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石垣一夫
日本の野球選手、政治家 (1931-2004) ウィキペディアから
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石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月14日[1] - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身の政治家、元プロ野球選手・指導者。衆議院議員(1期)、大阪府議会議員(5期)、高槻市議会議員(1期)を歴任した。
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経歴
新宮高校卒業後の1950年に常磐炭鉱へ入社し、1952年には都市対抗に出場。準々決勝で全鐘紡に敗退し、産業対抗は日鉄二瀬の補強で出場 社会人時代は一度も盗塁をされたことが無いといわれたほどの強肩捕手であり、1953年に大阪タイガースへ入団。
1年目から3月4日の日米野球第5戦でスタメン出場し、開幕後も57試合に出場。1956年には徳網茂からレギュラーの座を奪ったが、1957年には山本哲也にレギュラーを奪われてしまう。強肩で、足も速かったが、打撃がそれほど良くなく、完全にレギュラーになれなかった。1958年オフに南海ホークスへ移籍し、2年間で53試合に出場。39試合でマスクを被ったが、野村克也の控え捕手で出場は限られ、1960年に現役を引退。
引退後は南海二軍コーチ(1961年 - 1964年)を経て、政治家に転進。1971年に公明党から、高槻市議会議員に当選し1974年まで務める。1975年からは大阪府議会議員に当選し、1995年まで5期20年務め、1986年には副議長にも就任した。1996年の第41回衆議院議員総選挙に大阪10区から、新進党公認で立候補して初当選したが、2000年の第42回衆議院議員総選挙には公明党から立候補するものの社民党の辻元清美に敗れ、落選した。
落選後は政界から引退し、2004年7月23日に心不全のため高槻市内の病院で死去した[2]。72歳没。
妻は元タカラジェンヌ。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 29 (1953年 - 1958年)
- 23 (1959年 - 1964年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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