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奥州市立人首小学校
岩手県奥州市にあった小学校 ウィキペディアから
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奥州市立人首小学校(おうしゅうしりつ ひとかべしょうがっこう)は、岩手県奥州市江刺米里にあった公立小学校。通称人小(ひとしょう)。
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概要
市北東部を占める米里地区の中心部に位置し、1級のへき地校[2]に指定されていた。明治初期に開校し、150年の歴史をもつ学校だったが、少子化に逆らえず2023年に閉校した[3][4]。
校名に「人首」を冠していたのは、かつてこの地区一帯が人首村[5]であったことに由来する。なお校名は、勅令や設置自治体の変遷などにより9回変更し、閉校時の校名(奥州市立人首小学校)を名乗ったのは奥州市が誕生した2006年からである[6]。
1873年の開校時から1971年にかけては分校を設けていた。うち木細工分校は、1929年に木細工小学校として独立[6]。ほか2校(中沢・学間沢)は、米里地区中心部より数キロメートル離れた山間部にあり、通学が困難な1年生から4年生までが通った[注 1][7]。
当校の学区である米里地区は、県の沿岸部と内陸部を結ぶ要衝の地として栄えていた[8]背景から最多期は600人ほどの児童が在籍していたが、少子化や過疎化の影響により次第に減少していき[9]、2000年代に入ると70人前後で推移していた。2010年代に入ると減少が加速し、2010年度の64人から2017年度には26人と半減[注 2]し、閉校年度の2022年度には15人となり、奥州市内の小学校では木細工小学校(5人)に次いで2番目に少ない児童数となった[10]。さらに、2011年度からは2学年を合わせた児童数が16人に満たないことから一部で複式学級となり、2017年度からは全学年が複式学級の状況が続いていた[11][12][10]。
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沿革
要約
視点
人首村17番地(現:奥州市江刺米里)に1873年7月、人首小学校として開校した[13][14][6]。開校と同時期に木細工分校・学間沢分校・中沢分校の3分校を村内に設けたが、1929年に木細工分教場は木細工尋常小学校(のちの奥州市立木細工小学校)として本校からは独立を果たし、残りの2分校は1971年9月をもって本校に統合されたことにより、分校は消滅した[6]。
奥州市教育委員会が、教育環境の向上や学校規模の適正化などを目的とした「奥州市学校再編計画」を2021年3月に策定した。学級数が6に満たない本校は、学校の維持が許容される下限未満の「過小規模校」に区分され、他校への統合が決定した。同じく過小規模校に区分された江刺地域東部の4校(木細工小・梁川小・広瀬小・玉里小)と共に、玉里小学校(奥州市江刺玉里)の施設を活用した新設校「奥州市立江刺ひがし小学校」へ、2023年4月に統合することとなった[15][16][17]。
統合による閉校に先立ち、2022年10月に閉校記念碑除幕式を行い、校門脇に記念碑を設置した。記念碑には後世へ残していく文章や、インターネット上で当校に関する映像を見るためのQRコードを刻印した[18]。2023年3月をもって閉校し、149年の歴史に幕を閉じた[4]。

年表
- 1873年(明治6年)7月8日 - 人首小学校として開校[19][4]。「木細工」「学間沢」「中沢」の3分校を設置[14][6]。
- 「公立人首小学校」に改称[6]。
- 「人首下等小学校」に改称[20]。
- 1877年(明治10年) - 福泉寺(米里村字馬場126番地[20][21])に移転[注 3][22]。
- 1880年(明治13年) - 自徳寺(江刺米里字荒田表19番地)に移転[22]。
- 1885年(明治18年) - 江刺米里字本小路9番地1に新校舎を落成し、移転[22]。
- 1887年(明治20年)4月 - 「人首尋常小学校」に改称[6][4]。
- 1891年(明治24年) - 分校を分教場に改称[22]。
- 1902年(明治35年)4月 - 高等科を併設し、「人首尋常高等小学校」に改称[6]。
- 1903年(明治36年) - 江刺米里字荒田表に新校舎を落成し、移転[22]。
- 1908年(明治41年)12月 - 同窓会により公共図書館「人首図書館」を開設[23]。
- 1925年(大正14年) - 青年訓練所令施行に伴い、米里青年訓練所を併設[24][25]。
- 1929年(昭和4年)8月1日 - 木細工分教場が、木細工尋常小学校(のちの奥州市立木細工小学校)として独立[26][6]。
- 1935年(昭和10年)4月 - 青年学校令施行に伴い、米里青年訓練所に代わり米里村立米里青年学校を併設[24][25]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行に伴い、「人首国民学校」に改称[6][4]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行に伴い、「米里村立人首小学校」に改称[6][4]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 人首小学校PTAを結成[27]。
- 1954年(昭和29年) - 小川未明直筆の詩碑を設置[8]。
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)9月 - 特殊ブロック造の校舎を落成[6]。
- 1958年(昭和33年)11月3日 - 市制施行に伴い、「江刺市立人首小学校」に改称[6]。
- 1962年(昭和37年)7月 - 新校歌を制定(作詞:及川清、作曲:鷹觜洋一)[28]。
- 1971年(昭和46年)9月30日 - 中沢分校および学間沢分校を廃止[7][29]。
- 1973年(昭和48年)11月 - 創立100周年を記念し、記念庭園を設置、記念誌を発行[6][30]。
- 1983年(昭和58年)7月 - 4年生以上を対象に、郷土芸能「兄和田念仏剣舞」の伝承活動を開始[14][6]。
- 1984年(昭和59年)11月 - 特定非営利法人日本標準教育研究所より作文・詩の学校賞を受賞[6]。
- 1994年(平成6年)10月 - 新校舎と体育館を着工[6]。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 2006年(平成18年)2月20日 - 市町村合併に伴い、「奥州市立人首小学校」に改称[6]。
- 2007年(平成19年)4月 - 人首小学校スクールガード隊(見守り隊)が発足[6]。
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により浄化槽が被災[31]。
- 11月 - アメダスの雨量計を校地内に設置[6]。
- 2012年(平成24年)6月 - スクールボランティアの会が発足[6]。
- 2017年(平成29年)2月 - 公益社団法人「小さな親切」運動本部より実行賞を受賞[6]。
- 2021年(令和3年)3月 - 奥州市教育委員会が「奥州市学校再編計画」を策定し、2022年度末での統廃合が決定[15]。
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)
児童数・学級数の推移
開校以降の児童数と学級数の推移。1875から1877年度、1897から1900年度、1947から1949年度、1962から1971年度、1973から1985年度、1998年度以降は毎年度掲載。
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分校
要約
視点
当校の分校のうち、中沢分校(なかざわぶんこう)と学間沢分校(がくまざわぶんこう)を記載。独立した木細工分校は「奥州市立木細工小学校」を参照。
中沢分校
本校から東へ約2.5キロメートル進んだ山間部にあった[7]。へき地校1級[7]。周辺戸数は約40戸(閉校時)[29]。
1971年9月29日には閉校式を挙げ、来賓や地区民など約50人が出席した。翌30日をもって閉校し、約100年の歴史に幕を閉じた[29]。
児童数・学級数の推移
1910年度以降の児童数と学級数の推移。1962年度以降は毎年度掲載。
1966年には20人を数えたが[58]、その後は過疎化により減少してゆき、最終年度となる1971年度には10人を割った[29]。1971年度は1年生2人、2年生4人の計6人で、1人の教師による複式授業が行われた[29]。
学間沢分校
本校から北へ約4キロメートル進んだ山間部にあった。へき地校1級[7]。
1960年2月には、県よりへき地校の指定を受けた(1級)[93]。
閉校に際し、1970年9月30日には閉校式が行われた[7]。同日をもって廃止され、本校へ統合された[29]。
児童数・学級数の推移
1897年度以降の児童数と学級数の推移。1897年度から1900年度、1962年度以降は毎年度掲載。
1898年度の29人が最多であり、1949年度以降はおおむね10人前後で推移した。学級編成に関しては、記録が残る1910年度から1967年度にかけては1学級編成が続いていたが、1968年度から1970年度にかけては2学級編成となった。最終年度となる1971年度の児童数内訳は、2年生4人、3年生2人、4年生1人の計7人で、学級は再度1学級となった[7]。
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教育目標
豊かな心と自ら学ぶ力を持ち、たくましく生きる子供の育成
- 学びあう子ども
- 思いやりのある子ども
- たくましい子ども
施設概要
主な施設を掲載。

学区
- 奥州市江刺米里
- 米里第1区 - 第6区、第9区 - 第12区
出典:[98]
進学先の中学校
公立中学校の場合。
- 江刺市立米里中学校(江刺市米里、現:奥州市江刺米里) - 1977年度以前[99]
- 奥州市立江刺東中学校(奥州市江刺玉里) - 1978年度から2021年度[100][99]
- 奥州市立江刺第一中学校(奥州市江刺岩谷堂) - 2022年度[98]
アクセス
バス
- 「米里」停留所(奥州市営バス)から徒歩で約7分
自動車
周辺
- 人首川
- 自徳寺
- 米里地区センター
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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