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東礪波郡
日本の富山県にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
歴史
要約
視点
越中国の南西部全域を占めていた礪波郡が、1896年(明治29年)の郡制施行の際に当時の政治家・上埜安太郎によって西礪波郡と東礪波郡とに分けられたものである。郡役所は出町(現・砺波市中心部)に置かれた。
沿革

- 1896年(明治29年)
- 1898年(明治31年)8月26日(5町34村)
- 1923年(大正12年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 福野町・南野尻村・広塚村・野尻村が合併し、改めて福野町が発足。(5町31村)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 西礪波郡鷹栖村・林村の所属郡が当郡に変更。(5町33村)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 南山見村が井波町に編入。(5町32村)
- 1952年(昭和27年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)1月10日 - 鷹栖村が砺波市に編入。(5町5村)
- 1956年(昭和31年)2月1日 - 城端町が西礪波郡福光町の一部(大字細木・大窪・雁巻島・梅井・中筋および野田の一部)を編入。
- 1957年(昭和32年)8月1日 - 福野町が西礪波郡西野尻村の一部(大字安居・上川崎・晩田・桐木・布袋・三ツ屋・森・前田・梅ヶ島・松木)を編入。
- 1959年(昭和34年)1月1日(5町4村)
- 高瀬村の一部(大字高瀬・北市・野尻野および三清の一部)が井波町に編入。
- 高瀬村の残部(大字森清・安清・江田・雨潜・野原および三清の一部)が福野町に編入。
- 1966年(昭和41年)2月10日 - 中田町が高岡市に編入。(4町4村)
- 2004年(平成16年)11月1日 - 下記の変更により東礪波郡消滅。
- 庄川町が砺波市と合併し、改めて砺波市が発足。
- 城端町・平村・上平村・利賀村・井波町・井口村・福野町が西礪波郡福光町と合併して南砺市が発足。
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 歴代郡長
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 16 富山県、角川書店、1979年10月1日。ISBN 4040011600。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 礪波郡 |
行政区の変遷 1896年 - 2004年 |
次代 (消滅) |
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