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安壮富士清也

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安壮富士清也
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安壮富士 清也(あそうふじ せいや、1976年1月17日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)に所属した元大相撲力士。本名は杉野森 清寿(すぎのもり きよとし)、愛称はキヨ。身長180cm、体重126kg、血液型はO型。趣味はカラオケ格闘技観戦。得意手は右四つ、投げ。最高位は東前頭13枚目(2006年11月場所)。実弟は元関脇安美錦。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。

概要 安壮富士 清也, 基礎情報 ...
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来歴

要約
視点

旅館の長男として生まれ、幼い頃から弟・竜児と相撲を取っていた。鰺ヶ沢高校時代は青森県大会に入賞するなど活躍する。父の従兄弟が元横綱旭富士という縁もあり、高校卒業と同時に安治川部屋に入門。1994年1月場所に初土俵を踏んだ。以降、三段目までは順調に番付を上げるが、小兵のため幕下で苦労し、弟の安美錦に番付を追い抜かれてしまった。しかし、以降は体重も徐々に増え、幕下上位でも勝ち越せるようになった。

2003年9月場所に十両に昇進。1場所で幕下に陥落したが、投げ技に磨きをかけ2005年1月場所に復帰すると十両に定着し、2005年3月場所と2006年5月場所は最高位の十両3枚目まで番付を上げたが、2場所とも負け越している。3度目の最高位となった2006年7月場所は9勝6敗の好成績を収めたが、西十両5枚目で10勝5敗の霜鳥など、好成績を挙げた力士が多数いたため新入幕は見送られた。しかし、翌9月場所には東十両筆頭の地位で千秋楽に勝ち越しを決め、翌11月場所において新入幕を果たした。この安壮富士の幕内昇進により、11月場所は露鵬白露山北桜豊桜、安壮富士・安美錦と、史上初めて3組の兄弟が同時に幕内に在位するという場所となった。しかし11月場所では6勝9敗、続く2007年1月場所では4勝11敗と大きく負け越し、わずか2場所で十両に陥落し、以降は引退まで幕内への復帰は果たせなかった。なお、同年9月場所後の10月8日兵庫県出身の女性との婚約を発表し、12月26日に挙式を行っている。

2007年5月場所では十両10枚目まで番付を落としたものの4場所ぶりに勝ち越した。その後数場所は十両下位に位置していたものの、2008年1月場所に西十両10枚目で5勝10敗と負け越したため幕下に陥落した。翌3月場所では東幕下3枚目で5勝2敗の好成績を残して同年5月場所で1場所での十両復帰を果たしたものの、その5月場所では6勝9敗と負け越して再び幕下に陥落した。翌7月場所では西幕下2枚目で5勝2敗と大きく勝ち越して1場所での十両への復帰を果たした。しかし東十両14枚目で迎えた9月場所では7勝8敗に終わり、またも幕下へ陥落した。11月場所では東幕下筆頭で6勝1敗と大きく勝ち越し、2009年1月場所で十両へ復帰した。2009年と2010年には一度も幕下へ陥落することなく、主に十両中位から下位に定着していた。

幕内・十両の取組の中で、海鵬保志光等自分より小柄な力士には極端に相性が悪く、苦戦している。逆に猛虎浪には相性が良く、新入幕を決めた一番に勝ったのも猛虎浪であった。関取になってからは十両での9勝6敗が最高で、二桁の10勝以上に勝ち星を伸ばしたことがない。小兵であるがゆえに、その苦労がうかがい知れる力士だった。

4月1日、大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた[1]。訴訟を起こす考えもあったが「師匠に迷惑をかけられない」と4月4日に引退届を提出し、受理された[2]。断髪式は5月29日に両国国技館の土俵上で行われた。八百長問題で引退した力士が断髪式で国技館の土俵を使用したのは彼が2人目(前日に春日王が国技館の土俵上で行っている)。

引退後は青森県に戻り、産業廃棄物処理などを請け負う会社の支店長を務めている[3]現役時代から歌唱力が高かったことでも知られており、2022年2月19日に行われた誉富士の引退相撲および[要出典]同年5月29日に行われた弟の引退相撲では久々に両国国技館に姿を見せ、相撲甚句を披露した[3]

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主な成績

要約
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通算成績

  • 通算戦歴:517勝478敗7休 勝率.520
  • 幕内成績:10勝20敗 勝率.333
  • 現役在位:103場所
  • 幕内在位:2場所

各段優勝

  • 序二段優勝:1回(1994年9月場所)

場所別成績

さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...

引退時の番付は2011年2月28日発表の順席による。

幕内対戦成績

さらに見る 力士名, 勝数 ...
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改名歴

  • 杉野森 清也(すぎのもり せいや)1994年1月場所
  • 安壮富士 清也(あそうふじ -)1994年3月場所 - 2011年4月

※安壮富士の四股名は、「勇壮な力士になれ」との願いを込めて安治川親方が命名。「清也」の名は、安治川の名前(正也)から。

エピソード

  • 2006年7月24日付の毎日新聞で、同じ十両の鶴竜と共に星取を間違えられた(間違えられたのは14日目の星取で、勝ったはずなのに、「●」と書かれていた)。翌日、星取表の訂正版が掲載された。
  • 唯一、2度つきひざで敗れた力士である。
  • 朝日山部屋後継者として期待されていた大真鶴が既存部屋継承限定の年寄襲名資格(関取20場所)にわずか1場所届かず角界を去って以降新たな部屋継承後継者として名前が挙がったが、1年ほどで上記のように不祥事により引退に追い込まれてしまった。
  • 歌唱力があるといわれる[3]

脚注

関連項目

外部リンク

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