トップQs
タイムライン
チャット
視点

1993年の読売ジャイアンツ

日本のプロ野球チームの成績 ウィキペディアから

1993年の読売ジャイアンツ
Remove ads

1993年の読売ジャイアンツ(1993ねんのよみうりジャイアンツ)では、1993年における読売ジャイアンツの動向についてまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年の読売ジャイアンツは、2回目の長嶋茂雄監督体制の1年目のシーズンである。

概要

13年ぶりに長嶋茂雄が監督に復帰し、ヘッドコーチに須藤豊、投手コーチに堀内恒夫、打撃コーチに中畑清、バッテリーコーチに山倉和博が就任した。また選手では、松井秀喜がドラフト1位で入団、現役大リーガーのジェシー・バーフィールドヤクルトから長嶋の長男・長嶋一茂を獲得するなど陣容をととのえた。しかし開幕すると、原辰徳の衰え、前年活躍したロイド・モスビーの度重なる故障、駒田徳広、バーフィールドの打撃不調の影響もありチーム打率は低迷。6月28日にモスビー、バーフィールドの不調のテコ入れとして、ミッキー・ブラントリーを緊急補強するも、モスビー、バーフィールド以上に打てず機能しなかった。主に三番だった篠塚和典は3割をマークするが、それ以外の選手は2割台半、本塁打も2ケタ到達が原とバーフィールドのみという厳しい状況で、この年はチーム打率だけでなく、巨人史上初めてチーム得点も最下位に終わり、盗塁は5位の39だった[1]。投手陣は、先発陣では槙原寛己が孤軍奮闘するも、斎藤雅樹が5月19日の横浜戦で右肩を痛めた影響で9勝止まり、桑田真澄も前年から続く不調に苦しんだ。しかしこれをカバーしたのが「勝利の方程式」を結成した橋本清石毛博史などのリリーフ陣で、チーム防御率はリーグ3位の3.22と健闘し、優勝のヤクルト、2位の中日と互角だった。チームは序盤から一進一退を繰り返し、一時は首位ヤクルトに2.5ゲーム差まで接近し自力優勝の目を残したが8月以降は大きく負け越して貯金がなくなり、最後は阪神とのAクラス争いに勝って3位でシーズンを終了。前年オフのドラフト1位で獲得した1年目の松井秀喜は11本塁打を記録するなどしたが新人王争いでは伊藤智仁に敗れた。この年は最下位広島に15勝11敗と勝ち越すも5位の横浜には10勝16敗で歯が立たず、ヤクルトとマッチレースを演じた中日にも11勝15敗と負け越し、借金生活から抜け出せなかった。オフには駒田が打撃コーチの中畑との確執もあり[2]フリーエージェントを宣言し、横浜に移籍した。外国人選手のモスビー、バーフィールド、ブラントリーも全員解雇となった。

Remove ads

チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/10, 5/1 ...

[3]

さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1993年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位ヤクルトスワローズ80502 .615優勝
2位中日ドラゴンズ73572 .5627.0
3位読売ジャイアンツ64661 .49216.0
4位阪神タイガース63672 .48517.0
5位横浜ベイスターズ57730 .43823.0
6位広島東洋カープ53771 .40827.0
Remove ads

オールスターゲーム1993

  • 選出選手及びスタッフ
さらに見る ポジション, 名前 ...
  • 太字はファン投票による選出、▲は出場辞退選手発生による補充。

個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(131イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
さらに見る 選手, 登板 ...

主な打撃成績

  • 色付きは規定打席(406打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
さらに見る 選手, 試合 ...
Remove ads

できごと

  • 1月18日 - この年から着用される新ユニフォームがお披露目される。1946年~1950年にかけて使用されていたデザインに似たものになった。


選手・スタッフ

[4][5]

表彰選手

桑田真澄(投手、2年ぶり4度目)
駒田徳広(一塁手、2年ぶり4度目)
川相昌弘(遊撃手、2年ぶり4度目)

ドラフト

  • 網掛けの選手は逆指名による入団
さらに見る 順位, 選手名 ...

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads