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吉田康夫

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

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吉田 康夫(よしだ やすお、1961年6月11日 - )は、福島県岩瀬郡鏡石町出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...
概要 オリンピック, 男子 野球 ...

ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。

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来歴・人物

日大東北工業入学時の1977年三塁手であったが[1]、強肩であったために捕手に転向し、後に同校で監督を務める宗像忠典とのバッテリーで活躍。2年次の1978年に校名が日大東北高に変更し、3年次の1979年には夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが安積商高に敗れる。

卒業後は1980年三菱自動車川崎へ入社し、1981年1983年都市対抗で準々決勝進出に貢献。1984年にはロス五輪日本代表に選出され、正捕手として金メダルの獲得に貢献。同年の第28回アマチュア野球世界選手権でも日本代表となる。同年のドラフト会議では、事前に巨人側から外れ1位か2位での指名を約束をされていたが[1]、巨人は約束を反故にし吉田をドラフト指名せず、ドラフト会議後にドラフト外で入団させようとした[1]。巨人側のこの対応に、吉田は「約束が違う」と入団を拒否した[1]1985年の都市対抗では1回戦で本塁打を放つなど活躍し、13年ぶりの準決勝進出に貢献。同年の第13回アジア野球選手権大会インターコンチネンタルカップで日本代表となる。

同年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。強肩でインサイドワークに優れた捕手として大きく期待されたが、正捕手争いにはなかなか加われず、木戸克彦嶋田宗彦に続く第3の捕手として貴重な戦力であった[1]1989年には嶋田の不調もあり58試合に出場するが、その後は段々と出場機会が減る。1994年にはプロ入り後初めて開幕戦のスターティングメンバーに選ばれたが、この年一軍では無安打に終わりチャンスを逃してしまった。1997年戦力外通告を受け、現役を引退[1]

引退後も阪神に残って二軍バッテリーコーチ(1998年, 2002年 - 2003年, 2013年 - 2015年)・二軍育成コーチ(1999年 - 2001年)・一軍ブルペンコーチ(2004年 - 2006年)・一軍バッテリーコーチ(2007年 - 2012年)を務め、大胆で緻密に長所を伸ばす指導者だった[2]。指導した狩野恵輔は「入団当初、お山の対照的な部分があって、吉田コーチの方からすごく直されました。「それじゃ捕手としては飯が食えないな」と言われましたね。もともと無口で人見知りでした。「ピッチャーに好かれろ・もっと気を配れ」となど口酸っぱく言われ徐々に性格が変わってきました。」[3]と述べている。退団後は群馬県前橋市スポーツDEPO前橋吉岡店でアドバイザリースタッフを務めている[4]

打撃に難があったが守備には定評があり、しばしば先発出場した[1]。二軍では投手として1イニング投げたことがある。

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

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記録

背番号

  • 39 (1986年 - 1996年)
  • 29 (1997年)
  • 86 (1998年 - 2001年)
  • 81 (2002年 - 2015年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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