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日清ちびっこのどじまん
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『日清ちびっこのどじまん』(にっしんちびっこのどじまん)は、1965年7月27日から1969年9月29日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ製作の歌謡番組である。日清食品の一社提供。新聞などのテレビ欄では単に「ちびっこのどじまん」、あるいは「ちびっこのど自慢[1]」と表記されたこともある。当初はモノクロ放送だったが、1969年5月17日放送分からカラー放送となった。
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概要
要約
視点
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日本各地の公会堂で一般の小学生や中学生を対象にしたのど自慢大会を行い、その模様を放送していた視聴者参加型番組[2]。原則2本撮りで収録していた。
桂小金治が司会を務めていた頃には、番組はまず小金治とスタジオにいる子供たちが「5・4・3・2・1、スタート!」とカウントダウンした後、ファンファーレを挟んで(小金治)「日清食品提供」→(ちびっこコーラス)「日清ちびっこのどじまん!」とコールして主題歌に入っていた。
大村崑が司会の頃にはステージの幕が閉まったままで(「日本一大会」などの一部の回では開いたままの時もあり)、開演ブザーの音[3]と場内アナウンサーの「只今より、日清ちびっこのどじまんを開始します。最後までごゆっくりお楽しみください」というアナウンスの後、ファンファーレとともに幕が開き、大村の「日清食品提供」(小金治のコールよりは甲高かった)をした後、カメラが会場の方へとパンした。そして「日清ちびっこのどじまん!」という掛け声とともにスタートしていた。坂本九がオープニングテーマを歌唱していた時期があった。また、コマーシャルの前には「喉自慢の前には皆さんおなじみの味自慢。コマーシャルをどうぞ…」と振っていた。
出場者数は1回につき7人で、点数表示はピアノの鍵盤に見立てたボードに25点満点で表示するという形で行われていた。全出場者が歌い終えた後、審査員たちによってチャンピオンが選ばれた。通常は1人の出場者がチャンピオンに選ばれていたが、稀に複数になることもあった。そして、チャンピオンが7人出揃うと「チャンピオン大会」を開催し、その中からグランドチャンピオンを選出していた。
さらには年に1回(8月頃)、7人のグランドチャンピオンを集めて「日本一大会」[4]を開催し、その中から日本一を決めていた(他に2人の準日本一も輩出)。この日本一大会はいわゆる得点制ではなく、特別ゲストを含めた審査員の合議制[5]によって入賞者を決めた。
そして「準日本一」には「準日本一の王冠」、「日本一」には「日本一の王冠」とガウン・杓がそれぞれ贈られ、その後に観客やマスコット「ちびっこ」の「おめでとう!」の声とファンファーレと共に、ステージ上に吊り下げたくす玉が割れ、大量の紙吹雪・紙テープ・風船が舞って祝福した。
さらに賞品として、「日本一」にはヤマハ(当時の社名は日本楽器)→河合楽器協賛の豪華ピアノ、「準日本一」にはシャープ(同早川電気)協賛のカラーテレビ(第1回については、エレクトーン(日本一)・オルガン(準日本一)か、テレビのどちらかを選べたが、優勝者がエレクトーン、準優勝2名はいずれもテレビを選んで獲得した)、そしてスポンサーの日清食品から即席麺(日清焼そば→出前一丁)が、「日本一」には1年分[6]、「準日本一」には半年分が、その他の出場者には3か月分がそれぞれ贈られた[7]。番組が終了するまでの間に4人の日本一(女子3人、男子1人)が誕生した。
番組中期以降は「とびいり」のコーナーを設け、会場から1人の飛び入り参加者を募って4番手の出場者として参加させるようになったが、飛び入り参加者に付けられる点数は他の出場者たちに比べると低かった。また、出場者が歌っている最中に「うた」と「たいど」のインジケーターが表示されるようになり、審査の評価が分かりやすくなった。ただし、この演出は大会の回には無かった。
出場者たちによる歌唱が終わって審査の結果発表までの間には、番組オリジナル曲である「ちびっこソング」の紹介を行っていた。これらの歌が家庭や学校、文部省(現・文部科学省)などから評価を得るようになり、それらを収録したソノシート(ケイブンシャ)や、『あつまれ!ちびっこ』というタイトルのLPレコード(キングレコード、第1集 - 第3集)が発売された。この「ちびっこソング」を番組で歌うと、審査上でも有利な扱いになった。
番組製作はフジテレビが担当(テロップによっては「フジテレビジョン」のロゴ表記もあった)。ただし、高槻市民会館(当時「日清食品の工場の近く」として紹介された)で収録された第4回日本一大会では、関西テレビとフジテレビの共同製作となった。この時のクレジットは関西テレビが上位で、ロゴではなくスタッフロールと同じ明朝体で表記されていた。
番組最高視聴率は、1966年8月26日放送分の39.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)[8]。
当番組の保存についてだが、当時は2インチVTRの時代で、放送当時、ビデオテープは60分で10万円もすることから、それでの保存価値等がない限り、放送後は消去されて使い回されるのが普通だった。こういう事情もあり、この番組のそれでの記録映像は、1967年8月25日に放送された「第2回日本一大会」(於:東京厚生年金会館)の1本しか現存しない。この映像は、放送番組センターの放送ライブラリーにて閲覧できる[9]。
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放送時間
いずれも日本標準時。
出演者
司会
- 桂小金治 - 初代司会者。前々番組『オリンピックショウ 地上最大のクイズ』の司会者でもあった。「子どもが“惚れたはれた”を扱う大人びた歌謡曲を歌う事」に異議を唱え、1965年9月7日放送分(第7回)をもって降板。
- 大村崑 - 2代目司会者。1965年9月14日(第8回)から最終回まで出演。
審査員
大村が司会をするようになってからは「○○(審査委員名)先生です」と紹介していた。
素人時代に出場した経験がある有名人
堀江美都子、山尾百合子は番組とのタイアップも兼ねて、竜の子プロダクション制作のフジテレビ系アニメ『紅三四郎』で主題歌や挿入歌を担当している。そのため、番組終了後も堀江、しまざき由理、天童よしみ、かおりくみこなどが、竜の子プロダクション制作のフジテレビ系アニメ『ハクション大魔王』『昆虫物語 みなしごハッチ』『いなかっぺ大将』『樫の木モック』『けろっこデメタン』の主題歌を担当していた。
マスコットキャラクター
スタッフ
主題歌
- オープニングテーマ「ちびっこのどじまんのテーマ」
- 作詞:保富康午 / 作曲:藤家虹二 / 歌:ちびっこコーラス
- 坂本九が1969年7月10日発売のLP『九ちゃんと歌おう』(東芝音楽工業 TP-7331)にてカバーしている(曲名は「ちびっこのどじまんテーマソング」)。
- エンディングテーマ「ちびっこマーチ」
- 作詞:保富康午 / 作曲:藤家虹二 / 歌:ちびっこコーラス
- 後年、東海テレビの『ユニーサンデーショー 歌え! ちびっこ』でも使用され、改めてシングルレコードが発売された(歌:ひばり児童合唱団、ポリドール DQQ 5013)。
主なちびっこソング
アパッチ・アワワ(ボニー・ジャックス)、おへそのうた(大村崑)[10]、めがねのうた(大村崑)、かあさんごめんね(楠トシエ)、おれは親分(中村晃子)、ふじぎなマリー(中原美沙緒)、怪獣カバゴン(阿部進)、ちびっこ音頭(三橋民謡少年隊)、お菓子のパレード(天地総子)、ゴーゴーダンプ(森朋子)、ちびっこブルース(大村崑)、ペケの歌(長谷川よしみ)[11]、まんがのうた(牧伸二)、じゃがいもちゃん(小野木久美子)ほか。
これらの「ちびっこソング」は、キングレコードから発売されたCD『黄金時代シリーズ ちびっこソング編』に収録されている。また、同社から発売されたCD『テレビ主題歌黄金時代 アニメ&バラエティ編』には、「ちびっこのどじまんのテーマ」「ちびっこマーチ」「まんがのうた」の3曲が収録されている。
出版物
- 楽譜集
- ちびっこのどじまん愛唱歌集(1968年発行、フジテレビジョン)[12]
ネット局
太字は、『読売新聞』1967年12月20日付夕刊6面 「日清和風チキン」広告に明記されてある局。
関連項目
- チータと歌おう!ちびっこ大行進 - 当番組終了直後の1970年1月1日に放送。メインゲスト・水前寺清子の歌まねが得意な子供が参加、当番組出身の天童よしみ(当時15歳)と、当番組の司会だった大村や「ちびっこ合唱団」も出演した。
- おはよう!こどもショー(日本テレビ) - 1971年から1975年までの間、同じく大村が司会を務める「こんちゃんのトンカチうたじまん」という視聴者参加型コーナーがあった。
脚注
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