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原伸次
日本の野球選手 ウィキペディアから
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原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手。野球解説者。
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来歴
1980年、広陵高等学校の4番・捕手として、渡辺一博とバッテリーを組み、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準決勝に進むが、高知商のエース中西清起に抑えられ敗退。夏の選手権では準々決勝で藤本博史のいた天理高に敗れる。同期には、主将を務めた中井哲之がいる。
1980年のドラフト4位で広島東洋カープに捕手として入団。その後内野手に転向し、登録名も1989年からは伸樹(読みは同じ)に変更。
1985年には二塁手として木下富雄、正田耕三らと併用され、37試合に先発出場している。翌年からは正田が二塁手に定着したため、出場機会が減少し低迷。
1989年から2年間は捕手としても起用されている。
1991年のセ・リーグ優勝にも貢献、同年の日本シリーズには三塁手として2試合に先発出場、代打でも二塁打を放った。
1994年シーズン途中に金銭トレードで横浜ベイスターズに移籍。
1995年限りで現役を引退。
1996年から広島のコーチ。
2000年より本名の伸次に戻す。
2003年には台湾プロ野球の統一ライオンズでコーチを務めた。
2006年退任。
2008年から再び中国放送の野球解説者として復帰と『週刊ベースボール』解説者名鑑で報じられたが、スケジュールの兼ね合いか一度も出演がなかった。
2014年7月最終週から、テレビ新広島『TSSスーパーニュース』のスポーツコーナー「Hiroshima Sports」に準レギュラーとして出演している。
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人物・エピソード
- 甲子園で原とバッテリーを組んだ渡辺はロッキングモーションのアンダースローで話題を呼んだが、大会後、甲子園の審判に「"ごまかし"投法はやめなさい」と言われたことを弁論のテーマにし、「第27回NHK青年の主張全国コンクール」全国大会に出場し準優勝した[2]。
- 2018年8月5日にテレビ朝日系列で放送された「ファン10万人がガチで投票! 高校野球総選挙!」では、野球解説者や高校野球好きのタレントが自分の1番好きだった高校野球の選手を選ぶコーナーにおいて、MCの太田光(爆笑問題)が原の名前を挙げ「広陵高校のキャッチャーで4番。その後広島カープに行って、今は広島でお好み焼き屋さんを…」と説明する一幕が見られた[3]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
- 27(1981年 - 1994年途中)
- 29(1994年途中 - 1995年)
- 84(1996年 - 2003年)
- 85(2005年 - 2006年)
登録名
- 原 伸次(はら しんじ、1981年 - 1989年5月21日)
- 原 伸樹(はら しんじ、1989年5月22日 - 1995年)
脚注
関連項目
外部リンク
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