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野沢拓也

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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野沢 拓也(のざわ たくや、1981年8月12日 - )は、茨城県笠間市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表

概要 野沢 拓也, 名前 ...
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経歴

要約
視点

ゲームメーカーとして鹿島アントラーズユース在籍中の1997年9月3日、同日にG大阪戦とシンガポールで行われたアジアクラブ選手権ゲイラン・ユナイテッドFC戦の2試合をこなす必要があり、さらにW杯アジア地区最終予選の日本代表メンバーであった名良橋晃秋田豊相馬直樹本田泰人が代表の日程の関係上試合出場ができずに、2チームの選手をそろえるには大幅に人数が足りなくなったため、G大阪戦(万博)で高校1年生ながらトップ登録、およびベンチ入りメンバーに入ったが試合出場はなく、試合後すぐにトップ登録抹消となっている。

高校3年生となった1999年には再び2種登録選手の形でトップ登録が行われ、同年4月10日の京都戦で初出場(17歳7ヶ月と30日の出場はクラブ最年少記録)を果たす。同年、ブラジルに短期留学した。

その後しばらくは同じ攻撃的MFの小笠原満男本山雅志など鹿島の厚い選手層の陰に隠れ、持病のケーラー病英語版に怪我も重なり伸び悩んでいた。しかし、2005年にこれまでと異なる1.5列目やFW、ウイング的な役割で起用されると28試合出場10得点を記録。優勝争いを経験する中で、新境地を開くシーズンとなった。

2006年シーズン途中に小笠原がイタリアへ移籍する際には後継者に指名され、レギュラーとしての地位を築いた。12月2日に行われた磐田戦(カシマ)では、自身初となるハットトリックも達成した。

2006年11月11日A代表に初選出された。

2007年シーズンより、前年まで小笠原がつけていた背番号8を受け継ぐこととなった。自身の誕生日である8月12日の甲府戦ではバースデーゴールを挙げ、その得点がチームのリーグ戦通算900得点という記念ゴールにもなった。

2008年は夏場にスタメンから外れることもあったが、最終節の札幌戦でチームをリーグ連覇に導くミドルシュートを決めるなどチームに貢献した。

2009年は怪我もなく、出場停止のゲーム以外はすべてスタメン出場し、32節、33節とゴールを決め、チームのリーグ3連覇に貢献した。2009年時点での通算35得点のうち、11-12月のリーグ戦でチーム歴代最多の13得点を記録している。緊迫したシーズン終盤に特に力を発揮することから、”ミスター・クライマックス”の異名を持つ[1]

2010年はリーグ戦全試合出場。天皇杯決勝では、決勝点となるフリーキックを決める。2011年には、常陽銀行のキャラクターに任命され、初の茨城県出身者から起用された。

2012年ヴィッセル神戸へ完全移籍。神戸にとっては待望のプレースキッカーの加入であり、多くの得点を演出するなどチームの中心として活躍したが、チームはJ2に降格した。2013年に古巣鹿島に完全移籍で復帰した。

2014年8月1日ベガルタ仙台への完全移籍が発表された[2]。背番号は2012年以来の「8」に決まった。加入後は左サイドハーフとしてスタメンに定着、幾度となく決定的なチャンスを作り、チームのJ1残留に貢献した。2018年1月ベガルタ仙台を契約満了に伴い退団することを発表した。

2018年2月、オーストラリアウロンゴン・ウルブスFCへ移籍[3]

2019年1月4日、関西サッカーリーグ1部のFC TIAMO枚方へ入団すると発表[4]、2シーズンを戦いチームはJFLに昇格したタイミングの2020年12月30日に、現役引退が発表された[5]

2022年6月9日、チームの殿堂入りとも言える「アントラーズ功労賞」に選出された。

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所属クラブ

個人成績

要約
視点
さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
  • 1999年はユース所属

その他の公式戦

  • 2008年
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2011年
    • スーパーカップ 1試合1得点
さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...

その他の国際公式戦

出場歴

代表歴

タイトル

クラブ

鹿島アントラーズ
FCティアモ枚方

脚注

関連項目

外部リンク

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