- 特急「ラピートα」を平日の朝の下り3本のみの運行とし、他の便をすべて「ラピートβ」に変更する。
- 平日昼間時間帯・土休日昼間時間帯以降のダイヤパターンを変更。特急(「ラピートβ」・「サザン」・自由席特急)、空港急行または区間急行、普通車をそれぞれ約15分間隔で運行する。
- 特急「サザン」が増発され、自由席特急と合わせ30分間隔の運転となる。
- 昼間時間帯の急行の運転を取りやめ。
- 空港急行は1時間に2本の運転となる。
- 昼間時間帯の区間急行が新設された。みさき公園駅発着(土休日夕方以降は和歌山市駅発着)を1時間に2本運転する。
- 普通車は1時間に1本削減し、和歌山市駅発着(土休日夕方以降はみさき公園駅発着)2本・関西空港駅発着2本の運転となる。
- これらの変更により、空港線の運転本数が1時間に6本に増加。
- 平日の19 - 21時台のダイヤパターンを変更。急行、空港急行が1時間に3本ずつの運転であったものを2本ずつとし、代替として区間急行を1時間に2本運転。
- 多奈川線において、始発の繰り下げ、終電の繰り上げ、朝夕の列車の削減を行う。
- 加太線の日中の列車を1時間に1本削減し、1時間に2本の運転とする。また始発の繰り下げを行う。
- 和歌山港線の途中駅である久保町駅、築地橋駅、築港町駅が乗降客の減少により、廃止される。これにより和歌山港線の普通車を廃止し、全列車が特急「サザン」、自由席特急または急行(和歌山港線内のみを走る列車を含む)となる。
2007年8月11日
これ以降、2014年10月18日変更までは「ダイヤ改正」ではなく「ダイヤ変更」として発表している。
- 特急「サザン」の増発により、尾崎以南の利便性の向上を図った。
- 土休日夕方以降のダイヤパターンを、昼間時間帯と同一のものとした。
- 2000系(2扉車)による普通車の運転を開始。
- 多奈川線、加太線において、南海本線との接続を改善。
- 先行して行われていた南海フェリーのダイヤ改正に合わせ、和歌山港線の見直しを行う。
2009年10月4日
- 平日朝にラピートを1往復増発。
- 全車両座席指定「サザン」の廃止に伴う、和歌山市方面の特急の運行体系変更。
- 全ての「サザン」を一部座席指定とし、自由席特急を2往復のみとする。
- 平日朝と夕方以降に「サザン」を増便。これにより平日夕方以降に和歌山市方面の特急、急行が増便。
2010年代
2012年4月1日
- 和歌山大学前駅開業に伴うダイヤ変更。
和歌山港線の増発
2012年4月27日時点で、平日の和歌山港線の上り列車は9本(うち急行4本)となっており[45]、2012年4月1日ダイヤ変更時点と比べ急行2本が増発されている。このダイヤが2012年8月31日時点まで使用されている[46]。その後2012年9月28日時点で、増発された急行2本が普通に変更されており[47]、このダイヤが2013年2月26日時点まで使用されている[48]。なおいずれも平日ダイヤの下りに変更はなく、土休日ダイヤは上下とも不明である。
2013年3月20日
和歌山大学前駅の近辺にイオンモール和歌山が開業したことに伴い、2014年3月18日より土休日昼間時間帯のみさき公園駅折り返しの区間急行を和歌山市駅まで延長した。当初は5月6日までの予定であったが、乗降人員の増加を受けて次回ダイヤ変更直前の10月12日まで継続された[51]。
2014年10月18日
- 特急「サザン」が和歌山大学駅前に停車する。
- 特急「ラピートβ」のうち、なんば駅6時発の1本と関西空港駅20時5分発以降の6本を「ラピートα」とする。
- 平日昼間時間帯・土休日昼間時間帯以降のダイヤパターンを変更。これにより、みさき公園 - 和歌山市間で増発。
- 発車順を入れ替え、空港急行が特急を待避しないダイヤとすることで速達性を向上。
- 区間急行みさき公園駅発着を空港急行に置き換え(土休日夕方以降を除く)。
- 普通車関西空港駅発着を和歌山市駅発着に置き換え(土休日夕方以降を除く)。
- 平日夕方以降についても一部の区間急行を空港急行に置き換え、それに接続する普通の行先を変更。
- 関西空港行きの終電を繰り下げ。
- 終電として、関西空港駅23:40発の普通なんば駅行きを増発。
2016年5月14日
2017年1月28日
- インバウンド(訪日外国人旅行者)の増加に対応したダイヤ改正
- 特急「ラピート」の増発による、運行時間の拡大。
- 土休日の早朝時間帯に1往復増発。
- 全日深夜に1往復増発。
- 空港急行の増発・増車。
- なんば駅を5時台に発車する空港急行を1本増やし、3本とする。
- 関西空港駅を23時台に発車する空港急行を増発。関西空港駅発の終電を繰り下げ、23時55分発とする。
- 朝・夕方以降の一部の区間急行を空港急行に置き換え、それに接続する普通の行先を変更。
- 一部の列車を8両編成とする[54]。なお、2017年8月26日の高野線ダイヤ改正に合わせ、さらに一部の列車が8両編成となった。
- 下り最終サザンを全日なんば駅23時35分発とし、和歌山市行きの終電を5分繰り下げ。
- 泉佐野行きの急行(いわゆる白線急行)を再び設定。
- 地下鉄御堂筋線との接続を図るため、住ノ江駅行き下り最終列車の発車時刻を5分繰り下げ、なんば駅24時25分発とする。
2017年の台風の影響による特別ダイヤ
2017年10月22日に台風21号の影響で、本線では樽井駅 - 尾崎駅間の男里川橋梁の線路が陥没したことから、翌10月23日より10月31日まで難波駅 - 樽井駅間と尾崎駅 - 和歌山市駅間の折り返し運転となった。次いで樽井駅 - 尾崎駅間が単線で復旧した11月1日から11月22日までの間も特別ダイヤでの運行となった。
2018年の台風の影響による特別ダイヤ
2018年9月4日から台風21号の影響で、空港線が9月17日まで運休となった。火災が発生した尾崎駅は9月10日まで営業休止、待避線(1・4番線)が翌2019年4月5日まで使用不能となった。これらの影響で、特別ダイヤでの運行となった。
2019年4月6日
- 平日早朝時間帯に「ラピート」1往復を増発。これによりなんば駅では全日6時台から21時台まで、ラピートが1時間に2本運行されることとなった。
- 2017年改正に続き、土休日夕方以降下りの一部の区間急行を空港急行に変更し、普通車関西空港行きを普通車和歌山市行きに変更。
- 2017年改正に続き、一部の空港急行を8両編成とした。
- 朝・夕ラッシュ時の普通車の一部を6両編成に変更した。
- 前年の火災により休止していた尾崎駅の1番線と4番線の使用が再開された[55]。
2020年代
コロナ禍の影響
新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年4月24日より平日昼間と土・休日昼間以降のラピートを運休とした[56]。また、2021年4月29日より難波0:25発の普通住ノ江行きを運休とした[57]。
2021年5月22日
- 南海本線・高師浜線(高石市)連続立体交差事業に伴い、高師浜線の運転を休止しバスによる代替輸送を開始。
- 空港線関連
- 運休中の昼間時間帯の「ラピート」の運転本数を1時間に2本から1本へ減便。
- 空港急行の減便と一部の列車を8両編成から6両編成へ減車。
- 深夜時間帯の減便
- 22時以降の列車を、空港線を中心に減便。
- 運休中の難波0:25発の普通住ノ江行きの運転を取りやめ、終電を繰り上げ[58]。
- その他一部の列車の運転区間の延長や減便など。
2021年10月16日(高師浜線代行バス)
- 朝夕の運行間隔の見直し[59]。
- 平日朝上りを5本増便。
- 平日朝の(代行)伽羅橋(北)駅始発の代行バスを、(代行)高師浜駅始発に延長。
ラピートの運転再開
2023年10月21日
- 昼間時間帯の「ラピート」の運転本数を1時間に1本から2本へ増便し、コロナ禍前のダイヤに戻す[62]。
- 空港急行の一部列車を6両編成から8両編成へ増車。
- 多奈川線の運行本数を見直し。
- 平日46往復→26往復、土休日37往復→23往復へ大幅に減便。
- 始発列車の繰り下げ、終電の繰り上げを実施。
- 平日の和歌山市19:41発の急行なんば行きを和歌山港19:35発に変更し、運行区間を延長。
- 一部列車の運行時刻や発車番線を変更。
2024年4月6日
- 高師浜線の高架化完成に伴い、高師浜線の運行を再開[63]。
2024年12月21日
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高野線・泉北線系統のダイヤ改正の変遷
要約
視点
1971年から2024年までは、当時別事業者であった泉北高速鉄道のダイヤ改正についても記述する。
1920年代以前
汐見橋 - 橋本間の開業(1898年 - 1915年)
1898年1月30日に最初の区間である大小路 - 狭山間が開業し、同年4月2日に狭山 - 長野間、1900年9月3日に道頓堀 - 大小路間、1914年10月21日に長野 - 三日市町間、1915年3月11日に三日市町 - 橋本間、同年9月1日に橋本 - 紀ノ川口間が開業している[65]。また1912年10月10日に全線の電化を行い、その後に開業した区間は当初より電化されている[65]。
1923年12月1日
- 汐見橋 - 橋本間を40分ごとに運行し、これを大運転列車と呼称する[1]。
1924年
1924年6月20日に橋本 - 紀ノ川口間に妻信号所が新設され、同年11月1日に妻信号所 - 学文路間が、同年12月25日に学文路 - 九度山間が開業している[65]。また同年3月18日に住吉東 - 我孫子前間が複線化され、これを皮切りに複線化が進む[65]。
1925年3月15日
1925年7月30日
- 九度山 - 椎出間が開業[65]。
この後の1926年2月に橋本電車庫が新設されている[5]。
1926年12月3日
- 南海本線(和歌山市方面)と高野線(汐見橋方面)の連絡線が竣工する[5]。
1928年6月18日
1928年8月
- 急行を2往復に増発[2]。
1929年2月21日
- 高野山電気鉄道の神谷 - 極楽橋間が開業し鉄道線が全通[65]。
1929年11月
- 難波への乗り入れ拡大(『南海電気鉄道百年史』には「高野線全列車を難波から発着開始」と記載されているが、汐見橋方面については不明)[67]。
この後の1930年4月12日に汐見橋 - 狭山間の複線化が完了する[65]。
1930年代
1930年6月29日
- 高野山電気鉄道の鋼索線(極楽橋 - 高野山間)が開業し全通[65]。
1932年4月28日
- 高野山電気鉄道が架線電圧を1500Vから600Vに変更したことにより、難波 - 極楽橋間の直通運転を開始[68]。
1937年4月19日
- 狭山 - 金剛間を複線化[65]。
1938年2月11日
- 金剛 - 長野間を複線化し、汐見橋 - 長野間の複線化が完了する[65]。
1940年代
1946年5月
1946年7月1日
- 難波駅への乗り入れを再開[70]。
1948年4月21日
- 難波駅を毎時15分に発車する列車を急行または準急行三日市町行き、毎時45分に発車する列車を急行(8 - 14時台のみ準急行)とする[71]。
1949年
- 優等列車の難波駅発車時刻を毎時0分と30分に改める[71]。
1950年代
1951年7月7日
1952年4月1日
- 特急を新設[72]。
1955年7月5日
- ダイヤ改正を行う[73]。
1957年7月1日
- スピードアップを行う[74]。
1958年11月17日または8月1日
1959年12月20日
- 紀ノ川口支線(妻信号所 - 紀ノ川口)の営業を廃止[76]。
1960年代
1961年7月5日
1963年10月1日
- スピードアップを行う[78]。
1964年5月20日または25日
『南海電気鉄道百年史』の巻末年表では20日、『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』では25日と記載されている。なお、同年同月25日に白鷺駅が開業している[79]。
1966年3月1日
1966年9月1日
1966年12月1日
- 新今宮駅開業に伴うダイヤ改正。南海本線と同時に実施。
1967年11月1日
1968年11月1日
1969年11月1日
1970年代
1970年11月23日
1971年4月1日
1971年11月10日
- 荷物電車を廃止[87]。
1972年12月10日
1973年12月7日
1974年3月24日
- 河内長野駅 - 三日市町駅間の複線化が完成したことによるダイヤ改正。
1974年10月13日
1975年11月1日
1977年8月20日
- 泉北高速鉄道の光明池延伸開業に伴うダイヤ改正。
1978年1月23日
- 上りの準急3本を8両編成に増結[91]。
1979年4月23日
1979年6月3日
- 5月26日に天見駅 - 紀見峠駅間が複線化されたことによるダイヤ改正。
1980年代
1980年11月23日
- 難波駅の第3期改良工事が完成したことに伴うダイヤ改正。
1981年11月22日
- 林間田園都市駅の開業に伴うダイヤ改正。
1983年6月26日
- 6月5日に千早口駅 - 天見駅間、紀見峠駅 - 御幸辻駅間の複線化が完成したことによるダイヤ改正。
1984年3月11日
1985年6月16日
1987年3月29日
1989年9月3日
この改正より、大阪府都市開発株式会社の車両の運用区間を難波 - 光明池間に限定している[103]。
1990年代
1990年7月1日
この改正より、泉北高速線内折り返しの各停はすべて大阪府都市開発株式会社の乗務員による運転となる[104]。
1990年11月14日
1992年4月5日
この改正より、泉北高速線の列車は区間急行を除きすべて大阪府都市開発株式会社の乗務員による運転となる[108]。
1992年11月10日
- 難波 - 橋本間の特急が「りんかん」と命名される。同時に「こうや号」を「こうや」に改称[30]。
- 「りんかん」を8本増発し、「こうや」が8本、「りんかん」が16本となる[30]。
- 全ての特急が林間田園都市駅に停車[30]。
- 特急・急行が金剛駅に停車[30]。
- 難波 - 橋本間の急行1往復が20mステンレス車の運用に変更[110]。20m車両が初めて林間田園都市 - 橋本間を運行する[110]。
- 朝ラッシュ時と夕方、夜間時間帯における運転区間延長と長編成化を行う[109][30]。
- 昼間時間帯の泉北準急行を1時間につき4本に増発[109][30]。同時間帯の泉北高速線は1時間につき準急行4本、各停2本の運転となる。
- 難波から三日市町・堺東への終列車の繰り下げ[30]。
1994年から1995年にかけての汐見橋線の時刻変更(詳細時期不明)
『1994南海時刻表』(高野線は1992年11月10日改定)と『1995南海時刻表』(高野線は1995年9月1日改定)を比較すると、汐見橋駅 - 岸里玉出駅間において時刻変更が行われている。
1995年3月5日
同年4月1日の光明池 - 和泉中央間延伸に対応したダイヤ改正[109]。
- 平日、休日とも、朝夕に泉北高速線内折り返しの各停を増発。一部増結[111]。
1995年9月1日
- 御幸辻駅 - 橋本駅間の複線化完成(1972年3月からの河内長野駅 - 橋本駅間複線化工事の完了)に伴うダイヤ改正。
1996年11月24日
1997年4月1日
- 泉北高速線において、増結を実施し、平日朝の上り全列車が8両編成または10両編成となる[115]。
1998年7月1日
- 泉北高速線において、平日夜の光明池発着の一部列車を和泉中央発着、平日夜に増結を実施[116]。
2000年代
2000年12月23日
- 特急と急行が天下茶屋駅に停車。高野線の全列車が停車するようになる[38][117]。
- 汐見橋駅 - 岸里玉出駅間(通称・汐見橋線)でワンマン運転開始[41][117]。
- 同年4月のさやま遊園閉鎖に伴い、狭山遊園前駅を大阪狭山市駅に改称[41][117]。
- 特急列車関係:31000系を新造し、特急列車の増便・増車を実施[41][118]。
- 平日10 - 22時台、土休日8 - 21時台の運行形態を変更。急行・準急行(泉北高速線直通)・各停を順に運転し、区間急行の運転を休止。各停は原則河内長野駅発着とする[119]。
- 運転間隔は昼間、夜間が12分、朝夕が10分。
- 昼間時間帯の急行は極楽橋駅・林間田園都市駅・三日市町駅発着の順で繰り返し運転。
2003年5月31日
2005年10月16日
- 特急列車関係
- 平日夜の特急の発着時刻を変更し、下りは金剛で各停、河内長野で区間急行に接続するダイヤとする。
- 土休日の「りんかん」を3往復(うち2往復は冬季運休)増発。
- 土休日の「こうや」3本のなんば駅発車時刻を0分または30分とした。
- 土休日の8両運転を開始。平日も増車を行った。
- 橋本駅 - 極楽橋駅間でワンマン運転を実施し、運転系統を分断。難波駅 - 高野下駅・極楽橋駅間の急行の多くが橋本駅折り返しとなる。
- 昼間以降の急行のうち、1時間に2本程度を区間急行に戻した。
- 光明池発着の一部列車を和泉中央発着に延長した[122]。
- 平日朝の泉北高速線上り列車について、10両編成を4本とし、残りを8両編成とした[122]。
- 平日18 - 20時台の下り準急行(泉北高速線直通)の6両編成での運行を取りやめ、すべて8両編成とした。また、土休日6 - 9時台の上り準急行(泉北高速線直通)を2本を除き8両編成とした[122]。
2007年8月25日
これ以降、2013年10月26日変更までは「ダイヤ改正」ではなく「ダイヤ変更」として発表している。
- 「りんかん」と極楽橋発の各停の接続を改善した。
- 夕方以降の三日市町以南への速達性の向上を図った。
- 平日夜の下り区間急行4本を急行に変更した。
- 夜の下り「りんかん」の時刻を変更し、河内長野駅で接続する区間急行の待避時間を短縮。
- 橋本駅での乗り継ぎを改善した。
2008年11月1日
- 特急列車関係
- 平日朝に従来は回送列車であった下り「りんかん」1本を増発。
- 3-10月の月・火・金曜日に「こうや」1往復と「りんかん」1往復を増発。
- 土休日の「こうや」2往復(冬季は橋本発着)を増発。「りんかん」をすべて通年運転とする。
- 8-18時台(11時台除く)のなんば駅発車時刻を0分とした。
- 平日夕方の下り急行2本を快速急行として速達化するとともに、橋本駅でのJR和歌山線との接続を改善。
- 橋本 - 極楽橋間を減便。
- 一部の駅の停車時分を延長。
2009年7月3日
「天空」の定期運行を開始した[123]。本数は1日2往復。3 - 11月は水曜日・木曜日を除き運行(水曜日・木曜日が休日の場合は運行)、12-2月は土・休日のみ運行する。
2010年代
2012年11月23日
2013年10月26日
- 特急列車関係
- 夜の「りんかん」を平日2往復増発。これに伴い一部列車を8両から4両に変更。
- より広いエリアの通勤に利用しやすくするため、1往復の発着時刻を変更。
- 昼間の急行を1時間に1本程度区間急行に変更。
- 平日20時台の運転間隔が10分から12分に伸びた。
- 橋本駅での接続を改善。
- 「天空」を3-11月の土・休日に1往復増発。
- 平日に高野線系統の下り準急行(なんば23:40発三日市町行き)が新設される。
2015年12月5日
- 特急列車関係[126]
- 泉北線直通の特急「泉北ライナー」を新設。
- 「こうや」の土休日3往復(従来から冬季橋本発着の列車を含む)を冬季運休または橋本発着とする。
- 「りんかん」を平日1往復、土休日2往復削減。
- 3-10月の月・火・金曜日に設定されていた「こうや」1往復と「りんかん」1往復を削減。
- 平日の「りんかん」1往復を除き、すべての列車を4両編成とする。
- 昼間のパターンを変更。高野線系統の速達列車、泉北線系統の速達列車、各停河内長野発着をそれぞれ約15分間隔で運行し、さらに各停を30分間隔で運行する。
- 区間急行三日市町行きを削減し、高野線系統の速達列車を毎時4本とする。
- 泉北線系統の速達列車は、準急行が毎時5本運転されていたものを、区間急行2本と準急行2本に改める。
- 急行と各停の接続駅を堺東駅・北野田駅から堺東駅・金剛駅に変更したため、各停は原則河内長野発着となる。
- 30分間隔で運行される各停は、泉北線系統が6往復、高野線系統が4往復であった。堺東で泉北線系統の区間急行と接続していた。また高野線系統の各停は、泉北線内の各停と接続していた。
- 早朝、深夜を除く全時間帯で、泉北線直通の区間急行が設定される。
- 朝と夕方以降の泉北線直通準急行の一部を、区間急行または特急「泉北ライナー」に置き換え。
- 朝と夕方以降の泉北線内の各停を削減。
- 地下鉄御堂筋線との接続を図るため、堺東駅行き下り最終列車の発車時刻を5分繰り下げ、なんば駅24時25分発とする。
2017年8月26日
- 泉北ライナーの増発[127][128]。
- 昼間のパターンを再変更。高野線系統の速達列車、泉北線区間急行、各停をそれぞれ約15分間隔で運行し、さらに泉北線準急行と泉北線内各停をそれぞれ30分間隔で運行する。
- 泉北線系統の区間急行を増発し、毎時4本とする。
- 急行と各停の接続駅を堺東駅・北野田駅に戻したため、金剛、千代田発着の各停が再度設定された。
- 30分間隔で運行される各停は泉北線内のみの運転となった。準急行と合わせ、中百舌鳥に停車する泉北線の列車はおよそ15分間隔となる。
- 夕方以降の泉北線直通一般列車を準急行に統一し、特急「泉北ライナー」にかかわらず約10分間隔となるよう改善。
- 日中及び平日深夜の難波 - 和泉中央間の各停が全廃され、泉北線の各停は中百舌鳥 - 和泉中央間のみとなった。
2017年の台風の影響による特別ダイヤ
台風21号の影響により、高野線では高野下駅 - 極楽橋駅間が運転を見合わせたことから、特別ダイヤでの運行となった[129]。
2018年3月31日
- ダイヤ修正。高野下駅 - 極楽橋駅間の復旧に伴い、列車行き違い設備を上古沢駅から下古沢駅に移設したため、橋本駅 - 高野山駅間の発着時刻を変更[129]。
2020年代
コロナ禍の影響
新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年4月24日から同年7月19日まで「天空」を運休とした[56][130]。また、2021年4月29日より難波0:25発の各停堺東行きを運休とした[57]。
2021年5月22日
- 運休中の難波0:25発の各停堺東行きの運転を取りやめ、終電を繰り上げ[58]。
特急車両事故とその復旧による特急の運行形態変更
2022年5月27日未明に小原田車庫内にて入換中の30000系30001編成が脱線事故を起こしたため[131]、2022年11月2日まで一部の「りんかん」[132]、2023年4月28日まで一部の「こうや」を運休とした[133][134][135]。
2024年1月20日
2024年12月21日
- 汐見橋駅 - 岸里玉出駅間において、最終列車の時間を繰り上げ[64]。
- なお、2025年4月1日より、泉北高速鉄道は南海への吸収合併により、南海所有の路線となったため、路線名を「南海泉北線」(高野線の枝線だが、駅ナンバリングに枝番が付かず、またラインカラーが高野線とは異なる色となり、南海本線に対する空港線と同様に本線扱いとなる)に変更した。
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脚注
参考文献
関連項目
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