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安倍理津子
日本の女性歌手 ウィキペディアから
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安倍 理津子(あべ りつこ、本名:熊木 律子、1948年10月7日 - )は、日本の歌手。旧芸名は安倍律子。一時期、安倍理津子名義、その後、安倍里葎子で活動。2020年3月11日、再び安倍理津子に改名。所属事務所はオフィス里葎子。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。
北海道札幌市出身。札幌香蘭女子学園高等学校卒業。血液型:A。
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来歴・人物
- 小学校高学年からクラシックバレエを習い始め、バレエの先生を志す[1]。一方で中学生から高校生の頃にはアナウンサーか声優か電話交換手になりたいと思うようになったが、もう一つくらい趣味を持てとの祖母の勧めで、祖母の古い友人の息子のラテン歌手がやっていた「札幌ミュージックスクール」でレッスンを受け、彼のすすきののラテンミュージックの店「ジョージの城」で歌い始める[1]。高校卒業後はあるデパートの呉服売り場に就職する予定だったが、これを辞退して歌のレッスンを続けながら子供にバレエを教えていた。しかし手伝っていたバレエの先生に音楽喫茶で歌っていることがバレて、これがいかがなものかとされる。ちょうどその頃バレエに行き詰まっていたこともあって、バレエを辞めて歌をやっていくことを選択[1]。その音楽喫茶でマスターと昵懇だった平尾昌晃に1969年の夏に声をかけられ、1970年3月に上京し、レッスンが始まる[1]。1970年8月1日にキングレコードより発売されたデビューシングル『愛のきずな』のヒットにより、第12回日本レコード大賞新人賞などを受賞。デビュー当時に付いたキャッチフレーズは「Oh!ビューティフル・タッチ」[1]。「水着姿以外の取材はお断り」という宣伝戦略も話題になった[1]。その後『愛のおもいで』『お嫁に行くなら』などのシングルがヒットした後、低迷期が続く。
- 芸名の「安倍」は、中学生の時に1人だけ、本名の熊木の熊(bear)に因んで自分を「ベアちゃん」と呼ぶ友人がいたことから、ベアを芸能界の業界用語のようにひっくり返してアベにしたことからによる[1]。
- 1983年、橋幸夫の新作としてデュエット曲『今夜は離さない』制作に当たって作詞家から相手役オーディションの誘いを受け、先入観をなくすために名前を伏せて録音した数人の音源を聞いた中から橋幸夫らによって安倍が選出される。しかし、同曲ヒット後に自分ひとりでもやれると考えて橋の事務所から一方的に離脱。以降、松方弘樹、桜木健一、林与一、誠直也らとデュエット曲を発表、「デュエットの女王」の異名を得る。
- 現在もリサイタル・ディナーショーなどで歌手活動を継続している。なお2014年に不義理をしてしまっていた橋と和解している。
- 都内港区在住。
- 2020年3月11日、母親の誕生日である3月11日に東日本大震災が発生したこともあって、「多くの皆様に夢をもっていいただける歌を歌っていきたい。2020年がデビュー50周年なので、これを機に心を新たにしてさらに精進していきたい」との思いで安倍里葎子から安倍理津子に改名。
- 趣味は韓国ドラマ視聴、パチンコ、100均での爆買い。
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ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
委託制作盤
- 企画:日本高速フェリー
アルバム
- LP
- CD
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出演
テレビドラマ
- 新 番頭はんと丁稚どん第39話(1972年12月27日)(毎日放送)
- 風呂上がりの夜空に(1987年)(テレビ朝日)
- アイラブユーからはじめよう(1989年)(TBS)
- 土曜ワイド劇場『探偵事務所(4) 死んでいく依頼人!連続殺人犯は屋上密室から消えた…』(1996年9月7日)(テレビ朝日)
- 月曜ドラマスペシャル『山村美紗ミステリー・エジプト女王の棺』(1999年3月22日)(TBS)
その他のテレビ番組
脚注
関連項目
外部リンク
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