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松山中央公園野球場
日本の愛媛県松山市の松山中央公園内にある野球場 ウィキペディアから
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松山中央公園野球場(まつやまちゅうおうこうえんやきゅうじょう)は、愛媛県松山市の松山中央公園内にある野球場。愛称は、坊っちゃんスタジアム(ぼっちゃんスタジアム)。施設は松山市が所有し、(公財)松山市文化・スポーツ振興財団(以前は松山市施設管理公社が指定管理者として行ったが、2010年4月に松山市生涯学習振興財団と合併した)が指定管理者として運営管理を行っている。
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歴史
要約
視点
1948年に市民の勤労奉仕(ボランティア)などを得て、盛り土スタンドで開場し、1967年に鉄筋コンクリートのスタンドが完成。社会人野球、高校野球など県下のアマチュア野球公式戦で使用された他、プロ野球の公式戦・オープン戦も開催された。しかし1980年代以降は老朽化の著しさが問題となり、市は公園内のその他の施設とも併せ、フィールドの拡張やスタンドの改修などを検討したものの、球場のある城山公園は松山城を控える国の史跡であることが、改修工事を行う上での最大のネックとなった。
結局、現地での施設維持は極めて難しいと最終的に判断され、市は1993年3月、松山中央公園内に新市営球場をはじめとするスポーツ施設の建設計画を発表。そして2000年5月に、四国4県で唯一3万人規模の収容人員を有する野球場として完成したのが松山中央公園野球場である。一般公募により、愛称「坊っちゃんスタジアム」が付与された。また2003年には、坊っちゃんスタジアム北側にほぼ同規格のフィールドを有するサブ野球場「マドンナスタジアム」が開場した。
供用開始以降、高校野球、社会人野球などアマチュア野球公式戦が行われている。また公式戦の一部は坊っちゃんスタジアムの他、マドンナスタジアムでも行われている。
松山市はスタジアム完成を前後してプロ野球の誘致を特に積極的に行っており、毎年少なくとも1カードの公式戦が行われている。また2002年7月13日にはサンヨーオールスターゲーム第2戦も開催され、これが四国地方4県では初のオールスターゲーム開催となった。試合は4-2で全パの勝利、MVPは的山哲也(近鉄)が獲得した(詳細は2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)の項を参照)。2004年からは東京ヤクルトスワローズの秋季キャンプが行われている。
この他、2005年に設立された独立リーグ・四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツは、当球場を本拠地として使用している。グランドチャンピオンシップには、愛媛がリーグ優勝を達成して出場した2015年と2016年のほか、参加リーグの増加で1箇所開催のトーナメント制になった後の2023年(愛媛は「開催県枠」で出場)に会場になっている。
開場当初のスコアボードは全面磁気反転式だったが、オールスター誘致にあたって日本野球機構側から「磁気式は夜間の視認性が悪い」という指摘を受けて、2002年シーズンから電光式に入れ替えられ、併せてスコアボード右側には磁気反転式で3色表示が可能なフリーボードが設置された。
2度目のオールスターゲームを控えた2012年には、開場後初の大改修を実施した。スコアボードのボールカウント表示を国際基準のBSO表示に変更したほか、ラバーフェンスの張り替えなど、グラウンドの整備も行った[1]。
3度目のオールスターゲームを控えた2022年シーズン前の改修では、スコアボードがフルカラーLEDにより全面フリーボード化された。併せてスタンドに固定カメラを3台設置しており、そのカメラからの映像をスコアボードに表示できるようになるなど視認性が大幅に向上した。その他にスピードガン機器更新(電波計測からカメラ計測へ)、内野グラウンドの黒土入れ替え、ファウルゾーンの人工芝張り替え、ラバーフェンス塗り替え、バックスクリーン塗り替え、ダッグアウトの床張り替えおよび壁と天井塗り替えを実施した[2][3][4]。
なお、当球場では、コンサートなどグラウンドに設備や客席などを設けるようなイベントには使用を許可していない。これは天然芝などフィールド部分の損傷を防ぐための措置である。
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愛称の由来

公募により命名された愛称「坊っちゃんスタジアム」は、松山市を舞台にした夏目漱石の小説「坊っちゃん」に因んでいる。松山市内にはこの他にも「坊っちゃん」という愛称を冠するものが多数ある。
もともと「野球」という言葉は、松山市出身で夏目漱石らとも交遊関係にあった俳聖・正岡子規が作ったといわれる俗説がある。これは、子規の幼名の「升」(のぼる)に引っ掛けて「野(の)球(ボール)」という雅号を用いていたことが元になっている。ただし、これは「ベースボール」の日本語訳として作られたものではない[注 1]。もっとも、「打者」「走者」「四球」など、数多くの野球用語の日本語訳を子規が作り出したのは事実であり、実際に子規自身も野球らしきものを楽しんでいたという。こうした関係もあり、現在に至るまで松山市をはじめ愛媛県内は高校野球が特に盛んで、全国的に名を知られる強豪校も多い。
このような背景に因んで、坊っちゃんスタジアムの開場当初、正面入口横には愛媛県の野球史を紹介する展示コーナーなどを有する「まつやま野球ランド」が設けられた。しかしその後、改修して展示内容を充実させることになり、2003年5月24日に野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」に改称した。
また、スタジアムの最寄駅である予讃線市坪駅が輸送力増強のため改修され、2002年7月13日、同日のオールスターゲーム第2戦開催と正岡子規の野球殿堂入りを記念して「の・ボール駅」の愛称が付与された。
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主なエピソード
- 2005年4月24日、ヤクルトスワローズの古田敦也が2000本安打を達成した。大卒社会人としては史上初の2000本到達で、また四国の野球場での記録達成も史上初。同年秋には記念碑が建てられた。
- 漫画『ドカベン スーパースターズ編』に登場する四国アイアンドッグスは、坊っちゃんスタジアムを本拠地球場としている。
- 2010年に開設10周年を迎えた。これを記念して4月にはプロ野球セ・リーグ公式戦東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ2連戦、8月には東京六大学野球オールスターゲームが行われた。
- 2024年5月15日、東京ヤクルトスワローズの村上宗隆が通算200号本塁打を達成した。清原和博の持つ200号本塁打到達最年少記録を更新した。
- 東京ヤクルトスワローズ公式戦では、最終戦がデイゲームの場合、試合終了後にグラウンド体験ツアーと称して観客にグラウンドを開放することがある。
施設概要
- 松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)
- 2000年5月14日完成
- グラウンド面積:14,300m2
- 両翼:99.1m、中堅:122m
- 外野フェンス高:4.9m
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝、ファウルエリア(内野側):透水性ショートパイル人工芝
- スコアボード:全面フルカラーLED式フリーボード[4]
- 照明設備:大屋根先端投光器×4基、照明塔×4基(最大平均照度:投捕間2500Lx、内野2500Lx、外野1200Lx)
- 収容人員:30,000人(内野スタンドは2階建て)
- 内野1階:10,200人、内野2階:9,800人、外野:6,200人、立見:3,800人(うち車椅子席136席)
- 野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」併設

- 投球練習場(屋外ブルペン)併設

- 松山中央公園サブ野球場(マドンナスタジアム)
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プロ野球等開催状況
要約
視点
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交通

関連画像
- 外観
- 内野スタンド
- 内野スタンドから(パノラマ・2006年)
- 内野スタンドから(パノラマ・2010年)
- 2階席から
- レフトスタンドから(夜・パノラマ)
- ライトスタンドから(昼)
- ネット裏から(夜)
- 古田敦也2000本安打達成記念碑。記念のボールをスタンドに投げ入れる古田の姿がモチーフになっている。
- マドンナスタジアム(サブ球場)スコアボード
- マドンナスタジアム(サブ球場)正面
脚注
関連項目
外部リンク
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