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内山田洋とクール・ファイブ
日本の歌謡グループ ウィキペディアから
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内山田洋とクール・ファイブ(うちやまだひろしとクール・ファイブ)は、内山田洋が率いる歌謡グループ。メインボーカルは前川清。
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オリジナルメンバー
- 内山田洋(うちやまだひろし、1936年(昭和11年)6月6日[1] - 2006年(平成18年)11月3日)、ギター担当。本名は内山田道生。福岡県出身[1]。AB型。福岡県立伝習館高等学校卒業[1]。
- 前川清(まえかわきよし、1948年(昭和23年)8月19日[1] - )、ボーカル担当。長崎県出身[1]。長崎南山高等学校卒業[1]。
- 宮本悦朗(みやもとえつろう、1948年(昭和23年)1月15日[1] - )、ピアノ・キーボード担当。長崎県出身[1]。長崎県立対馬高等学校卒業[1]。
- 小林正樹(こばやしまさき、1943年(昭和18年)1月1日[1] - 2024年(令和6年)2月15日[2])、ベース担当。長崎県出身[1]。A型。長崎県立平戸高校卒業。
- 岩城茂美(いわきしげみ、1942年(昭和17年)1月5日[1] - )、サックス・フルート担当。熊本県出身[1]。
- 森本繁(もりもとしげる、1942年(昭和17年)10月23日[1] - )、ドラム担当。鹿児島県出身[1]。
オリジナルメンバーは全員九州出身。
元々ジャズ、ラテンなど幅広いレパートリーを持つバンドであり、テレビで演奏する機会は少なかったもののコンサートでは各自のパートの楽器で独奏するコーナーが必ず存在していた。
ボーヤを務めていた帆足新一は、後のゆーとぴあ・ピースである。また、ボーヤであった沼尾健司(通称“ケン”)は『スター誕生!』(NTV系)第1回チャンピオンに輝くも、決勝大会を断念した。
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略歴
- 1967年9月 - 長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドとして結成。競合店『十二番館』の専属バンドは中井昭・高橋勝とコロラティーノで、『思案橋ブルース』で1年早く世に出た。
- 1968年 - 佐世保のナイトクラブ歌手として頭角を現わしていた前川が、メインボーカルとして参加。自主制作した『涙こがした恋』や『西海ブルース』が地元民放ラジオや有線放送で評判となる。
- 『ロッテ 歌のアルバム』の公開収録で長崎を訪れた東京パンチョスのチャーリー石黒が、長崎放送の接待で『銀馬車』に立ち寄りクール・ファイブの生歌に触れ、その場で日本ビクター(RCA事業部、後にRVC→BMGビクター→BMGジャパン→BMGファンハウス→BMG JAPAN→アリオラジャパンを経て現在のソニー・ミュージックレーベルズ)への紹介を約束した。
- 1969年2月 - 『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。当時のメンバーは内山田、岩城、小林、森本、宮本、前川。
- 当初メジャーデビュー曲には『西海ブルース』が予定されていたが、プレス直前に作詞・作曲者の尾形義康が翻意し破談になったため、『銀馬車』のマネージャーだった吉田孝穂(筆名:永田貴子)が、自ら急造した詞を北海道放送のディレクターだった新居一芳(筆名:彩木雅夫)に手渡して完成した。
- この『西海ブルース』は、クール・ファイブが大御所に成長した1977年、歌詞を吉田が補作した上で改めて吹き込まれている。
- 1969年12月 - 第11回日本レコード大賞新人賞受賞。第20回NHK紅白歌合戦に初出場。
- 1975年4月 - フジテレビ系『欽ちゃんのドンとやってみよう!』に、“コント54号”のひとりとして起用された前川とともに全員がレギュラー出演。持ち歌を歌うコーナーを持っていたほか、萩本欽一らとのやり取りで各メンバーのコミカルな面や個人名が知られるようになり、広くお茶の間に親しまれた。
- 1987年 - 本来ポップス指向が強く演歌嫌いを公言していた前川が、自然気胸を患ったのを期に脱退。低迷状態に陥る。
- 1992年 - 大幅なメンバーチェンジ。宮本と小林が脱退し、大沢允、西田涼馬、山上哲也が加入。『仮面ライダーBLACK RX』などのテレビ特撮の主題歌で知られる宮内タカユキも短期間在籍した。
- 1996年 - 宮本悦朗が新進党公認で千葉7区から衆議院選挙に出馬。53,484票を獲得するが次点で落選。
- 2006年11月3日 - 内山田が肺がんのため横浜市内の病院で死去。70歳没。同年大晦日の第57回NHK紅白歌合戦では、前川のサポートでオリジナルメンバー(宮本、小林、岩城、森本)が集結し、クール・ファイブが一夜限り(前川談)の“再結成”を果たした。
- しかしこの再結成が好評だったことから、その後も前川清&クール・ファイブ名義でグループ活動を事実上再開。シングル『恋唄-2007-』を新たに吹き込み2007年7月1日に発売、同年9月には北海道でコンサートツアーを行った。同曲発売以後は『NHK歌謡コンサート』などのテレビ番組や、前川と梅沢富美男の共演にゲスト出演するなど、積極的に活動している。
- 活動再開に当り『恋唄』を選んだ理由は、2007年ヴィクトリアマイル(JpnI)優勝馬で、同年JRA賞最優秀4歳以上牝馬を獲得した前川の愛馬コイウタに因む。「馬だけではなく、歌も知って欲しい」(前川談)。
- 2015年 - 前川清&クールファイブとして、アイリスオーヤマの低温製法シリーズ(お米、餅)のテレビCMに出演。
- 2024年2月15日 - 小林が老衰のため東京都内の病院で死去[2]。81歳没。同月21日に発表された[3]。
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NHK紅白歌合戦出場歴
- 紅白歌合戦にはクール・ファイブとして11回出場。その後、前川がソロとして18回出場を果たしている。
- 前川清のソロとしての出場については、前川清#NHK紅白歌合戦出場歴を参照。
- 「長崎は今日も雨だった」は、前川のソロとしての出場時と通算して合計3回歌唱されている。
- 「東京砂漠」は、前川のソロとしての出場時と通算して合計4回歌唱されている。
- 「そして、神戸」は、前川のソロとしての出場時と通算して合計5回歌唱されている。
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
アルバム
スタジオ・アルバム
※全て日本ビクター・RCAレコード
- 内山田洋とクール・ファイブ(1969年、JRS-7045)- 30万枚以上のセールス
- 夜のバラード(1970年、JRS-7075)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第2集(1970年、JRS-7097)
- 影を慕いて(1971年、JRS-7127)- カバー・アルバム
- 赤と黒のブルース(1971年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第3集 港の別れ唄(1971年)
- 長崎詩情(1972年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第4集(1972年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第5集(1973年、JRS-7226)
- 出船/そして、神戸(1973年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第6集(1973年)
- 心がわり~恋の雪割草~内山田洋とクール・ファイブ(1973年、R4J-7042)- B面は藤圭子
- ヨーロッパ・ラブ・サウンズ(1974年)- 洋楽のカバー・アルバム
- 心がわり/クール・ファイブ女心を唄う(1974年)
- 雨のしのび逢い(1974年)
- 海鳴り(1974年)
- 内山田洋とクール・ファイブ '74ビッグ・ヒットを唄う(1975年)- カバー・アルバム
- 内山田洋とクール・ファイブ 第7集(1975年、JRS-7353)
- 昭和の歌謡50年史(1975年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第8集 すばらしき仲間たち(1976年、RVH-7015)
- ふれあいの時(1976年8月、RVL-7002)- カバー・アルバム
- 内山田洋とクール・ファイブ・ショー(1977年)
- 君恋し(1977年)
- 裏町人生(1977年)
- 別れの一本杉(1977年)
- 君といつまでも(1977年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第9集 西海ブルース〜演歌の旅路〜(1977年、RVL-7021)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第10集(1977年、RVL-7032)
- 不滅の演歌(1978年、RVL-2045)- カバー・アルバム
- 熱唱(1978年)
- 港の忘れ草/二人の海峡(1978年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第11集(1978年)
- 12色の水彩画(1978年、RVL-7204)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第12集(1979年)
- 俺たちの歳月(1979年)
- 魅惑・シェイプアップ 内山田洋とクール・ファイブ 第13集(1980年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第14集 女・こぬか雨(1981年)
- 内山田洋とクール・ファイブ 第15集 純愛列島(1982年、RHL-8310)
- 愛・トリステ(1983年、RHL-8812)
ライブ・アルバム
※全て日本ビクター・RCAレコード
- クール・ファイブ・オン・ステージ(1970年、JRS-9043-44)- 1970年9月27日、日劇実況録音版
- 内山田洋とクール・ファイブ リサイタル(1973年、JRS-9153-54)- 1973年3月、ロイヤル赤坂での五周年記念リサイタルのライブ。アレンジ=森岡賢一郎、司会=玉置宏/美原一太、ゲスト=牧村三枝子
- ビッグ・ショー〜1976.7.4 NHKホールにおける実況中継(1976年)
- ビッグ・ショー〜1978.4.2 福岡市民会館大ホールにおける実況中継(1978年)
- 内山田洋とクール・ファイブ・リサイタル 熱唱!限りなき前進(1979年)
- 明日への招待 LIVE'80(1980年)
ベスト・アルバム
- 歌謡グランプリ'75(1975年、RVH-7005)
- デビュー15周年記念 15年の歩み ベスト・ヒット全曲集(1983年)
- 演歌ヒット集(1983年)
- ヒットコレクション 決定盤(1999年11月20日、BVCK-37030)
- GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ(2005年10月26日、BVCK-38109)
- GOLDEN☆BEST deluxe 内山田洋とクール・ファイブ A面ヒット全曲集(2010年4月28日、MHCL-1730〜2) - RCA時代の「枯葉小僧の子守唄」を除くすべてのシングルA面曲(50曲)、および代表的な6曲のカラオケ(「長崎は今日も雨だった」以外はオリジナル・カラオケ)を収録。原盤権利者の再編に伴いソニー・ミュージックダイレクトから発売。
その他参加作品
タイアップ曲
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注釈
出典
関連項目
外部リンク
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