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1993年の阪神タイガース
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1993年の阪神タイガース(1993ねんのはんしんタイガース)では、1993年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
1993年の阪神タイガースは、中村勝広監督の4年目のシーズンである。
概要
前年あと一歩のところで優勝を逃したチームは、打線強化のため先発ローテーションの一角・野田浩司を放出してまでオリックスから松永浩美を獲得、また前年のバルセロナオリンピックの台湾代表のエース郭李建夫も入団したが、当時の外国人枠の都合で、トーマス・オマリーとジム・パチョレックとの併用に中村監督は頭を悩ませた。この問題についてマスコミは3人の姓の頭文字と当時の社会問題であった国際連合平和維持活動をかけて「(阪神)PKO問題」と報じた[注 1]。シーズンに入ると松永は開幕3試合目で故障するなど故障で度々戦列を離れ、パチョレックも腰痛に苦しみ二軍落ちを経験し、代わりに一軍に上がった郭李も後半戦最初の試合でヤクルトの飯田哲也の打球が睾丸を直撃し負傷する不運に見舞われるなど、なかなか戦力が揃わなかった。打撃陣は前年打率2位のオマリーが3年目で念願の首位打者となるが、腰痛に苦しんだパチョレックはシーズン途中で引退を表明し退団した。前年の快進撃を支えた投手陣は、エース仲田幸司がわずか3勝に終わるなど各投手が軒並み成績を落とし、チーム防御率も前年の2点台から3点台後半に急落した。チームは5月までまずまずの戦いぶりを見せるものの6月に最下位に転落。夏場以降は横浜の10連敗、広島の12連敗に助けられて巨人とAクラス争いを演じ、9月終了時には3位につけていたのの10月に入るとに巨人に抜かれて、そこから一度も浮上することなく4位で終了。新天地オリックスで17勝を挙げ最多勝となった野田とは対照的に、80試合の出場に終わった松永はシーズン終了後にFA宣言してダイエーに移籍し、わずか1年でチームを去ってしまった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 80 | 50 | 2 | .615 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 73 | 57 | 2 | .562 | 7.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 64 | 66 | 1 | .492 | 16.0 |
4位 | 阪神タイガース | 63 | 67 | 2 | .485 | 17.0 |
5位 | 横浜ベイスターズ | 57 | 73 | 0 | .438 | 23.0 |
6位 | 広島東洋カープ | 53 | 77 | 1 | .408 | 27.0 |
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1993 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「1993年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの退団について記述する。
退団
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選手・スタッフ
試合結果
- 日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(132イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(409打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
達成記録・出来事
- 1月20日 - 現役時代に222勝をあげ、2度監督を務めたOBの村山実の殿堂入りが決まった
- 1月21日 - 伴義太郎が「三苫」に改姓した
- 4月10日 - 松永浩美が開幕戦の中日1回戦(甲子園)で5安打を記録、開幕戦の5安打は史上3人目
- 4月10日 - 開幕戦の中日1回戦(甲子園)で投手陣が20被安打を喫する、開幕戦の20被安打以上は史上3度目
- 5月7日 - 仲田幸司が広島3回戦(西京極)の6回に町田公二郎から三振を奪い通算1000奪三振、史上87人目
- 6月27日 - 久慈照嘉がヤクルト12回戦(甲子園)で1試合11補殺の遊撃手タイ記録(延長15回)
- 6月29日 - 松永浩美の背番号を「2」から「02」に変更を発表
- 7月1日 - 広島11回戦(甲子園)開催されたが、球団として通算2918試合目の甲子園の試合で、巨人が持っていた同一球場(後楽園球場)の通算試合数を抜くNPB新記録
- 7月19日 - 桧山進次郎がフレッシュオールスター(福岡ドーム)で初回に本塁打を放ちMVPを獲得、阪神選手のフレッシュオールスターMVPは1981年の藤倉一雅以来12年ぶり
- 7月21日 - トーマス・オマリーがオールスター第2戦(GS神戸)で本塁打を含む4安打を放ちMVPを獲得、阪神選手のMVPは1988年の第2戦(ナゴヤ)の岡田彰布以来5年ぶり
- 8月22日 - 松永浩美がヤクルト19回戦(神宮)の1回に荒木大輔から本塁打を放ち、8月20日のヤクルト17回戦(神宮)で伊東昭光から、8月21日のヤクルト18回戦(神宮)で石井一久から打ったのに続き、日本プロ野球史上初の3戦連続先頭打者本塁打を記録[4]
- 8月28日 - ジム・パチョレックの退団を発表
- 9月4日 - 和田豊が中日20回戦(ナゴヤ)で二塁手で先発出場し2回の守備で三ゴロ併殺の際に刺殺と補殺を各1記録し開幕以来416守備機会無失策、1989年の白井一幸(日本ハム)の持っていた二塁手として開幕からの連続守備機会無失策415を抜く新記録
- 9月8日 - 松永浩美がヤクルト20回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合、史上110人目
- 9月9日 - 和田豊がヤクルト21回戦(甲子園)で2回に古田敦也の放った飛球を落球し、開幕からの二塁手としての連続守備機会無失策が432でストップした
- 11月2日 - 松永浩美がFA宣言、今年度から制定されたFA宣言の第1号となった
- 11月17日 - 長嶋清幸を金銭トレードでロッテから獲得したことを発表
- 11月29日 - FA宣言をしていた松永浩美がダイエーに移籍することがダイエー球団より発表された
- 12月8日 - FA宣言していたオリックスの石嶺和彦の入団を発表
- 12月14日 - 渡辺伸彦とオリックスの古溝克之とのトレードを発表
- 12月16日 - 新外国人選手のロブ・ディアーと契約の締結を発表
- 12月24日 - 嶋田章弘と近鉄の米崎薫臣のトレードを発表
ドラフト指名選手
→詳細は「1993年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 網掛けの選手は逆指名による入団
脚注
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