トップQs
タイムライン
チャット
視点
1999年の横浜ベイスターズ
ウィキペディアから
Remove ads
1999年の横浜ベイスターズ(1999ねんのよこはまベイスターズ)では、1999年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、権藤博監督の2年目のシーズンである。
概要
前年、権藤監督1年目で38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一を達成したチームは、球団史上初の連覇達成を期待されたが、開幕6連敗を喫する。マシンガン打線の好調を投手陣が無駄にするなど、投打のアンバランスが現れ開幕ダッシュには失敗。それでも5月以降は巻き返し、7月には広島や阪神を抜いて3位に浮上。しかし、打線は好調でも先発陣が打ちこまれる試合は相変わらず続き、11年ぶり優勝の中日に10ゲーム差を付けられて、3位でシーズンを終えた。
打撃陣は、円熟期のロバート・ローズはじめ、前年まで2年連続首位打者の鈴木尚典、大ベテラン駒田徳広、切り込み隊長の石井琢朗、2番の波留敏夫などが打ちまくって、リーグ打率は中日・巨人をしのぎ.294の1位で、本塁打も前年の100本から140本へと増えた。
一方、投手陣のチーム防御率は、前年の3.49から4.44へと大幅に低下した(この年の防御率1位は中日の3.39)[2]。先発の川村丈夫(17勝)と斎藤隆(14勝)が2人で31勝を挙げ、前年は故障でシーズンの大半を離脱していた福盛和男が三浦大輔と並んで9勝を挙げたが、前年に13勝(斎藤とともにチーム最多勝利)を挙げた野村弘樹は故障でわずか7試合登板・1勝に終わる。救援陣も、守護神の佐々木主浩は防御率1.93・19セーブを記録したが、シーズン途中で故障のため戦線離脱。中継ぎ陣は、プロ初勝利を含む6勝(2敗2セーブ・防御率2.16)を挙げた森中聖雄を除き、多くの投手が前年より成績を落とした[注 1]。
シーズン終了後、ロッテを自由契約になった小宮山悟を獲得。一方で佐々木がフリーエージェント (FA) の権利行使を宣言してMLBのシアトル・マリナーズへ移籍し、チームは転換期を迎える。
Remove ads
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 81 | 54 | 0 | .600 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 75 | 60 | 0 | .556 | 6.0 |
3位 | 横浜ベイスターズ | 71 | 64 | 0 | .526 | 10.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 66 | 69 | 0 | .489 | 15.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 57 | 78 | 0 | .422 | 24.0 |
6位 | 阪神タイガース | 55 | 80 | 0 | .407 | 26.0 |
Remove ads
オールスターゲーム1999
→詳細は「1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
|
|
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
網掛けの選手は逆指名による入団
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads