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守山市 (愛知県)
日本の愛知県にあった市 ウィキペディアから
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現在の名古屋市守山区に該当する。昭和の大合併で、愛知県では唯一廃止された市である[注 2]。名古屋市のベッドタウンとして発展したが、守山市が誕生してすぐに名古屋市と合併の動きがあり、市として存在した期間は9年程である。
庄内川、矢田川沿いに位置し、東部は標高100m前後の丘陵地帯である。「守山」は「森山」が転じた地名と推測され[注 3]、近世以前は「森山」と表記される文献もある。
同名の市として滋賀県守山市があるが、滋賀県守山市は1970年に市制施行であり、重複とはなっていない。
守山市役所が存在していた場所は、現在守山図書館となっている。
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地理
守山区#地理を参照。
隣接する自治体
歴史
- 戦国時代初期、尾張国山田郡が分割され、春日井郡と愛知郡に編入される[注 5]。
- 1521年(大永元年) - 松平信定により、守山城が築かれる[2]。
- 1535年(天文4年) - 三河国岡崎城主・松平清康が、守山城で家臣の阿部正豊に暗殺される[2](森山崩れ)。
- 江戸時代、この地域は尾張国春日井郡であり、尾張藩領であった[3]。
- 1878年(明治11年) - 大森垣外村と牛牧村が合併し、大森垣外村となる[4]。
- 1880年(明治13年)2月5日 - 春日井郡が東春日井郡と西春日井郡に分割され、この地域は東春日井郡となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 1897年(明治30年) - 旧日本陸軍第3師団第5旅団歩兵第33連隊が名古屋市中区から移駐。
- 1906年(明治39年)7月16日 - 二城村、高間村、大森村、小幡村が合併し町制施行。守山町となる[2]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 東春日井郡志段味村を編入。即日市制施行し、守山市となる(愛知県下18番目の市)[2]。
- 1963年(昭和38年)2月15日 - 名古屋市に編入される(名守合併)。名古屋市13番目の区の守山区となる[2]。
名古屋市への編入への経緯
- 1951年(昭和26年)、当時の守山町長により、守山町は市制移行事項を議会に提案し可決される。1953年(昭和28年)には守山町、旭町、志段味村の2町1村での合併、市制が計画される。しかし、旭町は単独市制を望み離脱[注 6]。そのため、守山町と志段味村とで合併し、守山市となる。
- 1955年(昭和30年)、第1回市議会議員選挙の結果、名古屋市との合併を推進する議員多数を占めることとなる。また、住民からも名古屋市との合併を望む声が多かったため、1960年(昭和35年)に住民投票を実施して合併の賛否を問うことが決定する。しかし、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風の被災復興のため、延期となる。
- 1961年(昭和36年)10月、住民に世論調査を行い、名古屋市との合併に賛成が81.94%に及ぶ。この結果を踏まえて、1962年(昭和37年)1月に守山市は名古屋市への合併を申し入れる。同年9月に名古屋市議会は合併受け入れを議決する。
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市長
- 町長
教育
大学
高校
- 愛知県立緑丘商業高等学校(現・愛知県立緑丘高等学校)
- 守山女子商業高等学校(現・菊華高等学校)
中学校
- 守山市立守山中学校(現・名古屋市立守山中学校)
- 守山市立守山東中学校(現・名古屋市立守山東中学校)
- 守山市立守山西中学校(現・名古屋市立守山西中学校)
- 守山市立志段味中学校(現・名古屋市立志段味中学校)
小学校
- 守山市立大森小学校(現・名古屋市立大森小学校)
- 守山市立小幡小学校(現・名古屋市立小幡小学校)
- 守山市立守山小学校(現・名古屋市立守山小学校)
- 守山市立廿軒家小学校(現・名古屋市立廿軒家小学校)
- 守山市立鳥羽見小学校(現・名古屋市立鳥羽見小学校)
- 守山市立瀬古小学校(現・名古屋市立瀬古小学校)
- 守山市立志段味東小学校(現・名古屋市立志段味東小学校)
- 守山市立志段味西小学校(現・名古屋市立志段味西小学校)
公共機関など
- 国立療養所志段味荘(現・国立病院機構東尾張病院)
- 守山市立守山市民病院(現・名古屋市立東部医療センター守山市民病院→守山いつき病院)
- 守山警察署
- 自衛隊守山駐屯地
交通
鉄道
名所・旧跡
出身有名人
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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