トップQs
タイムライン
チャット
視点
山本雅夫
日本のプロ野球選手 (1953-2022) ウィキペディアから
Remove ads
山本 雅夫(やまもと まさお、1953年8月12日 - 2022年3月18日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
Remove ads
来歴・人物
育英高等学校では1971年、夏の甲子園兵庫県予選で準々決勝に進むが、松本哲(松本匡史)を打の主軸とする報徳学園に敗退。高校同期に川辺邦好がいた。
同年のドラフト6位で南海ホークスに入団。
1980年から頭角をあらわす。
1981年には主に一塁手として101試合に出場、規定打席には届かなかったものの打率.288、13本塁打を記録。長打力があり左投手に強く(左殺し)[1]、その後も左腕先発時にはスタメンに名を連ねることが多かった。
1983年オフに鈴木伸良との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。入れ替わりでロッテに移籍した同姓の山本功児の背番号44を引き継いだ。ここでも右の代打の切札として2年連続3割以上の打率を残し、存在感を発揮した。
1986年には打撃不振で出場機会が減り、同年オフに自由契約となり近鉄にテスト入団。
1987年現役引退。
引退後は不動産会社・大京に入社。同社の軟式野球チームで4番を打ち、1989年から開催されたRBA野球大会で活躍を見せた[2]。その後、兵庫県内で中古車販売店に勤務したが、2022年3月18日、膵臓がんで死去[3]。68歳没。
生前は巨人時代の同僚中畑清が主催するプロ野球28会に所属しており、カラオケは中畑に劣らない実力であったという。プロ野球28会は四十九日明けの同年5月16日に兵庫県内のゴルフ場で追悼コンペと偲ぶ会を行い、故人を偲んだ[3]。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 51(1972年 - 1976年)
- 24(1977年 - 1979年)
- 28(1980年 - 1983年)
- 44(1984年 - 1986年)
- 19(1987年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads