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1999年の阪神タイガース
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1999年の阪神タイガース(1999ねんのはんしんタイガース)では、1999年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
1999年の阪神タイガースは、野村克也監督の1年目のシーズンである。
概要
1982年の安藤統男監督就任以来、チームはOB監督で通してきたがBクラス体質の阪神を変えるべく、久万俊二郎オーナーは前年までヤクルトの監督だった野村克也を新監督に招聘。野村新監督はヘッドコーチに南海時代の教え子で、ヤクルトでもヘッドコーチを務めた松井優典を、打撃コーチには阪神OBで阪神で打撃コーチを務めた野村の南海時代の教え子である柏原純一を[1]、投手コーチには元ロッテ監督でかつての同僚・八木沢荘六を配置するなど野村カラーを打ち出して開幕に臨んだ。出足の悪かった前年とは違い4月を5割で乗り切ると、5月に月間13勝9敗で貯金を作り、6月9日には中日と同率ながら1992年以来2209日振りの首位に立つなど優勝が期待された。しかし、6月後半以降は投手陣の好投を打線が見殺しにする試合も目立ち、7月18日の巨人戦で主力投手のダレル・メイが一塁塁審に暴力をふるって退場処分を受けるなど投手陣のコマ不足も表面化。7月にはオールスターゲームを挟んで9連敗を喫し、5位に転落。また主砲の大豊泰昭やメイなど、一部の主力選手と野村監督との確執が開幕後に表面化するなどチームが空中分解。後半戦以降出場停止のメイは「野村監督は俺を信用していない」としてマスコミに怪文書をばらまき、野村監督やフロントの怒りを買いシーズン途中で退団(翌年から巨人に移籍)。守護神ベン・リベラも故障でシーズン中に帰国した。投手陣は先発ローテーションでは誰も二桁勝利に達せず、ドラフト3位ルーキー福原忍がリリーフで54試合に登板してチーム唯一の二桁勝利を上げた(10勝7敗9セーブ、防御率4.09)。チームは9月11日から球団タイ記録の12連敗を喫し、借金15で一気に最下位に転落。最終的に2年連続の最下位でシーズンを終えた。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 81 | 54 | 0 | .600 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 75 | 60 | 0 | .556 | 6.0 |
3位 | 横浜ベイスターズ | 71 | 64 | 0 | .526 | 10.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 66 | 69 | 0 | .489 | 15.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 57 | 78 | 0 | .422 | 24.0 |
6位 | 阪神タイガース | 55 | 80 | 0 | .407 | 26.0 |
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1999 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
当時のホーム用帽子・ヘルメットは縦縞柄(翌年よりビジター用と同様の黒一色のものに変更)であるが、第2戦(甲子園)・第3戦(倉敷マスカットスタジアム)の全セ・リーグ・ホーム試合にて、新庄はホーム用ユニフォームにビジター用と同様の黒一色の帽子・ヘルメットを、和田もヘルメットのみ同じく黒一色のものを組み合わせて着用し出場した。新庄は第3戦にてMVPを獲得。[3]
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回(135イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(418打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 1月16日 - 新外国人選手のマイケル・ブロワーズとマーク・ジョンソンとの契約の締結を発表
- 4月8日 - 八木裕が広島3回戦(広島市民)で9回に代打出場し通算1000試合出場、史上348人目
- 4月18日 - 和田豊がヤクルト3回戦(福岡ドーム)で先発出場し通算1500試合出場、史上125人目
- 4月18日 - 坪井智哉がヤクルト3回戦で5得点を記録、セ・リーグのタイ記録
- 5月5日 - 和田豊が巨人5回戦(甲子園)で3併殺を記録、セ・リーグ史上11人目
- 5月14日 - 大豊泰昭が中日5回戦(甲子園)で同点の9回に代打で出場し落合英二から本塁打を放ちサヨナラ勝ち、代打サヨナラ弾は球団史上14人目
- 5月27日 - 新庄剛志が中日10回戦(富山)で1回無死一、二塁で三塁ゴロを放ち三塁を踏み、二塁転送、一塁転送で三重殺を喫する、球団史上10度目[4]
- 6月1日 - 和田豊が横浜9回戦(甲子園)で1回に犠打を決め通算200犠打、史上19人目
- 6月4日 - 平塚克洋と西武の杉山賢人の交換トレードの成立が両球団より発表
- 6月5日 - 藪恵壹がヤクルト10回戦(神宮)で4回1死からロベルト・ペタジーニから遊ゴロ併殺打に打ち取り通算1000投球回、史上278人目
- 6月11日 - 巨人11回戦(甲子園)で清原和博に3本塁打打たれる、1人の打者に1試合3本塁打以上打たれるのは1991年8月3日の中日19回戦(ナゴヤ)で宇野勝に打たれて以来
- 6月12日 - 新庄剛志が巨人12回戦(甲子園)の延長12回裏一死一、三塁の場面で槙原寛己の敬遠球を打ちサヨナラヒット
- 7月8日 - ヤクルト16回戦(甲子園)で9回裏に4点リードされていて、無死満塁から新庄剛志の2点適時打のあと、一死二、三塁からマーク・ジョンソンが高木晃次から本塁打を放ち、逆転サヨナラ勝ちで代打サヨナラ弾は球団史上15人目、9回裏4点差以上のビハインドから逆転サヨナラ勝ちは球団史上初
- 7月19日 - ダレル・メイが巨人18回戦(甲子園)で7回二死二塁の場面で高橋由伸を一ゴロに打ち取り自らベースカバーに行きベースを踏んだところ、「(メイが)一塁ベースを踏んでない」とジャッジセーフの判定をした杉永政信1塁塁審に暴力行為を働いたため退場処分。(後日、7月19日からから8月1日まで2週間の出場停止処分)
- 7月27日 - 新庄剛志がオールスター第3戦(倉敷)で3回に小宮山悟(ロッテ)からの適時打と、6回の岩本勉(日本ハム)からの本塁打で全打点を叩き出しMVPを獲得、阪神選手のMVPは1988年第2戦(ナゴヤ)の岡田彰布以来11年ぶり
- 8月4日 - ブロワーズに解雇通告を発表
- 8月7日 - 野村克也監督がヤクルト18回戦(神宮)の3回に湯舟敏郎のバントが一塁アウトとされた判定に対し小林毅二1塁塁審に暴言を吐き退場処分、37年間のプロ野球生活で初(後日、厳重警告と制裁金20万円)
- 8月8日 - ダレル・メイが球団社長に「(8月1日に出場停止が解けたのに)2軍にいるなら解雇してほしい」と言っていたことがと明らかに
- 8月9日 - ダレル・メイが球団や野村監督を批判する「告発文」を報道陣に配布した[5]
- 8月12日 - 球団は監督批判をしたダレル・メイに対し今季残り試合の謹慎と1200万の罰金を科した(翌日に帰国)
- 8月19日 - 横浜22回戦(横浜)で敗北を喫し、中日が同日に巨人22回戦(ナゴヤドーム)で勝利したことで通算の敗北数で中日と並ぶ。並ぶのはNPB初年度の1936年7月11日にトーナメント1回戦の東京セネタース戦(甲子園)に負けて6敗で並んで以来63年ぶり(3888勝3625敗241分、中日は3843勝3625敗271分)
- 8月25日 - 大豊泰昭が広島21回戦(広島市民)で9回に代打で出場し小山田保裕から本塁打を放ちシーズン代打本塁打6本目、1986年の川藤幸三持つ球団最多代打シーズン本塁打記録を更新
- 9月22日 - 巨人26回戦(東京ドーム)で敗北を喫し、中日が同日に広島26回戦(ナゴヤドーム)で勝利したことで前日に並んでいた通算の敗北数が中日を上回る、球団史上初(3898勝3639敗241分、中日は3855勝3638敗271分)
- 9月25日 - 中日25回戦(ナゴヤドーム)で敗戦を喫し10連敗、二桁連敗は1998年の8月4日の横浜19回戦(横浜)から8月16日の巨人20回戦(東京ドーム)で12連敗して以来2年連続、球団史上3度目で2リーグ制以降の通算勝率が5割を切る(3168勝3169敗208分)
- 9月28日 - ウエスタン・リーグで広島に勝利し2年連続9度目のウエスタン制覇
- 9月28日 - 広島24回戦(広島市民)で敗戦を喫し12連敗、前年の8月に記録した球団記録に並ぶ(翌日の同カードでストップ)
- 10月1日 - 大豊泰昭が広島27回戦(広島市民)に1回に佐々岡真司から二塁打を放ち26試合連続安打、1983年のランディ・バースが持つ球団最長連続試合安打を更新
- 10月9日 - ファーム選手権(浦添)でイースタン覇者の日本ハムに勝利し初のファーム日本一、MVPは2本塁打の濱中治
- 11月28日 - オリックス・ブルーウェーブからFAの星野伸之が入団
- 11月29日 - カツノリをヤクルトから金銭トレードで獲得
- 12月9日 - 新外国人選手のトニー・タラスコと契約の締結を発表
- 12月10日 - 新外国人選手のグレッグ・ハンセルと契約の締結を発表
- 12月14日 - 新外国人選手のロベルト・ラミレズと契約の締結を発表
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ドラフト指名選手
→詳細は「1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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