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1999年の横浜ベイスターズ

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1999年の横浜ベイスターズ
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1999年の横浜ベイスターズ(1999ねんのよこはまベイスターズ)では、1999年横浜ベイスターズの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年の横浜ベイスターズは、権藤博監督の2年目のシーズンである。

概要

前年、権藤監督1年目で38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一を達成したチームは、球団史上初の連覇達成を期待されたが、開幕6連敗を喫する。マシンガン打線の好調を投手陣が無駄にするなど、投打のアンバランスが現れ開幕ダッシュには失敗。それでも5月以降は巻き返し、7月には広島阪神を抜いて3位に浮上。しかし、打線は好調でも先発陣が打ちこまれる試合は相変わらず続き、11年ぶり優勝の中日に10ゲーム差を付けられて、3位でシーズンを終えた。

打撃陣は、円熟期のロバート・ローズはじめ、前年まで2年連続首位打者の鈴木尚典、大ベテラン駒田徳広、切り込み隊長の石井琢朗、2番の波留敏夫などが打ちまくって、リーグ打率は中日・巨人をしのぎ.294の1位で、本塁打も前年の100本から140本へと増えた。

一方、投手陣のチーム防御率は、前年の3.49から4.44へと大幅に低下した(この年の防御率1位は中日の3.39)[2]先発川村丈夫(17)と斎藤隆(14勝)が2人で31勝を挙げ、前年は故障でシーズンの大半を離脱していた福盛和男三浦大輔と並んで9勝を挙げたが、前年に13勝(斎藤とともにチーム最多勝利)を挙げた野村弘樹は故障でわずか7試合登板・1勝に終わる。救援陣も、守護神の佐々木主浩防御率1.93・19セーブを記録したが、シーズン途中で故障のため戦線離脱。中継ぎ陣は、プロ初勝利を含む6勝(22セーブ・防御率2.16)を挙げた森中聖雄を除き、多くの投手が前年より成績を落とした[注 1]

シーズン終了後、ロッテ自由契約になった小宮山悟を獲得。一方で佐々木がフリーエージェント (FA) の権利行使を宣言してMLBシアトル・マリナーズへ移籍し、チームは転換期を迎える。

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チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/2, 5/1 ...

[3]

さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1999年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位中日ドラゴンズ81540 .600優勝
2位読売ジャイアンツ75600 .5566.0
3位横浜ベイスターズ71640 .52610.0
4位ヤクルトスワローズ66690 .48915.0
5位広島東洋カープ57780 .42224.0
6位阪神タイガース55800 .40726.0
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オールスターゲーム1999

  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
斎藤隆
川村丈夫
佐々木主浩
島田直也
谷繁元信
石井琢朗
ローズ
鈴木尚典

選手・スタッフ

[4]

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー, 選手名 ...
さらに見る ベストナイン, 選手名 ...

ドラフト

網掛けの選手は逆指名による入団

さらに見る 順位, 選手名 ...

脚注

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